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オノショウイチについて

 
オノショウイチ
 
オノショウイチ(小野庄一)は宮城県亘理町生まれの作家。20代後半に渡仏して、版画家のウィリアム·ヘイターが主宰した工房、アトリエ17で版画技法を習得し、その後も同地で長く活動しました。2007 年に帰国し、仙台にアトリエを構えましたが、惜しくも 2013年に亡くなりました。
 
スタンリー·ウィリアムヘイター(Stanley William Hayter、1901-1988)は、一版多色刷りの版画技法を生み出したことで知られています。 多色刷りというと、色の数だけ版を作って一枚の紙の上に刷り重ねていくことを想像します。ヘイターの技法はそれとは違い、簡単に言うと、一枚の金属板(銅板や亜鉛板)に何段階か深さの異なる腐食を施し、 柔らかいローラー、やや柔らかいローラー、 硬いローラーの順で異なる色のインクを与えていくと、深さに応じて異なるインクが盛られ、 それを一回で刷り取る技法です。
一般に「ヘイター刷り」 と言われるこの技法を用いると、作品の中に何層もの奥行きを表現でき、色彩も複数使えるため複雑な画面を作ることができます。 ≪ Today and Yesterday No. 1 ≫のような初期作品では、色彩をあえて黒とシルバーに制限することで、硬質で、 かつ謎のような「迷宮的」空間を作り出すことに成功しています。
アトリエ 17 は、1933年パリで開設され、第二次世界大戦の間はニューヨークに移り、 戦後またパリで再開されますが、そのつど、土地の多くの前衛作家たちを惹き付けてきました、日本人では、戦前に岡本太郎が、戦後は斉藤寿一や矢柳剛がそこで学び集いましたが、オノショウイチもそのうちの一人です。
宮城県の出身で、この版画技法を習得し、完成度の高い作品にまで到達させたオノの制作活動は、記憶に留めておくべきものと思います。
 
(宮城県美術館 学芸員 和田浩一)
※「宮城県美術館協力会ニュース No.60」 (2016年4月発行) から転載
 
 

Today and Yesterday No.1


 
 
オノショウイチの作品
 
わたしたちが、 ファイン·アートを選択することで意識的にも無意識的にも「大きな物語」 に祝福された作品を創ることができたのは、 そう信じられたのは、何時までだったのだろうか。 2013年10月、 隔てられた時間の先に現れたオノショウイチの作品は、隔たりがすでに不可逆的なところへと逝ってしまった知らせとともにあった。その作品に散在する形象は、 「大きな物語」の片影である「小さな兆し」として、 記憶の深みの中で個の界を溶け出して時空の中で交易され共有されて、無数の形象の海に溜め集められ、 わたしたちを浸し揺れ生かしていく。
 
本格的な作家活動を1970年代半ばから始めたオノショウイチにとっては、 「大きな物語」への端緒は、 パリでの美術作家としての自立の最中でおこりえたアイデンティティの揺らぎだったのだろうか。
パリ以前の遺された数少ない作品、 習作というべきものかもしれない、 には木版による、 レンブラント的な、 影に表情が溶け込んだ自画像と思われる作品がある。しかし、そのような前駆的な作品とは違って、 75年以降に制作されたオノのスタイルを確立した一連の版画は、 先の作品とは隔絶した印象を与える。ウィリアム·ヘイターのもとで完壁にマスターしたディープ·エッチング、ヘイター法と言われている技術によって、 2重のイメージ層を1枚の金属版の中に封じ込め、それを画面に刻印しているそれらの作品は、 先の作品ではイメージを探しためらうこと自体を表現しているのに対して、 あいまいさ無しにイメージの集合を強固にフォーマットに入れていく。
 
 

Today and Yesterday No.9


 
 
75年から86年ほどまでか、版画作品は、単色のものから、ニュアンスに富む青を通過して多色となり、使われている形象も共通するものの、 ほぼ2年間隔で変化していく。初期のモノクロームの作品では画面空間に平行なグリッドが際だち、その上に同心円や正三角形、ソフト·グランドによるのだろうか手痕が配置されている。後の作品ほど、グリッドの要素は記号化されるか取り払われ、 変わって、 放射線や、 レーダースコープのような、 もしくはエコーのような反復する円弧によって画面は区切られている。 初期のグリッドの閉鎖感から繰り返す時間の経過や空間の拡張が意識されていたのだろうか。 布置される形象も、単なる散在から、時間的空間的広がりをポイントする事物となり、 その発生の波紋のように空間は広がる。
形象と座標系の集合としての第1のイメージ層に対して、 形象の内部や図の下に広がる第2のイメージ層は、 金属版とそれを浸食する様々な腐食技術によって生み出された素材自体の持つ無意識の層をなして在る。より自由度を得る後期の制作ほど、 拡張し反復する時空間としての地の空間、 つまり無意識の層は前面に現出している。そこでは、 第1の層と第2の層は分かちがたく結びつき、一版多色刷りのヘイター法は、 形象や反復する弧線を発光させる。
 
