棟方志功
日本を代表する版画家。青森県生れ。絵画を独学で学び、古川龍生・川上澄生の影響で木版画を志す。文字自体を画面に導入し絵と文字を同次元の造型性に融合・統合させた独特の「板画」を確立。国際展最高賞・朝日文化賞受賞。文化功労者。文化勲章受章。昭和50年(1975)歿、72才。
1903年 (明治36年)
青森県青森市にて誕生。17歳頃から独学で絵画を学ぶ。
1924年 (大正13年)
ゴッホの「ひまわり」に感銘を受け、画家を志し上京。
靴売りや納豆売りを並行して行う。
1926年 (大正15年)
版画家川上澄生の「初夏の風」を見て感動し版画を志す。
1932年 (昭和2年)
日本版画協会会員となる。
1928年 (昭和3年)
版画家平塚運一のもとで版画を学び始め、本格的な木版画制作を開始。
第9回帝展で初入選。出品作品は「雑園」(油絵)
白日会に油絵、日本創作版画協会、春陽会に木版画を出品する。
1929年 (昭和4年)
春陽会に版画4点が入選。
1930年 (昭和5年)
国画会に版画を4点出品し、全4作品が入選。
1936年 (昭和11年)
国画会に「大和し美し」を出品し、日本民芸館に買上げられられる。この頃から柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎ら民芸運動指導者に見出され知遇を受け始める。
1937年 (昭和12年)
国画会同人となる。
1938年 (昭和13年)
第2回新文展に「善知鳥(うとう)」を出品、特選受賞。
1939年 (昭和14年)
「釈迦十大弟子」を制作。
1941年 (昭和15年)
第5回佐分賞受賞。
1945年 (昭和20年)
東京代々木の自宅が空襲で消失。戦前の作品や板木のほとんどを失う。
1952年 (昭和27年)
第2回ルガノ国際版画展(スイス)で日本人初の優勝賞を受賞。日本版画協会を脱会し、 日本版画院を結成。
1955年 (昭和30年)
第3回サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展で版画部門最高賞を受賞。受賞作は「釈迦十大弟子」
1956年 (昭和31年)
第28回ヴェネツイア・ビエンナーレに「柳緑花紅頌」などを出品。日本人初の国際美術展で国際版画大賞を受賞。
「 世界のムナカタ」の地位を確立する。
1958年 (昭和33年)
日展会員となる
1959年 (昭和34年)
東京国立近代美術館で『ヨーロッパ巡回棟方志功展国内展示』を開催。
以後2年にわたりヨーロッパ主要都市を巡回。
1960年 (昭和35年)
アメリカ各地で個展開催。
日展評議員となる。患っていた眼病が悪化し、左目がほとんど失明する。
1965年 (昭和40年)
朝日賞(文化賞)を受賞。イタリア芸術院名誉会員となる。
1967年 (昭和42年)
アメリカ各地で個展開催。
1970年 (昭和45年)
毎日芸術大賞。文化勲章受賞。
文化功労者として顕彰される。
棟方志功自らが名づけた「倭画」という日本画を多数制作。
1975年 (昭和50年)
日展常任理事となる。9月13日、肝臓癌のため東京都杉並区の自宅で死去。
同年11月青森市に棟方志功記念館が開館する。