日本文化を継承するアート販売Webメディア

【名画を語る】歳時記:田園初夏/児島善三郎

五位鷺の声したたるや走梅雨 市村究一郎

歳時記が隔月になったとたんに日々の感覚がかくも雑になってしまうとは考えてもいませんでした。
毎朝の犬の散歩でさえ、季節の移り変わりを少しでも見逃すまいと雑木林の中をキョロキョ口していたのに最近は暢気なものです。警えるのも何ですが、毎日、献立を考えて晩御飯を作っていたのが外食を挟んで一日おきになったような感じで、つい今夜も手抜き料理でてな具合になるのと似ているかもしれません。そこで今回もおなじみのメニュー、国分寺の田圃の風景です。


「田園初夏」22.8× 53.1cm 1950年 兒嶋画廊


『田園初夏』という題名どおり田圃も森や林も縁一色ですが、清々しく晴れ渡っている感じではありません。空もどんよりし
ていて、そこいらじゅう梅雨という雰囲気です。また、緑一色と言っても、善三郎 の使う緑の数の多さとヴァルール の多様さはほかに比べる画家がいないといわれたほどですから、これ以上水分を含むことが出来ない飽和状態の緑だということが画面から伝わって参ります。
構図も随分とシネマスコープです。長辺は10号と同じ53cmですが極端に横長です。


横長 の構図と言えば青木繁の「海の幸」が思い浮かびます。あの絵の場合は大きな魚を担いだ裸形の漁師たちが右から左へと進んで行く隊列がメインテー マで、福田たねがモデルと言われる美少年 か美少女かわからない、でも明らかに他の荒くれた漁師たちとは違う美しい人物がこちらに何か秘密の合図を送る様に視線を送ってきているドラマティックなシーンが描かれています。横に時間軸を置く鳥獣戯画や信起山絵巻のような伝統的絵巻物表現を受け継いでいるように思えます。


それに比べると善三郎のこの横長表現はちょいと違って、先ほども書いたように「そこいらじゅう」という意味を表しているような気がいたします。画面いっばいにべったりと、という感じです。無邊なるかな、これだけ広い風景の中ですから画面上に描かれて見えなくても五位鷺が川縁りで鳴いていても不思議じゃないし、田圃や林には無数の虫や小動物、両生類、肥虫類がわんさかといるだろうし、小川や畔の水路にはヤゴやザリガニ、ゲンゴロウ、ドジョウ、小魚に川エビなどの水生生物が五万といるはずです。家は数軒見えますが人の姿は見えません。目に見えるもの、見えないものといったような表現がよく使われますが、この絵には見えない物の方が沢山書き込まれているような気がします。「汝ら天地一切のものに感謝せよ!」善三郎も傾倒していた「生長の家」谷口雅春氏の教えがアジアモンスーン地帯の稲作文化の恵みと共に浸みだして見えてくるようです。六十年前 に は存在していた自然の中の複雑系の調和が、この後あっという間に崩壊していったのは、開発という名 の人間が作り出した津波の為せる業でした。
(絵と布の歳時記2013年5・6月合併号)


全文はこちらからダウンロード可能です。


■執筆
児島 俊郎
(略歴)

桐朋高校卒 20期 H組
東洋大学文学部哲学科中退
1977年 叔父が経営する日本橋画廊から独立開業
1979年 渋谷区神宮前 3丁目に兒嶋画廊開廊
1997年中央区銀座1丁目に画廊を移転
2004年 港区六本木1丁目に画廊を移転
2013年 国分寺市泉町1丁目に丘の上APTを竣工、画廊を移転


兒嶋画廊

住所:東京都国分寺市泉町1-5-16
電話番号:042-207-7918

お知らせ一覧に 戻る