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Interview: Rie Kito

トレードマークの折り鶴をモチーフに「WISH」と命名された作品。
サンフランシスコでストリートアーティストとして名を上げた日本人女性、Rie Kito

 
 

“ とにかく反抗心が強かった „

 
 
行動美術協会に所属し、アメリカでも活躍した芸術家の父・鬼頭正人に絵を教わりながらも、大学時代は舞踊の世界へと進み、アメリカ・サンフランシスコへ留学。
 
「父は美大在学中に学生結婚して、私と兄が生まれました。父のアトリエでよく絵を描かされたり、父が開いていた絵画教室にも通わされていたりしたんですが、父とすごく対立しちゃうんです、絵のことで。他の生徒さんの邪魔になるって言って辞めさせられました(笑)その後も反抗心からずっと無視してたんです、絵のことを。絵の代わりに踊りをやって、踊りでアメリカに行って。踊りでやっていこうと思っていたのですが、アートにまた戻ってしまいました」
 

アートの世界に戻るきっかけとなったのは、建物、路上、電車など、目に付く公共の場所を支持体とするストリートアートとの出会いだった 

 
「それまではキャンバスや紙の上に描かれた絵しか見たことがなくて、こんな自由なアートがあるんだと思って、やってやろうじゃない!と思いました。その時も父に反抗するつもりで(笑)父が個展でサンフランシスコに来る機会があったので、そこで困らせる…というつもりじゃないんですが、少し暴れてやろうと思ってストリートアートを始めました。父に対してだけじゃなくて、本当に反抗心が強かったんですよ。正直、当時はパンクだったんです。アメリカに来たらますます反抗心が強まって。世間に対して何か表現してやろうという思いがあったんです。ただし、汚そうとは微塵も思ってなくて。ぐちゃぐちゃで何描いたのかわからないようなビルの壁を汚すだけのものを私たちはストリートアートとは呼んでいませんでした」
 

鬼頭正
父・鬼頭正人氏

 
Rie Kitoさんはそれまでヴァンダリズムが主だったストリートアートを芸術行為へと塗り替えるムーヴメントの一端を担った。
 
「ストリートアートと言ってもスプレーからステッカーやポスター(ビラ)貼りといった様々な手法がありますが、私はtagging(タギング)という手法です。文房具屋さんで100枚セットで売っているネームタグ(名札)に1枚1枚ポスカで描いていくんです。で、それを貼ってコラージュアートにしています。今はもうストリートに貼ったりはしないんですが、ステッカーを使ってアートをつくるのは世界中で私だけのものだと思っているんです。繋げてアートにしていくという、私にしかできない作品。1枚1枚描いてから貼って仕上げているので最後まで仕上がりがどうなるかわからないんです。(定番作品なら)1枚の絵に70枚、折り鶴が70羽ほどいます」
 

夜中、街にステッカーを貼るRie Kito氏(1997、NY)

 
作品によっては自分のイメージに近づけるために上から塗ったりなど手を加えていくこともあるが、折り鶴以外は描かないと決めている。
 
「折り鶴の幾何学的なフォルムが好きなんです。でも日本では折り鶴というと“古臭くてダサい”というイメージなのがかわいそうで。だから私が折り鶴をかわいらしくファンキーにパンクにしてみんなに見せてあげようと思って」
 
 
鶴のイメージを一新し、NYにも招待され大反響を得たが、人生に行き詰まりを感じたことからすべてを停止し、仏教を学んだ。
 
「たまたま仏教徒の知人がいて、勧められたんです。“あなた仏教学んだほうがいいわよ”と。最初は笑い飛ばしていたんですが、もう本当に行き詰まって行き詰まってどうしようもなくなってしまって絵もバッタリやめて、そのときの友人関係もすべてシャットダウンして仏教を学び始めました。生きるってなんだろう、何のために生きてるんだろうって、生きる目的がわからなくなっちゃって」
 
 

“ ときを経て変わった鶴モチーフの意味 „

 
 
17年間シャットダウンしていた創作活動を再開するきっかけは母の病気だった。千羽鶴のアートを母に捧げたい一心でもう一度アートと向き合うこととなる。
 
「20年前、ネームタグ1枚1枚に折り鶴を描いて、1000枚作って街に貼り歩いていたんです。そのころは自分の願いが叶うようにと思ってやっていました。サンフランシスコとニューヨークでトータル8000羽くらい描いてて、1万羽に届かないくらいで封印してしまったんですが、病気になってしまった母を喜ばせる方法を考えていたときにもう一度この千羽鶴でコラージュアートを作ってみようと思いました」
 
 
支持体を街からキャンバスに変え、130号のキャンバスに1000枚貼っていく創作活動が始まる。ところが600羽ほどのところで母が他界してしまった。
 
「やる意味を失ってもう辞めようかと思いました。でも仏の道に入るときに、“自分に才能があればいつか世界平和のために鶴を描きたい”と仏さまに誓っていたんです」
 
 
再びアートの世界に導かれ創作活動を再開した2015年、作品を仕上げ、父の古巣とも言える「行動美術展」に出展し入賞した。
 

2015、行動展で入選。東京国立美術館にて1000羽の鶴を発表。

 
 

“ コラージュされた折り鶴1羽1羽に込められた願い „

 
「1羽を描く30秒間ほど、讃題を唱えています。一人ひとりが幸せになってほしいという思いを鶴1羽に込めて描いています」
 

自分の願いが叶うように夜な夜な街に貼っていた折り鶴のステッカーが現在は誰かのため、世界のための願いへと外に向けられ羽ばたいた。

 
「サンフランシスコ・アジア美術館が協賛するイベントで1000枚の折り鶴ステッカーを用意して、来場者の方にそれぞれの願いを込めて塗り絵をしてもらったんです。それを”1000 WISH for world peace(世界平和に込めた1000の願い)」と題して巨大な壁にコラージュしていったんです。こういう試みを世界中でやっていきたいです。」
 

壁一面の来場者の願い、”1000 WISH for World Peace”

 
 
 
アートを通じて世界平和に貢献。それこそがRie Kitoの創作活動の根幹であり、辿り着いた“生きる意味”である。
1羽1羽願いが込められた「WISH」、芸術作品としての華やかさも然ることながら、芸術を越えて願いを叶えるためのお守りになってくれる作品だ。

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