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竹久夢二

Yumeji Takehisa

竹久夢二,



竹久夢二,岡山県,美人画,日本画,版画,浮世絵


明治17年、岡山県に生まれ、昭和9年51歳の若さで、波乱の生涯を閉じた。夢二ははじめ新聞や雑誌の挿絵画家として活躍し、以後、独学で詩趣あふれる独自のスタイルを確立。とりわけ「夢二式美人」と呼ばれる、その女性像は多くの人々に愛され、明治末から、大正・昭和初期にかけて、まさに一世を風靡した。また没後、年を追ってますます高い評価をうけ「夢二の前に夢二なく、夢二の後に夢二なし」とまでいわれ、大正ロマンを代表する天才画家として、その作品は現代の人々の心を魅了し続けている。



【1884年】
9月16日、岡山県邑久郡本庄村に生まれる。本名茂次郎。家業は酒屋。


【1899年】
4月、神戸中学校入学。12月、家事都合により中退、帰郷。


【1900年】
一家で福岡へ転居。


【1901年】
7月、家出して上京。苦学。


【1903年】
9月、早稲田実業学校に入学。


【1906年】
「中学世界」にコマ絵「筒井筒」1等入選し、初めて「夢二」と著名する。早稲田実業学校専攻科を中退。


【1907年】
1月、岸たまきと結婚。4月読売新聞社入社。時事スケッチを掲載する。


【1909年】
5月、岸たまきと協議離婚。12月最初の著書「夢二画集 春の巻」発刊。以後多くの出版に着手。


【1912年】
11月、京都府立図書館において、第1回夢二作品展覧会開催。


【1914年】
10月、日本橋呉服町に「港屋」開店。笠井彦乃と知り合い、後に結ばれる。


【1916年】
4月、初めてセノオ楽譜を装ていする。以後、270余のセノオ楽譜の装ていをする。


【1918年】
4月、京都府立図書館で第2回夢二叙情画展覧会開催。9月「宵待草」が出版され、全国に流布。


【1920年】
1月彦乃、御茶の水順天堂医院にて永眠。春、「長崎十二景」完成。黒猫シリーズを制作。


【1921年】
7月、モデルのお葉と渋谷に所帯を持つ。冬「女十題」完成。


【1923年】
9月、関東大震災。これにより恩地幸四郎らと共に企画した「どんたく図案社」は実現寸前に潰滅。


【1925年】
「婦人グラフ」に表紙や口絵をはじめる。大正15年まで続く。当時の夢二人気にあやかって、これらの雑誌は飛ぶように売れた。12月杉沢村にアトリエ付新居「少年山荘」完成。転居。


【1931年】
榛名山美術研究所建設の準備を進める。外遊を決意する。5月アメリカへ向かう。


【1932年】
9月、アメリカより渡欧。欧州各地を歩く。


【1933年】
9月、神戸帰港。11月台湾に行くが、体調を悪化させ帰国、病臥。


【1934年】
9月1日、長野県の富士見高原療養所で「ありがとう」を最後の言葉に永眠。雑司ヶ谷墓地に埋葬。

明治17年、岡山県に生まれ、昭和9年51歳の若さで、波乱の生涯を閉じた。夢二ははじめ新聞や雑誌の挿絵画家として活躍し、以後、独学で詩趣あふれる独自のスタイルを確立。とりわけ「夢二式美人」と呼ばれる、その女性像は多くの人々に愛され、明治末から、大正・昭和初期にかけて、まさに一世を風靡した。また没後、年を追ってますます高い評価をうけ「夢二の前に夢二なく、夢二の後に夢二なし」とまでいわれ、大正ロマンを代表する天才画家として、その作品は現代の人々の心を魅了し続けている。

【1884年】
9月16日、岡山県邑久郡本庄村に生まれる。本名茂次郎。家業は酒屋。

【1899年】
4月、神戸中学校入学。12月、家事都合により中退、帰郷。

【1900年】
一家で福岡へ転居。

【1901年】
7月、家出して上京。苦学。

【1903年】
9月、早稲田実業学校に入学。

【1906年】
「中学世界」にコマ絵「筒井筒」1等入選し、初めて「夢二」と著名する。早稲田実業学校専攻科を中退。

【1907年】
1月、岸たまきと結婚。4月読売新聞社入社。時事スケッチを掲載する。

【1909年】
5月、岸たまきと協議離婚。12月最初の著書「夢二画集 春の巻」発刊。以後多くの出版に着手。

【1912年】
11月、京都府立図書館において、第1回夢二作品展覧会開催。

【1914年】
10月、日本橋呉服町に「港屋」開店。笠井彦乃と知り合い、後に結ばれる。

【1916年】
4月、初めてセノオ楽譜を装ていする。以後、270余のセノオ楽譜の装ていをする。

【1918年】
4月、京都府立図書館で第2回夢二叙情画展覧会開催。9月「宵待草」が出版され、全国に流布。

【1920年】
1月彦乃、御茶の水順天堂医院にて永眠。春、「長崎十二景」完成。黒猫シリーズを制作。

【1921年】
7月、モデルのお葉と渋谷に所帯を持つ。冬「女十題」完成。

【1923年】
9月、関東大震災。これにより恩地幸四郎らと共に企画した「どんたく図案社」は実現寸前に潰滅。

【1925年】
「婦人グラフ」に表紙や口絵をはじめる。大正15年まで続く。当時の夢二人気にあやかって、これらの雑誌は飛ぶように売れた。12月杉沢村にアトリエ付新居「少年山荘」完成。転居。

【1931年】
榛名山美術研究所建設の準備を進める。外遊を決意する。5月アメリカへ向かう。

【1932年】
9月、アメリカより渡欧。欧州各地を歩く。

【1933年】
9月、神戸帰港。11月台湾に行くが、体調を悪化させ帰国、病臥。

【1934年】
9月1日、長野県の富士見高原療養所で「ありがとう」を最後の言葉に永眠。雑司ヶ谷墓地に埋葬。

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