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インタビュー

安栖 千晶

Asu Chiaki

私の名前はAsu Chiakiです。
安栖(Asu)の名前、これは私の姓です。私のファーストネームは千晶(Chiaki)です。そして、私の名前は本当の名前ではなく、アーティスト活動の仮名です。
しかし私は作品を公開するインターネット上で英語的なChiaki Asuのような表記ではなく、日本語的にAsu Chiakiと配置している為、どちらがファーストネームであるか混乱する人も居るでしょう。
姓「安栖(Asu)」は、仏教の神々の1人である「阿修羅王(Asura King)」に由来するためファーストネームの位置に付けられました。
古代サンスクリット語で「Asu」は”生命と呼吸”を意味します。 私が生き物をアートワークにするときは、生き物への敬意と感謝の気持ちを込めて、英語表記をする場合もファーストネームの先頭に常に「Asu」を付けています。 日本には、生き物や物質、すべてに神の存在を感じる「八百万の神」という精神があります。
私は動物や木が好きですが、未だ肉を食べますし木材を材料に作品を作ることについては肯定的です。私が真に提言したいのはよりナチュラルで民族的な自然とのバランスの共有です。
中でも日本古来の八百万の神々への畏怖と崇拝と美的感覚は類まれなる素晴らしい精神です。
私は自分のアートワークの中で作品や言葉や制作の姿勢によってその自然崇拝を体現していきたいと思っています。

私は作品中や作品の哲学に仏教やその他の宗教が色濃く反映されます、私の家庭の宗教は日本でごく一般的な仏教でしたが、幼稚園はカトリック教の幼稚園に通っていたことで愛や平和を思う気持ちが根付いたのだろうと思います。その為私の宗教観はとても多様です。
彩色切り絵で光の演出でステンドグラスをイメージしているのは、カトリックの幼稚園の宿舎や教会にステンドグラスが多く使用されていたので身近で印象深く記憶に残っている為です。
 

私が2007年に「彩色切り絵」にたどり着いたのは自身が日光アレルギー・紫外線過敏症を罹患していたことによる人生観の変化でありました。
学校にはほとんど通えていません。中学校の半年間しか教育を受けませんでした。
今でこそ原因が分かり、この数年で劇的に症状も治まりましたが、私の場合は食物アレルギーとも関連した大変厄介なタイプでその症状は枚挙に暇がありません。
幼少期から原因不明の体調不良で病院を転々とし、原因がわかるまでにあまりにも長い時間を要しました。
特にこの病気で辛かったことはほんの僅かなランプの紫外線に暴露されただけでも一日中絶え間なく蚊に刺されたような痒みが始まり、少しでも瞼に触れると更に腫れ上がる、そのような症状が数日かけてじわじわと目が開けられない程に腫れ上がることでした。

それは笑顔を作ることがどんなアクセサリーよりも美しいことを知ったかもしれません。

「宝石を求めるな。
 宝石商を探し求めよ」

これは古典文学のアッタール作・黒柳恒男訳「鳥の言葉」に出てくる好きな言葉のひとつです。

眠りにつくと決まって涙液が止まり、瞼が眼球に貼りつくので目薬を差すよりも先に目を動かすと激痛の後に視力が無くなることもしばしばです。
生活は常に黒いサングラスと帽子と手袋と分厚い黒い衣服で覆われた暗闇の中でした。

人は愚かなほどにそんな姿を笑っていきますが、しかし、どんな小さな光も美しく見える場所だったかもしれません。
人目を避けるように逃げ込んだ自然の中からは命の美しさと尊さ、自然の精霊に祈る心を教えられました。

何年も絶望の中をただただ歩くようなある時、夕暮れの散歩道でどうしても裸眼でほんとうの色彩を見たくなってサングラスを外したことがありました。
そこにある普遍的な変哲のない田畑と、人魚の鱗のような川面から輝く雲の夕空に向かって飛び立つ鳥たちに、
そこに神がおわしますか。
「この世界は美しい。」とブッダが最後に言ったという、
その言葉の意味が、ほんの少しだけわかったような気がした瞬間でした。

「あの空に飛んで行くこの鳥は
 かの国で聴いてはならない神の御名を知るのでしょうか」

カラフルで好きな衣服を身に纏い、輝く色彩を見ることができるということは、とてもとても幸せなことです。
だからこそ暗闇に棲む者にとっても輝く彩りにあふれた世界を与えたいと、色彩と光を融合した「彩色切り絵」に思いを込めて制作に取り組んでいます。

