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Interview: 國枝愛子

会社員との兼業時代、
作品が売れなかったことで見切りをつけたのは
会社員としての自分でした。

簡単に自己紹介をお願い致します。

日本画家の國枝愛子と申します。
京都で生まれ育ち京都の美大を出て、その後就職で東京に出ていた期間があります。
その間も絵を描き続け、展覧会などに出展していましたが、今は京都に戻ってきて家族の協力のおかげで画業一本でやっております。有難い事に年々絵をお求めいただく機会も増えてきています。

東京にいる時も絵を描いて展覧会をやっていたのですか?

はい。やっていたのですが、結構当時は無理がありました。
1週間展覧会をやってもなかなか画廊に在廊できなくて、作品も思ったより全然描けなくて、思い通りに行かない期間でした。仕事をしながら作品をたくさん描く方もいますが、私は一極集中じゃないとできないと思い仕事を3年経ったところで辞めました。

この3年間のお仕事は美術と関係のあるお仕事でしたか?

美術とは関係のない結婚式場での接客業でした。
元々興味のある業界だったので、楽しかったのですが、体力仕事で激務でしたし、お客様がたくさん来てくださる土日は絶対仕事なので百貨店の展覧会に在廊することもできませんでした。しかも仕事をしながら絵を描いていると、当然のことながら絵の悩みよりも仕事の悩みに多くの時間を割いていました。

今は画家活動のことだけに集中できる状態になっていることを大変ありがたく思っていますが、あの時は中途半端でした。
それで関西に戻ってきました。画家としては最近までELEVEN Girls Art Collection(以下EGC)という画家のユニットにも所属していました。

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そこに所属していると、関西に住んでいても全国の百貨店でのグループ展に出展をすることができ、結果次第では徐々に二人展や個展などチャンスが広がってくるのです。もちろん厳しい世界なので、画家として生き残るために他の女性作家とはライバルとして切磋琢磨することになりました。

そこが活動の軸だったということでしょうか?

展覧会は年に2回あって、在籍も最大で3年と決まっており、その3年間で画家として成長していきましょうというスタイルですのでおのずと軸となっていきました。1年に2回の展示に賭けて、魅力的な作品をつくるために試行錯誤する日々でした。

2月の広島の福屋八丁堀本店の展覧会でEGCを卒業をしたのですが、今ではEGCOGとして新しい仕事をいただいたりしております。

比較的百貨店での仕事が多いのでしょうか?

そうですね。
一見よさそうには聞こえますが、数字にはシビアな業界なので毎回すごく緊張しています。

年に何回くらいやっているのですか?

EGCの活動や違う展覧会に参加したりすることもあり年に3~4回ですね。
ただEGCの中でも競争があって、画家としての上昇志向のあるやる気のある人たちばかりなので3年間の中で絵ももちろん、精神的にもものすごく鍛えられました

私の作品はどちらかというと落ち着いた雰囲気の絵なのですが、どうしても他の女性画家のインパクトのある作品には負けてしまうことがあります。グループ展の宿命ですね。ただ、他の人と同じような絵を描いても仕方ないので、自分は自分のスタイルを崩さずにやらないといけないと割り切った後は気持ちが楽になり、まわりにふりまわされず自分を高める事に集中した結果、作品も良い方向に向かっている気がしています。

芸術好きの家庭で培われた感性と、
追求している独自性

絵を描き始めたきっかけは何かありますか?

幼稚園の時からよく絵を描いていて、親が言うには小さい頃から画家になると言っていたようです。小学校の時に漫画家になると一度変わりましたが、やっぱり画家になりたいと思いました。
一つの画面で完結して世界観を出せるということがすごくカッコ良いなと、憧れがあってそのま画家になったという感じです。

小さい時には絵画教室などは通っていたのですか?

通っていませんでした。
美術部も入っていなくて。中学の時は吹奏楽で、高校は帰宅部で画塾に通っていたのです。美大に入りたいと思って。

中学の時は美術部などはなかったのですか?

