明治以降の日本近代洋画を代表する作家の一人として、戦前、戦後を通して活躍する。特に「日本的洋画の完成」を目指し油彩画の基本に加え、南画や琳派、浮世絵の研究を重ね、大胆な様式化や絢爛なる色彩を駆使し「善三郎様式」と呼ばれる独自の世界を築いた。初期の人物画から松の木を大胆に取り入れた風景画、中期以降の豪華な盛り花や薔薇の絵など多くの人に今も愛され続けている。
その画業は独立美術協会のみならず画壇全体に大きな影響を残した。
近年は香港や中国のオークションにも優作が出品され、アジアの市場でも人気が高まっている。
1893年 福岡市中島町に生まれる。
1907年 福岡県立中学修猷館入学。 この頃より油彩画を始める。
1913年 上京、独学で絵画の勉強を始める。
1915−20年 胸の病気を得、療養のため故郷に帰る。その間ほとんど制作をし
なかった。
1920年 健康を回復して上京、板橋に住む。
1921年 代々木に転居。二科展に初入選する。
1922年 神田流逸荘にて初個展を開催する。二科賞を受賞。
1923年 萬鉄五郎らの円鳥会に会員として参加する。
1925年 欧州留学の途につく。主に西洋の古典絵画を勉強する。
1928年 帰国。第15回二科展に滞欧作22点が特別展示される。
1929年 1930年協会に加わる。二科会会員になる。
1930年 独立美術協会を創立する。第一回以降第29回展まで出品を続ける。
1936年 代々木初台から国分寺へ転居する。国分寺の田園風景を多く描く。
1951年 杉並区新町(現上井草)に転居。「アルプスへの道」や「犬吠埼」
など雄大な風景画を発表し続ける。薔薇やミモザなどを描いた静物
画も多く制作する。
1962年 肝臓ガンのため死去す。
1964年 国立近代美術館において「児島善三郎遺作展」が開催される。
以降、多くの回顧展、遺作展が開催される。
2017年 台湾国立臺北教育大学校 北師美術館にて開催された「日本近代洋
画大展」に「赤い背景」「田植」「春遠からじ」「花」など代表作五点
が陳列される。
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