またその色彩や日本画的な作風の背景には幼少期に出会った伊藤若冲との出会いが強く影響しています。
小さいころから鳥が大好きで鶏を飼育していたこともあり、母の勧めで初めて若冲の色彩美に触れた時大きな衝撃が走りました。
若冲は裕福な商家の生まれでありながらも早々に世俗を離れて絵画と禅に傾倒し、当時全盛の狩野派とも競わず、普遍的で身近なものにこそ神を見出だす心向きは、それまでおよそ高貴なものとは程遠い身近な鶏を神のように描き出しました。
晩年「米斗翁」と呼ばれた若冲は、一斗の米と引き換えに絵を描き、生涯独身で酒を飲まず信仰心厚く質素な生活を善しとして生きたその清貧さと高潔な精神に深く感動しました。
以来私は日本画の趣向に強く惹かれることになります。

私は以前
「写りの悪いカメラが好き。
設定次第で自分らしさが出せるから。
例えば尾ひれの曲がった(売り物)にならないような安売り金魚の方が好き。
愛するために飼ったことをいつも感じさせてくれるから。
揃いすぎたものは何がしたかったのかわからなくなるから」

と話したことがあります。しかしこれはプロカメラマンや精巧な職人に対して、受けとり手によっては語弊を生むかもしれないと思うので、「侘びと寂び」について自分なりにまとめた解説をいたします。

まずこの考えの詰まるところは禅宗の侘び寂びの思想に基づくものです。

先に述べた私が幼い頃から敬愛してやまない伊藤若冲もまた、後年、禅宗に深く傾倒してゆきました。
禅の教える侘び寂びとは悟りを得るまでの禅の哲学から生まれた美意識です。
だからこそ、完全・対称・規則的なものは終わりがあって、悟りに至る心の過程が生まれません。
非対称で不規則で不完全なものには終わりがないので、そこに悟りを目指すことによって美意識や価値を見つける心の働き、精神性が評価されるのだそうです。

侘び茶の祖といわれる村田珠光が言った
「月も雲間のなきは嫌にて候」
(光り輝く満月よりも雲から見え隠れする欠けた月の方が趣があって美しい)

「藁屋に名馬繋ぎたるがよし」
(豪奢な振るまいができる身分であっても、それを善しとせず、粗末な藁の家に高価な名馬を繋ぐような精神でいることが望ましい)
この言葉こそ侘び寂びの真髄とも言えるそうです。
実際に彼は粗末な道具や品物を善しとして茶席を設け客人をもてなしたそう。

禅は自然の原理や欠けたものの内側から滲み出る価値に気づくために、表面的な複雑さを捨てて、
簡素で静寂な場所に身を置き、あらゆるものを受け入れる受け身でいることが必要とのこと。

侘びは「わびしい、貧しい、粗末である」という様子から。
寂びは「寂れる」経年によって生ずる古びた様子。または静寂。

明瞭な物質的な価値に満足することなく、欠けているもの不完全なものにこそ価値や趣きを見出だすことは、
つまり人びとが本来持っている仏性を見つけることであり、禅の目的と合致するのだそうです。

このことから、私の作品において、うわべだけの美しさに囚われず、すべての生きているものに尊さと美しさを見出す制作のプロセスに繋がっています。
この侘び寂びと禅の思想は、彩色切り絵だけではなく、後で記述する木の写真の千栗八幡宮シリーズの基本理念として反映されています。

貝原益軒氏が「養老訓」にて述べる「楽しみ」の心得についてこのように述べています。
「ひとり家にいて、閑(しずか)に日を送り、古書を読み、古人の詩歌を吟じ、香をたき、古法帖を玩び(もてあそび)、山水をのぞみ、月花をめでて、草木を愛し、四時の好景を玩び、酒を微酔にのみ、庭でできた園菜を煮るも、皆是心を楽ましめ、気を養う助けなり。貧賤の人も此楽しみつねに得やすし。もし此楽をしれらば、富貴にして楽を知らざる人にまさるべし。」

「欲になやまされずに、天地万物の光景の美しさに感動すれば、その楽しみは無限である。この楽しみは朝夕に目の前に満ちている。これを楽しむ人は、山水月花の主人であるから、人に求める必要がない。金で買う必要もない。(中略)およそ世俗の楽しみは心を迷わし、身をそこない、人を苦しませる。君子の楽しみには迷いがなく、心を養う」

この精神は真善美であり、真に自然と芸術と愛が一体化した理想的な生き方だと、私は人生の教えとしています。
ご苦労様なこの一日を今日は今日のたのしみとして味わうことが
日々のかけらがひとつの器を造ってゆくのだろうと、何事にも、ものずきに興じてみます。

私は自分の作品ついてヒストリーやその背景を細かく解説することが多いです。
ですが日本では特に自分の作品の詩文の解説は野暮に見えるようです。
日本は特に作品についての解説を秘密にしておく方が好まれるせいだと思います。

