「2020年から、独学でアート制作を始めました。きっかけとしては、コロナで子どもの学校が1ヶ月休校になったことでした。私が元々塗り絵や工作が好きだったこともあり、『お絵描きしよっか』って、久しぶりに遊んだんですよね。そのときに、色を塗るのがとにかく気持ち良くて。『あー、楽しい!』とすごく感じたんです。仕事にしたいぐらい夢中になれることはなかったので、ずっと探していたんでしょうね。『これかも!』としっくりきた感じがありました。『もっと表現したい』って思ったんです。」
京都生まれ京都育ちで、現在も京都を拠点に活動をされているAyaさんは、未経験から創作活動を始めたことを、はんなりと朗らかに話す。小さい頃から塗り絵や工作が好きで、よく美術館に連れて行ってもらったというAyaさんは、大人になってからもアートや鉱物を見ることにときめきを感じていた。しかし、一方で、自らが創作することに対しては、「自分にはそんな才能はない」と距離を置いてしまっていたという。
「就職のタイミングでは一般企業の事務職を選び、そこで7年ほど働いていました。今の活動とは一切関係ない仕事をしていましたね。私は映画やアート、アニメ、旅行、ランニングなど好きなことがたくさんある人間なのですが、当時はそれらを仕事に繋げようとは露にも思わず、『趣味だしな…』とどこか諦めていたんです。セルフイメージもめちゃくちゃ低く、『自分には才能がない』と思っていました。」
「夫の転勤のタイミングで、アメリカのシカゴに4年ほど住んでいました。その時に感じたのが、日本は窮屈やなということ。アメリカの自由な雰囲気が自分に合っているなって。帰国すると、『何々しなければならない』とか、『 母親ならこうしなあかん』とか、『普通はこうやから』とか、そういった風潮をより一層感じるようになり、嫌になっちゃったんです。それで、少しずつ思い込みや自分に課していた当たり前を外していきました。『専門の大学に行ってへんから』『未経験やから』などの先入観を外せたから、やっと絵を描くことを自分に認めてあげられたと思います。」
知らずのうちに一般論やべき論で自分を縛ってしまっていたというAyaさん。海外文化に触れたことをきっかけに、自分が望む生き方や在り方に気づいたそう。その姿勢はアート制作を始めてからも変わらず、より自由な表現に進化させていっている。
「最初は初心者なので、デッサンをしたり、見たままの風景を模写したり。ですが、それがだんだん窮屈だと感じるようになったので、小さい時に好きだった切り絵と似たコラージュの作風に。しかし、コラージュも頭でデザインをする必要があり、そのデザインの工程をしんどいと感じるようになって。そこから、和紙と絵具を組み合わせて描くミクストメディアという表現方法を経て、現在は、絵具だけを使う抽象画を。抽象画は、色だけ決めて、あとは何にも考えずに描き始めます。私は本当はもっと自由な人間なんですけど、これまでいろんなことに合わせて生きてきたので、本来の自分を開放したいんだと思いますね。今の即興みたいに創っていくスタイルが、楽やし楽しい。創作を始めてからも、自分を楽に自由に表現できる方法に変わっていっていますね。」
「特に思い入れのある作品は、『no.48』です。実はすぐには描けなくて、『もう嫌や』と、感情のままにブルーのローラーを引いて思いがけずできた形を、『あ、面白いかも』と思えたことからできた作品なんですよ。プラスで線を加えて、完成した作品を見たときには『そうそう、こんな絵が描きたかったんや!』と思いました。どんな絵でも、面白い部分が出るんです。そういった面白い部分を見つけて描き足していくのが、私のスタイルですね。」