あったのですが、サブカル系で、私はアニメや漫画を描きたいわけではなく、あくまでファインアートの方に興味があって、
女子校というのもあって、ちょっとコアな空気が苦手で結局入部しませんでした。
漫画も好きだったのですが、ストーリーを考えてというよりも絵画は一つの画面で感情などを伝えることができる事がとてもストレートな感じがしてそれがよかったのです。

それと私の両親は芸術全般が好きで、父が音楽関係の仕事をしていて家でずっとクラシックが流れていました。美術館も小さい頃から連れて行ってもらったり、今でも「良いコンサートあるから行かへん?」なんて誘われることもあります笑
音楽もまたちがう分野ですが同じ芸術なので作品のヒントになる事もあります。私の生まれ育った環境はよかったですね。家にいろんな巨匠の画集があったので見ていました。なので、全然違う環境から絵の世界に入ったというよりも、下地はありました。

では、自宅には結構國枝さんの作品が飾ってあるのではないですか?

あまり飾っていないですね。
簡単な絵とかはあるかもしれません。
うちの両親は絵は描かないですが、絵の歴史や知識はすごく持っていました。

私はどちらかというと右脳で考えて、感覚で「この画家さん好きだな」とい思うタイプで、あまり知識ではなく感覚派ですが、私の両親は知識や教養がすごくあるタイプでした。
なので、今でも私の絵を見る視線が完全に素人ではありません笑

國枝さんの作品は基本自分の感性が優先になっているのですか?大学で学んだことがベースですか?

今は感性ですね。
私は団体展に所属していないいわゆる「無所属」の画家なので、自分で構図や色彩を考えて自分でスケジュールを決めて展覧会を迎えることになります。
大学に通っていた時は先生に見てもらい「できた作品に対してどう突っ込んで仕上げていくか?」などのアドバイスをいただいていたので、その4年間はすごく重要だったなと思います。
ただ、もちろん大学なのでアカデミックな雰囲気で自由に描けていなかった気がします。

画家はオリジナリティが大事になってくるので、今は自分で考えて観る人にどう魅力にうつるかや、自分の強みは何なのかなど、まだまだ未熟ではありますが自由な画風を意識しながら分析して絵を描いています。プロの世界に入って大学で聞いた事と実際は違う事などがあり、衝撃的でした。
もちろん絵の基礎は大事なのでそれをふまえて、自分の作品のオリジナリティを高める事、自分の感性をいかに画面上で表現できるかを常に考えて絵を描いています。

子供のころから独特なお子さんでしたか?

どちらかというとおとなしいタイプでしたが、周りからは面白くて個性的な子と言われていました。絵でいうとすごく変な絵を描いていたりとかはなかったと思います。

小学生の時は猫のマンガを描いていてクラスで有名でしたし笑
学生時代に文化祭の演劇の時に大きな背景を描いたりしていましたね。
確か優勝したんじゃなかったかな?自分なりに得意分野を活かせたのがすごく嬉しかったです。

國枝さんが作品を描く上でご自身の強みとか特徴と思う部分はどこですか?

最も大事にしているものが色彩です。自分が得意だったということもありますが、今まで気に入った作家さんの作品でよく観察していた点も色彩でした。

私の作品はブルー系が多く、日本画でありながら同系色の中で複雑な色層を作るのが好きで、重なりの中に複雑な色が生まれるのでそういった魅力を見せていきたいと考えています。また色彩は思いを伝えやすく私が描きたい感情や情緒を表現するのに適していると思います。

モチーフは風景が多いです。写真ではないので写実的に描くのではなく、自分の中で見えた別の色や自分が感じた色を描くようにしていています。
だから取材には行きますが、実際とは違う色を使うことも結構あります。また、現地での感動を大切にするようにしています。

最近では、山口の岩国にある錦帯橋を描いて欲しいというオーダーがありました。訪れたこともなく錦帯橋をあまり知らなかったので全くイメージがわかず、これは行かなきゃいけないと思って、実際に行ってきました。
また私は風景でも、夢とか記憶の中の風景や、静けさのなかの思い出などを心象風景的に表現したいという考えがあります。モチーフは日本や外国の風景ですが、みなさんには「これ日本画なんだ」と言われることも多いです。

今でいう日本画とか美人画など絵画にもブームみたいなものがあり、流行りの路線に乗せると確かに売りやすいのかなとは思うのですが、売れるために無理やりそういうブームに合わせるのは違うなということがわかりました。なぜなら私がそれを描いても魅力的にならないからです。心が宿った絵が魅力的な「欲しくなる」作品になるという事を、展示を通して学びました。つまり結局は私が描きたいものを描く事が大事だと思っています。

年間で何枚くらい描かれますか?

