私は画家の松尾龍や絵描きの松尾龍というふうに自分のことを表現しています。 ピカソではないですが、日記のような感じですね。実体験をそのまま表現するのではなく、積み木遊びをするように表現したいなと思っています。 一時期シュールリアリズムの方々が好きだったことがあって、描写にこだわってリアルな方向で描いていたことがあったんですよ。ダリに憧れて油絵を描き始めたので、最初の個展はそのような作品を展示していたのですが、見る人に「ダリっぽいから好き」とか、「マグリットっぽいから好き」と言われ 例えばこどもが積み木で遊んでる時、「恐竜だ!」と言っても大人の視点からするとただの木の積み重ねにしか見えないわけです。 全然違っていても良いので、お客さんと展示会場で「これは何だろうな?」ということを一緒に話をするのが好きです。逆に私が何を描いたのかがわかったらそれはそれですごいのですが(笑)、実際それはほぼありえないので、お客さんがどう感じて見えているのかを知るのがすごく楽しいです。 勿論何かしらあるのですが、人間の曖昧な記憶というのが根本的なテーマにあります。 最近の記憶を描いているというよりも幼少期の記憶を簡略化して描いていることが今は多いです。つまりうまいこと薄れてきている記憶なので、自分でもそれを再現するという難しさにワクワクしています。 作品にはその時に感じた楽しいとか、悲しいとかそういった感情が残ると思っているので。 そうですね。全体的なテーマが過去によっているというのが大きいのだと思います。未来のことや今のことは少し寝かせて、ちょうどボヤーっとしてきて「あの時どうだったかなー。でも楽しかったよなー」という気持ちを大切にしています。 2015年に半年パリに勉強しに行っていたのですが、その時にテロがありました。当時テレビを持っていませんでしたが、住んでいた場所と現場が近く、「外がなんか騒がしいな」くらいだったのですが親からの知らせでテロがあったことを知り、その1週間後くらいに花を手向けに現場に行きました。 パリは当然観光地で活気があるのですが、駅を降りて現場にいくまでは何も音がないくらいでした。日本食屋さんが狙われたとうこともあって本当に怖かったですね。 フランスとは言っても数多くの人種の方がいて、様々な国籍の方がその場所に花を手向けに来ているというその光景がすごい自分の頭の中で残りました。この絵でいうと下の線が手向けられた花で、奥の方が音のしない街と亡くなった方々を照らし合わせて表現しました。 「あの日の形」は自分の中で強く残っている記憶で思い入れが強い作品ですね。 綺麗事として「こんなことがあったんだよ!」ということではなく、ただただ無力さを感じた体験を自分なりに形に落とし込みたかったのです。 ただ、こういったことは先には言わないんですけどね。 こどもの頃から絵を描くのは好きでしたが、元々は漫画家になりたかったです。 幼稚園や小学生の時から弟と漫画を描いていて、弟はストーリーとかを考えて私が絵を描くみたいな役割分担でした。そこから大人になっていくと、弟は映画の脚本、監督の道に、私は絵画の道に進むようになりました。 画家を目指すかデザインの方に行くかを悩んでいたことがありました。 それがすっごい嫌いで(笑) 色彩に関しても絵画の方が幅が広く、自由度も高かったのもありますね。 作品は自分の耳であり目であり自分よりもしゃべってくれる存在です。 だから私はギャラリーにはいますけど、あまりしゃべらなくても良いのかなと思っています。 なので是非作品達の声に耳を傾けて頂けたら幸いです。 自分が予想していなかった方から「良い物を見た」と言ってもらえることが素直に嬉しいですね。自分はどちらかというと同世代に受ける作品かなと思っていたけど、思いのほか年齢国境関係なしに楽しんでもらえる事がうれしいです。 辛かったのは最初の展示の時ですかね。当然経験がないのでプレッシャーがあったのもありますが、知名度もないし発信するすべもないし平日なんてゼロ人とか一人二人の来客もありました。 学生の頃なんて画廊にお金を払って展示したら、どんどん作品が売れて。。なんて夢物語のように思ってましたけど、現実そんな甘くはないじゃないですか(笑) この現実を突きつけられた時は「これからどうやって生きていけば良いんだ・・・、これからファンは増えるのか、、次やっても同じことになったらどうしよう」なんて不安になりました。 Afterglow(連作1)ですね。これは自分の中で決断した作品なのですが、そういう意味で大きな作品です。 挑戦とは違うかもしれないですがこれからもずっと続けていくために常にときめいていたいですね。 「これやりたい」と思うことは迷わずやって、それを死ぬまで続けられたら見る人も面白いのではないかなと思います(笑) そしてこれからも国内、国外共にアグレッシブに
積み木遊びをするように表現しています。
簡単に自己紹介をお願い致します。
嫌いとかそういうことではなく、現代アートなどのコンセプチュアルな世界とは考え方を一線引いているのでそう名乗っています。作品はどのような考え方で描いていますか?
