■はじめに 私が二十歳の頃、父がアナフィラキシーショックを起こし、病院に運ばれました。幸い数日の入院で済みましたが、父ひとり子ひとりの父子家庭で育った私は、この出来事から、いつか来る肉親との別れを強く意識するようになりました。以後、父が長生きしてくれる事を祈り願い続けて来ました。私が生生流転をテーマに制作を始めた理由は祈りにあります。
■テーマ1 「生生流転」について 私の絵画の舞台は、赤道直下の、どこかにある熱帯雨林です。熱帯雨林は私にとって命が生まれる場所です。私はこの熱帯雨林を、人のいない、一切の悩みのない楽園として想像します。 私は、この楽園の花・果実・種・草木・雨が「振動する様子」や、「落下する様子」を描きます。「振動する様子」は、花・果実・種・草木の生命の営みを表しています。「落下する様子」は、花や草木が枯れ、種が落ち、雨が大地を潤し、種が芽吹き、この楽園が作られる光景を表現しています。 この楽園では日々淡々と生命が循環しています。ここには人がいない為、死への悲しみも恐怖もありません。また生きる事の意味や、死ぬ事の意味も求められる事はありません。私はこの楽園を描く事で、人が多くの経験を積みながら生き、そして死に行く事の意味を考えます。そうしていく中、次第に私はもう一つのテーマについて取り組むようになりました。それは次のテーマです。
■テーマ2 「悠久」について(画面の亀裂、分割について) 私は古い壁に対峙した時に「悠久」を感じます。そして新しい壁と古い壁を見比べた時、古い壁の方に、その後のながい未来があるように感じます。私は作品に、古い壁の「悠久」の印象を取り込みたいと思いました。何故なら「生生流転」というテーマを通して、生死について思索する私にとって、「悠久」は悲願だからです。
(ちなみに絵画面の割れは、地動によって生じた歪みから出来た亀裂のイメージであり、そして格子状に切られた画面は、積まれたブロックのイメージです。私はブロック状に画面が分割されている方が、私の抱く壁のイメージに近いと考えました。また私は画面を出来るだけ平滑にしたいと考えています。私がイメージする壁は、ながく風雨に晒され、次第に凹凸がなくなり、平滑になっているからです。逆を申しますと私は画面が平滑でなければ悠久を感じない為、画面から多くの絵の具を削り落とします。結果的に細部は消え、形象は抽象的になります。絵の具の剥落させる事についても同様の考えに因るものです。)
以上の思いから当初、私は画面を切り、そして割る事を始めました。しかし次第に私の中で、それまで以前とは異なる考えも付加されるようになりました。少し話は逸れますが、私にとって絵画は、自分の分身であり、心を映す鏡だと思っています。これを踏まえて話を戻します。ある時、私は画面の亀裂が、私自身の(人生経験を積む中で負った)傷のように思えました。そうして画面を眺めると、格子状に切られた画面は、私が生まれる以前に負った傷、つまりは私たち人類の原罪から生じた傷を表現しているのではないかと思うようになりました。私は以前より増して、(画面を切り、そして割る事によって)人が多くの経験を積みながら生き、そして死に行く事の意味を考えるようになりました。
■「鈴」について 私は生死、そして命について考える中で、物の命についても思いを馳せるようになりました。日本には、つくも神という考えがあります。つくも神とは長い年月を経た物に宿る精霊の事です。つまりは物にも命があるので大切にしようという教えだと理解しています。私も、こうした教えに疑問を抱く事なく子ども時代を過ごしました。ですが、大人になった私はリミットばかりに目を向け、その他の事に思いが至らなくなっていたと気付きました。そのような私に、思い直すきっかけを与えてくれたのが、つくも神という教えです。私は今、物は大切にすれば長持ちするという考えと同様に、命もまた大切にすれば長持ちするのではないかと思っています。 私は、この思いを忘れない為に、絵画の中に鈴を入れました。鈴は、絵画が振れ動くに伴って、絵画の内部に衝突して、小さいノック音をたてると同時に、鈴の音を鳴らします。この音を聞く事によって私は、つくも神を思い出す事ができるのです。
■あとがき テーマ・コンセプトについて 私は、物を大切にと言いましたが、絵画を切り、割り、剥がし、削る事によりダメージを与えます。また命を大切にとも言いましたが、大切な父とは離れて暮らしています。私のコンセプトは矛盾しています。この他にも矛盾があります。ですが、どれも私にとって重要であり、また矛盾の中に大切な物事が隠れていると感じております。 今後も先に述べましたテーマ、コンセプトを中心に据えて制作に取り組みたいと思っております。重いテーマですので、画面はなるべく鮮やかでいて軽快、爽やかな画面にしたいと思い日々制作しています。また、そうする事で、気持ちが晴れて救われる気がしています。
【略歴】 1981年 ・岡山県倉敷市児島に生まれる 2000年 ・倉敷市立短期大学 服飾美術学科 入学 2001年 ・洋画家 森田康雄(独立美術協会会員)に師事する 2002年 ・倉敷市立短期大学 服飾美術学科 卒業 2003年 ・倉敷市立短期大学 専攻科 服飾美術専攻 入学 ・第40回 関西独立展(大阪市立美術館) 2点入選 2004年 ・第41回 関西独立展 ・第72回 独立展(東京都美術館) 2005年 ・倉敷市立短期大学 専攻科 服飾美術専攻 卒業 ・同学 非常勤講師兼任助手 (~06年度) ・第42回 関西独立展 奨励賞受賞 ・第73回 独立展 2006年 ・制作を休止する 2021年 ・離職を機会に制作を再開する 2022年 ・第57回 昭和会展(日動画廊/東京・名古屋・福岡) ・第12回全国公募西脇市サムホール大賞展(西脇市岡之山美術館) ・第61回ミニヨン展(日動画廊/東京)
岡山市北区在住 倉敷美術協会会員 山陽新聞カルチャープラザ講師
「向日葵と岬で日没を見る~ 熱帯 生生流転の図 ~」川上智久
60,500円
私は離れて離れになった信仰と美術を再び結び付けようとしています。 ここで申し上げる信仰とは、陽に照らされた光景に神聖を感じ、それを愛する行為です。
作品名の通り、この作品は太陽、ひまわり、岬を描いています。 抽象的な画面の中に、これらを見付けて頂ければと存じます。
絵具:アクリル絵具 下地剤:炭酸カルシウム・酢酸ビニル樹脂 支持体:ベニヤ板・寒冷紗(パネル仕立て) 制作年月日:2022年10月13日(木)
※この作品には意図した亀裂があります。鈴は付いておりません。売約後に額装致しますのでお時間を頂きます。