本来、詩文や和歌は古典的な知識の素養があった上でそれを応用して創作するというもの。
つまり聞き取る側にも同じだけの基礎知識がなければその味わいを理解する事が難しいわけです。

しかしここで現代的な、「あなたしか見えない愛してるよ、恋しちゃったのかしら悲しくて涙が止まらない~」と直球で書いてしまうと俳諧では野暮な禁じ手になります。
いかに素養の間接的な応用であるかが巧さのポイント。または文体のあそび。
言語の間接的表現から伝達される余情(なごり・情趣)は言外の五感を越えたセンス・芸術性だと言えます。

かなしいことに現代はそういった素養をすべての人が心得ているわけではないので、できるだけ分かりやすく詩文の面白みを理解してもらうために解説しています。
(私も知らない部分が多いので同時並行で目下学習中です)

勿論詩文以外の作品の解説についても、自分のスキルやアイデンティティー、
コンセプトやプロセス、宗教観、歴史的文学的背景などの理解力の芸術的表現としています。
日本人としてのアイデンティティーは何か?と問われたならば、私はあらゆるジャポニズムの中から「日本語」だと答えます。

言葉もまた連綿と受け継がれた高度な芸術表現のひとつだと考えているため、
絵画や工芸作品と同等として付け添える手法をとります。

メインとなる作品に言葉(ヒストリーを含む)があることで芸術的真価が下がるというのであれば、
それはもはや形骸化されたトラディショナルな芸術に追従しているのであって、
芸術を定義されないものが現代アートだと捉えているためです。
(あくまでも私の哲学と方向性です。)

そして、七面鳥やマンドリル、一見すると気味の悪く孔雀や犬、猫に比べておよそ愛らしさや華麗さにはかけ離れやすいモチーフを選ぶのは、
古典文学のアッタール作・黒柳恒男訳「鳥の言葉」に記された文章より、

(鳥の王を決めるとき)

”ソロモン(預言者)に求められる者(鳥)はだれもその頭上に冠(とさか)があればふさわしい”

この言葉に深く感銘を受けたことによるものです。

私は「その頭上に冠を戴くものはだれもがすべての王である」と唱えたい。
例えそれがどんなにみすぼらしいと笑われても。

うわべの姿だけで笑われてしまう者を、「美しいもの」と同等、あるいはそれ以上に魅力的に作ることが出来たならと切に願う心からのオマージュです。
「たいせつなもの」に向けられるものは線の鋭角さや切り口の刃の「美しさ」ではなく、この一瞬の会話による慈愛でありたい。

切り絵作品は、大まかな輪郭の下書きに水彩で着色した後、カッターナイフで自由にその場の勘で切り抜いていきます。
正確なカットの線の下書きは行いません。
私にとって切り絵から生み出される線は、取り消しの利かない「結果」に及ぶ過程でその場の勘によってアドリブで決めて行く手法であり、
無作為の中に導かれる作業は命との対話をしているような感覚でもあります。

決められたパターンや整いすぎたパターンと下書きの線を淡々と追って切るだけの機械的・量産的な作業に魅力を感じません。
正確に決められた下絵の線を正確に切るだけの作業であったらレーザーカッターや型紙で量産できてしまうことが嫌いです。
自然のものは皆規則的なようでどれもが不規則で、その不揃いな形の連続に命の細胞を感じています。私たちが二つと同じものがないように。
私は一枚の紙の中に命の再現を試みています。
だから正確なクローンは必要ありません。
不揃いで不均等でカットの型紙が存在せず、同じものを二つと作ることが出来ないそのオンリーワンを大切にしています。
そして紙の上で次のカットの手順を想像するとき、よりモチーフへのインスピレーションに没入します。

私が目の表現をするとき、いくつかの手法を使用します。
瞳のハイライトに白いコピー用紙を貼り付けたり、または切り抜いただけのものであったり、切り抜かずに着色をする場合等です。
いかにそのモチーフと紙色に合った見え方になるかを選択しています。
そこに命を宿したいのです。私にとって作品の目は見る者の心の真実を問いただすものです。

