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Interview: 永田知里

自身の内面と向き合い続け、生まれてくるもの

 
 

“ 葛藤や苦しみから自己表現の世界へ „

 
 
―永田さんは現在、美術系の大学に在学して精力的に活動をされていますね。美術の世界に足を踏み入れたきっかけは何だったのでしょうか。

「一番のきっかけは、高校で美術部に入ったことです。普通科の高校だったので美術の履修は一年で終わってしまうと聞いて、美術部に入りました。そこから段々と自分の中で勉強よりも美術の比率が上がっていって、美大に進学することを決意しました。

でも、もともと小さい頃から絵を描くのが好きだったわけではないんです。小学校の時はむしろ強い苦手意識がありました。今は変わってきていると思うのですが、当時の学校の美術教育に私は『上手に描かなくてはいけない』という印象を持っていて、それが苦手だったのだと思います。

ただ、小学校5年生の時に怪我をしたことが大きなきっかけだったのかもしれないですが、それから自己表現をするようになっていったんです。それまではある種、周囲の期待に答えるように真面目に生きてきたけれど、『心の中ではこんなに苦しい思いをしているのに、表面上は上手くやっていかなければならない』というそのギャップをしんどく感じることが増えていて。自己表現のあり方を模索するうちに、美術という道へ繋がっていきました。」

―永田さんにとっての「描くこと」とは何でしょうか。

「先程も少し、小学生の時から感じていた心のジレンマの話をしたのですが、私の作品は自分の内面ー幼い部分であったり、上手く取り繕えない自分、自己肯定感の低さといったものをモチーフにすることが多いです。

だから私にとっての『描く』とは、嫌なことを忘れたり、時にはあえて再認識させるための工程であると思っています。

描いているときは、『何も考えないことを考えている』かもしれません。エスキース(下書き)なども殆ど作らず、その瞬間湧き上がってくるものを画面にぶつけています。」
 
 

“ 現実を受け入れ、自分を愛し、崇拝する „

 
 
―いくつかご自身の中でも印象に残っている作品の紹介をお願いします。

「3つあるのですが、1つ目は版画の『羽化』という作品です。

これは私が住んでいるアパートの部屋の光景を撮影した写真なのですが、部屋の片隅に私が小さいころに描いた自分の姿をシルクスクリーンで刷っています。この雑多な部屋=地の果てにいる今の自分と、幼い頃に夢見たキラキラした自分を対比させています。

あえて対比させることで、今の自分はどうやってもこうなのだから認めよう、であったり、過去を含めて自分を愛してあげられないか、という気持ちがあります。」
 
 


 

「2つ目はSMシリーズです。

私自身、SMの世界に触れる機会があったのですが、そこで得たインスピレーションを創作に活かしています。もともと、身体が女性であるがゆえに突きつけられる社会の不条理みたいなものに腹が立つことがあって。でもSMという、女王さまがいて、男性の奴隷がいるというような世界を知った時に、この社会は男性優位にできていると思い込んでいた自分の視野が狭かったことに気づいたんです。

これはSMで使われる鞭に油絵具をつけてキャンバスに叩きつけて描いた作品です。SMシリーズは今後も発展させていきたいと思っています。」
 
 


 

「3つ目はステンドグラスシリーズです。

大学の授業でステンドグラスについて学んだ時に、その歴史的背景や宗教的な価値を理解して魅了されました。西洋の大聖堂のステンドグラスは、聖書のストーリーを伝道するために作られたものです。一目見て荘厳で神々しく、文字が読めない人でもキリストの素晴らしさが分かるようになっています。本来キリストがいるところを自分に置き換えて、自分自身を崇拝の対象として描くこと。これも自己肯定のためのひとつの表現と言えます。」
 
 


 
 

“ 作品を通じて“共有”できる作家でありたい „

 
 
―様々な様式の表現に挑戦されているのが伝わってきますが、そんな中で永田さんの作品に共通しているのは「良い意味で不安になる」というか、「自分自身と向き合わせられる」感じがすることですね。

「そう言っていただけると嬉しいです。先ほども言ったように自身のフラストレーションの消化のために作品づくりをしている側面はあるのですが、やはり他の人が見た時に『ふーん』『あぁ、この人はこういう感じなのね』という感想で終わられてしまうのか、思考や感情を共有し、『自分はどうなんだろう』というところまで考えてもらえるのかでは作品の価値が大きく変わってくると思っています。」

―こういった自分の、負の部分を含めた内面をモチーフにしようと思ったきっかけはあるのでしょうか。

「さらけ出そうと思えたのは大学に入ってからだったと思います。自分の大学でも半分くらいの人は現代アートのようなユニークなプロセスを踏んだ作品づくりをしていて、そういう環境の影響もあります。あとは私の身近な友人が、家族の話、鬱っぽい時の話、生死の話といったプライベートなことをさらけ出していて、自分も自然とそちらの方向に進んでいきました。」

―今後の作家としての目標はありますか。

「私が美術をやっていてよかったと思うのは、私の作品を見てくれた人とある時縁が繋がって、『自分もそうなんです』とか、『自分はこう思いました』みたいな会話が生まれる時なので、そういう作品づくりをこれからもしていきたいです。
社会人として別の仕事をしながら絵を描くのか、画家として日本や海外を旅しながら描いていくのか・・・、それもまだ分からないですけれども。まだまだ成長過程でもあるので、現在の延長線上でステップアップを繰り返しながら、人生のどこかには必ず『絵』を置きながら生きていく。それが今のところの目標です。」

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