 
Study for Apparition ’96‐’97(3点組)


 
 
オノは、80年代末からは絵画に制作の中心を移している。 また、 版画や絵画に平行して、 ドローイングも制作されているのだが、 それらの多くはエスキースというよりは独立した作品としてのドローイングとなっている。 ドローイングでは、 それまで制作で反復して使った形象が並列に配置され、 形象のまわりにストローク=ドローイングが加えられている。ドローイングの原義どおり、 キャンバス面よりも固い紙の、その固い表面に形象もストロークも乗ることで、 まなざしの移動の経過時間を含みながら、 自分が結晶化したイメージの図表にドローイングはされているかのようだ。
オノの絵画では、版画、 ドローイングに対して、 空間を描き重ねていくためだろうか、固さは無くなり、より漠とした広がりと奥行きが追求されている。その時空間の中では、赤、 青、 黄色の3極の色彩が階調を持ち、重層的に変化していき、形象の発生と消失がおこる。漠とした時空は同心円の弧線といくつかの直様によって、かろうじて座標につなぎ止められている。 それは、 版の持つ物質の無意識から解き放された絵画特有の幻影なのだろうか。 手痕も遺されていない。
オノの制作した時代、 わたしたちの生きた時代は、 「大きな物語」への信頼が揺らいでいく時代であった。自己の確立、アイデンティティの探求すらか、ファイン・アートのアリバイでしかなくなっていくとき、 オノショウイチは自己の描像に頼らずに、無意識の時空に微かな手痕だけを遺していた。
大嶋貴明 (美術家)
 
 
オノショウイチの作品批評 スタンリー·ウィリアムヘイター※1
 
オノショウイチの作品を見ると、 明らかに版画製作の技術を習得しきっているので、 その技術が当たり前のように思えてしまうくらいである。しかし我々の最初の印象は、製作の困難さを克服した技術力への驚きよりも、 彼の作品が持つイマジネーションに対する好奇心にある。
二種類のまったく異なるイメージが同時に現れる。一方では、 非常に精密な幾何学的構造が、 時の流れに関連する日時としての数字と結び付いて、 デユーラーの銅版画作品メランコリアにある象徴的特性を思い起こさせる。 他方、 極度に洗練されたこれらの要素とはまったく対照的に、 作家自身の手という粗野な印象、原始的な性格の偶発的な質感は日石器時代マドレーヌ期の洞窟画の手形や、 日本の前史時代の土器、 土偶をさえ思わせる。
これらのイメージを表現する方法は、 エッチング技法とビュラン彫りで仕上げた版 (亜鉛版あるいは銅版) に主にシルバー色のインタリオをつめ、版表面にゴムローラーでのせた別の色と一緒に同時印刷するというものである。オノはシルバー色のインタリオによって色彩がさらに織密になることを発見した。限定されたほとんど不透明な色による空間。それゆえ、 最終別りの作品は、画家というよりむしろ彫刻家や金細工職人の技術により近い彩色レリーフとなっているが、それは空間のもっと微妙な意味合いを有している。
於パリ、1978年5月13日 訳 宮崎洋一
 
※1 スタンリー·ウィリアムヘイター
画家 / 版画家 / 銅版画において一版多色刷り(ヘイター別り) を考案

 
 

Breath of Fire Ⅷ


 
 
略歴
 
1946年
・11月13日 宮城県亘理町新井町に生まれる
1974年
・渡仏
・アトリエ 17 (S.WHayter)にて銅版板画を学ぶ
2007年
帰国 仙台にアトリエを構える
2013年
・9月10日 没
 
