2022年1月から左官の技法を使った絵画の制作をスタートさせた大野李英さん。左官職人でもある彼女に、左官や土の魅力、ちょっぴり苦悩した高校時代のエピソードを聞いた。
―左官との出会い。
「美術高校に通っている時にテレビ番組で女性の左官職人さんを見て、私もなりたいと思って。番組では土壁を塗っていて、再利用できるしエコだし人が作る温かさを感じました。絵画って、どこかに発表しない限り作ったらそのまま作家の自宅に眠っていたりとかあるけど、建築や左官は作ったら誰かがそこに住んだりして“共に生きている”感じがする。住む人たちと一緒に風合いが変わったりもしてそこにも温かみを感じる。そういうところに惹かれました。」
―なぜ、左官をアートに取り入れようと?
「左官は建物の外壁に使われたりして身近なものなのに、あまり知られていないことが不思議で。その左官の技術を広めたいこともあって、左官の技法を使いながら土で表現しています。今、土とか漆喰メインのお城とかお寺とか古民家を仕事で担当していますが、その世界に入ったからこそ、一番土に魅力を感じていて。大学までは油絵をメインに制作してきて、絵の具だと作られた市販の色しか使ってなかったけれど、土は自然の色、本当にすごい綺麗な色がたくさんある。同じ土地でも層によって色が違うから面白いです。」
―自然に作られた色だとその時にしか手に入らないかもしれないし貴重ですね。
「それが人との出会いみたいな感じに思えて。私が人との出会いや日常生活での感情を表現して作品を描くので、人も材料も出会いは一期一会でリンクしています。」
―アートに興味をもったのはいつ頃からですか?
「幼稚園の時からです。絵が好きで、自ら習い事をしたいと言ったのが絵だけだったと、母親が言ってました。幼稚園から中学まで絵画教室に通って、美術高校に入りました。」
―作品を作ってきてツラかったこととかなかったですか?
「高校生の時です。美術高校といっても美術科は1クラスしかなくて。生徒は30人くらいで、とんでもなく絵の上手い人たちばかりの集団。私は中学の時まで上手いと言われてきたのに、美術科に入ったらみんな上手すぎて自分は普通なんだと思って。勉強するにしたがって、自分だけがやれると思っていた技法を他の人がやっていたり、自分の作品が誰かの真似みたいに思えたり。私が作る必要性、表現する意味ってなんだろうと。自己満で終わっていないかなと思って。それが精神的にちょっと……。」
―「井の中の蛙大海を知らず」でいうところの大海を知ってしまったのですね。
「美術科のみんなは部活も美術部で、授業が終わってアトリエに移動してもみんな同じ場所にいる。1日の半分以上が美術の授業みたいな状態だったので、その時はちょっと病んでいました(笑)。」
―それはちょっと気が滅入りますね。
「生物とか人物とかあまりワクワクしないデッサンとかも描かないといけないからそういうのばかり、F15号の絵がどんどん大量に溜まっていくだけで。大学に進学してもまた同じことの繰り返しなのかと思うとどうなんだろうという気持ちになりました。そこまでして絵を描きたいのか、将来、描き続ける保証もないじゃないですか。美大は小学生の頃からの目標だったけれど、高校生になって左官に興味をもっていたし、職人になるか美大に進学するか悩みました。」
―大学卒業後、すぐに作品を作り始めたのですか?
「今、左官の仕事に就いて3年目なんですけど、1、2年目は左官の技法と技術を仕事で学びながら自分が表現したいモノを探していて。セメントから土から漆喰までいじって、いろんな現場とかを見て、自分がピンとくる表現を見つけるまで2年かかって。やっと2022年に始めたという感じです。それまでは油絵を描いていました。」