私の切り絵作品では「オパールカット」と名付けて、見える角度で羽根の筋の陰影が変わるカットを考案していますが、これの起源になったのが以前飼っていた2羽のインコのうちの、お姉さんインコの羽根の色でした。
私が19歳の終わりごろ、それまで宝石を買うわけでは無かったのにうわ言のように「オパールが欲しいオパールが欲しい」と言っていた時期がありました。
20歳を迎えたある日、夜遅くに遠方のホームセンターに行くことがあって、その一角にあったペットショップに立ち寄ると、運命の出会いでした。
そのインコは純白のアルビノで、最初は白いセキセイインコなんて初めて見るので珍しいという感じでしたが、
ついつい抱っこさせて貰うと、その羽根のオパールのように七色に輝く様を見て、
「生きたオパールだ‼️」と直感し、「この子こそ私の求めていたオパールだったんだ!」と
そのまま家に迎えました。
特に腰の辺りは体調によるものなのか、日によってピンクがかったり緑が強かったり様々です。
この子は若いときから卵管が飛び出す病気や恐らく糖尿病と思われるのですが、いつも体液がお尻から漏れでてお腹がびちょびちょに濡れて汚れていたのが可愛そうで申し訳なくて、余計に美しい姿を留めてあげたいと思います。(獣医からも手のほどこしようが無かった)
「それでも病死をして12年も生きたのはセキセイインコでは良い方だよ。」と、火葬場のおじさんが言ってくれた言葉が唯一救いでした。
いつも羽根を汚しているせいでみすぼらしく見られることがありましたが、どんなに汚れていても私にとっては彼女が世界で一番美しい鳥だと思っています。
七色に光る宝石のような彼女の輝きをいつまでも忘れず鳥の作品に表現したいと思います。

また、切り絵作品は保存の耐久性について考える必要があります。
それは永遠の命と同じくらい難しいことです。
しかし、私たちの限られた人生のように、人生の美しさは脆く、一時的で美しいものです。
私は”壊れやすい危険な紙”と同じだと思う。

私が制作するもう一つのジャンルの木の写真について

“千栗八幡宮シリーズ”として制作している千栗八幡宮の境内の、ある一本の木の写真作品は、佐賀県三養基郡(みやき郡)みやき町にある、千栗(ちりく)八幡宮の鳥居前の楠を撮影し、色彩調整のみを行って日本画や水墨画のような風合いで制作しています。合成や描画ツールは使用しておりません。
これらの写真撮影にはスマートフォンの安価なカメラで撮影されたものが殆どで高精細なカメラを必要としません。
その自然の美しさを表現するためにカメラの値段に左右されないことを体現しようとしています。
これは先に述べた侘び寂び・禅の教えに基づくものです。

千栗八幡宮は日本全国の八幡宮の総本社である宇佐神宮と時を同じくして八幡神が示現し、宇佐よりも先に創建されました。
聖武天皇の御代である神亀元年に千栗八幡宮が、翌二年には宇佐神宮が。そしてその時代こそ聖武天皇が日本に鑑真和正をもって仏教伝来を求めた時代でもありました。
千栗八幡宮が創建された年に遥か中国の揚州で日本からやって来た日本僧たちに渡日を請願され、
和上がかの有名な「是法のための事なり。何ぞ身命を惜しまんや。諸人去かざれば、我即ち去くのみ」と論じた年でもあります。
鑑真一行が最初に鹿児島の坊の津に到着した後、佐賀県の嘉瀬津に上陸し、大宰府で日本で初めての授戒を行ったとされています。

千栗八幡宮の座する前には筑後川流域を挟んで久留米市があり、和上が海人族を頼って大宰府に入った事を伺わせます。
千栗八幡宮の裏には千栗八幡宮の神宮寺としての天台宗の弥勒菩薩の古刹があり、和上との仏縁を感じずにはいられません。
そして、その千栗八幡宮との出会いはいみじくも改元の年の春であり、私の名前にも千の文字を戴いていることは不思議なご縁を感じて、よりこの木との出逢いに運命的なものを感じるに至りました。
八幡宮は日本の神仏習合発祥という背景を元に、仏教に基づくテーマに仏陀の逸
話に密接な木のモチーフと掛け合わせ、一の実在する木を、想像のフィクションではなく写真に映しとり、様々なカットを切り取り、それに応じた仏教用語の意味付けを見出だすプロセスをこの”千栗八幡宮シリーズ”のコンセプトの完成体としています。

仏陀が菩提樹の下で悟りを開いたように。

作品へのサイン入れについては、私は作品画面に自分のサインを入れない方針です。なぜならばその一枚の紙の世界により空間の再現を試みたいからです。
自分のサインがあることでその世界に邪魔をしたくないと考えています。
モチーフへの愛を込めています。
 
▼略歴
1984年 / 生まれ。福岡県在住。
体調不良のため中学一年からひきこもり
いろいろなことは独学です。19歳から独学で切り絵を制作。
 
2007年 / から彩色切り絵を制作
2016年 / から作家として本格的に活動
2019年 /  「新春まんぷく!お年賀展2019」  
2019年 /  「Creatures-生きとし生けるもの」
2019年 /  「大酒器展2019」

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