 
グループ展歴
 
1976年
・第5回イギリス国際版画ビエンナーレ (ブッドフォード-イギリス)
・第2回イビサ国際版画ビエンナーレ (スペイン) 
・第2回カンヌ国際グラフィックピエンナーレ (フランス)
・サロンドートンヌ展 (グランパレ-パリ)
・今日の版画展 (Don-Q アートハウス – 仙台)
・第12回マドリッド国際版画展 (スペイン)
1977年
・第13回リュヴリアナ国際版画ビエンナーレ
・アトリエ 17展 (サンマテオギャラリー,コリドーギャラリー,フォースター市立美術館-USA)
1978年
・第4回ノルウェー国際版画ビエンナ (ノルウェー)
・アトリエ 17 50年記念回顧展 (ブルックリン美術館 ニューヨーク-USA) 
・アトリエ17展 (ルクセンブルク)
1979年
・第5回神奈川アンデパンダン版画展 (神奈川市民ギャラリー)
・アトリエ17展 (ルクセンブルク)
・グループ13 (ギャラリー·オジマ パリ)
1980年
・グループ13 (ギャラリーロオジマ パリ)
・第4回マイアミ国際版画ビエンナーレ (メトロボリタン美術館-USA)
・現代日本画6人展 (ギャラリーエディションズ オーストリア)
・ブーメラン展 (サンヴァン フランス)
・黒と白によるデッサンと版画展 (ギャラリーFRAC パリ)
・オブジェ展 (ギャラリー FRAC パリ)
・アトリエ 17展 (サンパウロ – プラジル)
・アトリエ 17展 (サルセル文化センター フランス)
・グループ展 (アートヨミウリ パリ)
1982年
・Epreuves d Artiste (アルジョントイユ文化センターフランス)
・アトリエ 17展 (ギャラリー GOTZ シュトゥットゥガルト-ドイツ)
・5人のヤングアーティスト展 (ギャラリーFRAC パリ)
・ヘイターアトリエ17展 (コーン近代美術館 ノルマンディーラランス)
・La Gravure dans Tous Ses Etats 展 (サンヴァン フランス)
1982年
・アトリエ 17展 (大阪府立現代美術センター 大阪)
・2es Rencontres de 1 Estampe (サルセル文化センター フランス)
・シンガポール国際版画展 (シンガポール)
・アトリエ17展 (ギャラリーIL LUOGO ローマ-イタリア)
・ヘイターアトリエ 17展 (平松画廊 大阪)
・ヘイターアトリエ17展 (ギャラリー紅 京都)
・ヘイターアトリエ 17展 (アトリエ西宮 西宮)
・グループ展 (ギャラリー GOTZ シュトゥットゥガルト-ドイツ)
・グループ展 (ギャラリーILLUOGO ローマ-イタリア)
・プレスパピエ展 (ストラスブルグ-フランス)
・アトリエ 17展 (ギャラリー GOTZ シュトゥットゥガルトードイツ)
・グループ展 (ギャラリーシュネイデッガ チューリッヒ-スイス)
・グループ展 (ギャラリーカネム スペイン)
・モン・ドゥ・マッソン国際版画展 (フランス)
・グループ展 (ラシャサーヌ文化センター フランス)
・第17回リュヴリアナ国際版画ビエンナーレ (ユーゴスラビア)
・グループ展 (ヴェノスアイレス近代美術館 アルゼンチン)
・グループ展 (ギャラリールキューブ パリ)
・グループ展 (ギャラリー·J-C リエデル -パリ)
 
 
個展歴
 
1974年
・Don-Q アートハウス (仙台)
1978年
・シロタ画廊 (東京)
・十字屋画廊 (仙台)
1981年
・アルジョントイユ文化センター (フランス)
1982年
・アート・フロントギャラリー (東京)
・ライブ・スペースアートギャラリー (新潟)
1983年
・アート・フロントチューリッヒ (スイス)
1985年
・ヒルサイド・ギャラリー (東京)
・アート・フロントギャラリー (東京)
・ギャラリー・ラ·コントル·エスパス (ストラスブルク)
1989年
・ギャラリーJ.C. リエデル (パリ)
1990年
・ギャラリーJ.C.リエデル (パリ)
1993年
・アトリエ・サン・クルー (静岡)
・ギャラリー J.C. リエデル (パリ)
1997年
・宮城県美術館県民ギャラリー (仙台)
・ギャラリー青城 (仙台)
2003年
・ギャラリーJ.C.リエデル (パリ)
2006年
・ギャラリーJ.C.リエデル (パリ)
2013年
・SARP (仙台)
 

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