50〜60枚くらいですね。
今は展覧会がたくさん控えているのもありますが、ずっと家で描いています。

6月の銀座、7月に横浜での展覧会と、あとは京都ならではですが、神社に行燈の絵を奉納する予定なのでそれもあって今は少し立て込んでいますね。

影響を受けた作家さんや尊敬している作家さんはいますか?

色彩の多様性を求めるために仕上げに洋画の絵の具を使ったり、また日本画でありながら塗る作業が多いので、洋画の画家さんの影響が強くて、一番尊敬しているのがオディロン・ルドンというフランスの画家で、晩年パステルや油絵の具で色彩豊かな作品を描くようになった人物です。色彩はこの方を参考にしています。

2年位前に東京の三菱一号館美術館でルドン展をやっていて見に行ったのですが、画材に膠を使ったり、屏風も描いていて意外と日本的なところもある方ですごく共感を覚えました。
また、ルドンは非常にモチーフが幅広いですが、オリジナリティがあるので何を描いてもルドンだとわかります。私自身も将来的には何を描いても、私の作品だとわかるような画風を目指していきたいなと思っています。

作品が売れないから辞めた
会社員の道

画家として最も嬉しかった時のことを教えてください。

初めて売れた時ですね。
逆に最も辛かったのは展覧会で1枚も売れなかった時です。
ギャラリーの方に申し訳ないし、自分に対しても情けない気持ちでいっぱいでした。作品が自己満足で全然人に伝わっていないなと感じた瞬間でした。

その時は初めての百貨店展示で15点くらい展示はしましたが、作品の質、展示にむける姿勢、いろんな意味で中途半端でした。このままでは厳しい世界では生き残っていけないと痛感しました。
自分自身の中途半端さが嫌でした。

その経験が画家として一本でやっていこうと思ったきっかけですか?

きっかけでもありましたね。
当時はどこかに勤めながら絵を描くということしか、選択肢がないと思っていたのですが、アートマネジメントを学んだりして会社員を辞めて画家一本でやっていく決意をしました。

画家でも会社員でもどちらでも良いくらいの方だと、そういう時「会社員としてやっていこう」って思う人が多いと思いますが、そこで「画家としてやっていくには・・・」の思考だったことがすでに画家としてやっていく覚悟が決まっていたということですね。

言葉にするとそうかもしれないですね。描けないことや描かないことがどうしても許せなくてなにをしてるんだろう、と思いました。
ただ今思うと、社会人の経験もした上で画家になっていることはよかったなと思っています。その時の経験や悔しい思いが今の原動力になっている気がします。

ちなみに1枚目が売れた時も百貨店?

はい、仕事を辞めたくらいのタイミングで何回か展示をさせていただきました。その時興味を持ってくださったお客様がいて、「応援していただけると嬉しいです」と一生懸命接客をしました。

小さい絵だったのですが「じゃああなたに投資しよう」と言ってくださって、本当に嬉しかったです。
今でも絵をお求めいただいたお客様からメールで絵を飾っている写真が送られてきたり、画家をしていて誰かの家庭に私の絵で憩いを提供できているかと思うと唯一嬉しくなる瞬間です。

國枝さんの中でもっとも自分らしいと思う作品はなんですか?

基本的にはみんなが良いと思う作品だと思っていて、それが「木漏れ日」というシリーズなのですがこのシリーズは、何回も描いてくださいというオーダーをいただいたりしています。

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雨や夕暮れなどしっとりした作品が多いですが、こういう爽やかで明るい作品がお客様は好みなんだと思った作品ですね。ただ、自分の中で最も気に入っているのが「月夜の雨」という作品です。

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銀箔を刻んで削って張って雨や光を表現している人ってあまりいないのと思うので、私のオリジナリティになるのではないかと思い模索中ですが続けています。
月というモチーフも自分の気持ちを込めやすくて、私自身しっとりした感傷的な雰囲気が好きなのでその雰囲気も出せたし、月の表現や、銀箔も使えたことなどもあって気に入っています。

國枝さんが今後挑戦していきたいことや方向性などを教えてください。

コンスタントに良い作品を作り続けたいということと、今後公募展やいろんな企画展に挑戦したいですし、あとは海外で発表していくことです。一点だけですが今年はじめてイタリアの水彩祭に出展する機会がありました。
特に海外には興味を持っているので、色々な条件やハードルはあると思いますができる限り挑戦していきたいと思っています。

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