これはなんか自分が求めているものと違うなと思いました。確かに憧れていたのですが、同時に自分らしさを失っていることに気づいたんですよね。
ちょうどその時、紙の端っこにペンで落書きのようなものを描いていて、それが今の作風に通じる積み木で遊ぶみたいな感覚やシンプルな形を描く所に繋がってきています。幾何学形体というほど硬い形ではないですが、そぎ落とされた感じですね。
でもそれを楽しんで遊んでいるこどもからすると全く別のものに見えているはずです。そういうこどものようなワクワク感で自分は作品を作っています。例えば1つ1つ明確な「何を描いている」というものがあるのですか?
なので、明確な記憶を正確に描写するというよりも曖昧な記憶の中のそぎ落とされても残った部分を描きたいと思っています。作品一つ一つにノスタルジーを感じますね。
無力さを描いた1枚例えばこの作品は実際に存在する場所ですか?
作品名:あの日の形
制作年:2017年
サイズ:910mm×1167mm
号数:F 50号
技法:油絵
その日本食屋さんはビニールに覆われてて、ガラスが飛び散って壁も崩壊していて、立ち入り禁止みたいなテープが貼られていて、その下に花束がたくさん置いてありました。
また生きてきた中で非常に大きな経験だったし、自分の中でケリをつけたいなという考えもありました。
言ってしまうとそういう見方しかされなくなってしまうので。
画家として活動し続けるために
”ときめき”続けたい。そもそも絵を描き始めたきっかけはなんですか?
画家になろうと決めたのはいつ頃ですか?
正直デザインの方がこの時代仕事に直接つながると思っていたのですが、なんか違うなと思った時期があったんです。
予備校に入った時はまだデザインに行くかアートにするかを悩んでいたのですが、油絵をやった時単純に「楽しいな」と思えたのでそれで決めたんだと思います。
あとデザインの授業を受けたことがある方ならわかるかと思うのですが最初の授業で色彩構成をやるんです。トータル的に作品に込めている想いなどはありますか?
私よりも私の考えなどを饒舌にしゃべってくれているように思います。
個展をする事はすごく大事だと思っていて、もちろんグループ展も大事なのですが個展で自分の世界観を魅せる時に作品同士の共鳴性を大事にする必要があると考えています。画家として最もうれしかった時、最もつらかった時は?
貸画廊で展示するとやっぱり安くはないじゃないですか。1週間一体何のためにお金を払ったのだろう・・・なんて辛くなったことはありましたね。今までの作品で最も「自分らしい!」と思う作品があれば教えてください。また、そう思う理由なども教えてください。
作品名:Afterglow(連作1)
制作年:2015年
サイズ:300mm×300mm
技法:油絵
その時同じタイミングで120号の過去の作風の作品も描いていたのですが、「この作品を描き上げたらずっとこの作風に縛られてしまうかもしれない」と思い、その大作を描くことをやめ新しい作風に挑戦しました。かなり悩みながら描いてはいたのですが、そういう意味では非常に印象に残っている作品です。画家としてこれからどんなことに挑戦していきたいですか?
展示活動をしていけたらなと思っています。
制作年:2015年
サイズ:300mm×300mm
技法:油絵
制作年:2018年
サイズ:455mm×530mm
号数:F 10号
技法:油絵
制作年:2017年
サイズ:530mm×530mm
号数:S10号
技法:油絵
制作年:2017年
サイズ:530mm×530mm
号数:S10号
技法:油絵