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Interview: 北野有里子

日本画家を志した運命的出会い

簡単に自己紹介をお願いします

 

日本画家の北野有里子です。和歌山県出身です。2010年に東北芸術工科大学日本画コースを卒業し、2012年同大学の修士課程 日本画領域を修了。2013年に銀座のぎゃらりぃ朋で作家としてのスタートとなる個展を開催しました。
その後第98回の院展に初入選し、それ以降院展やグループ展を中心に作品を発表しています。現在は下田義寛先生、高橋天山先生、川瀬麿士先生、番場三雄先生の元で研鑽に努めています。

 

林田画廊(銀座)、恵埜画廊(山形)、とあと結構大沼デパートでよく展覧会をやっていますね。

 

はい、林田画廊さんが山形に多くご縁をお持ちで、その関係で大沼デパートのギャラリーや催事場で展示の機会を頂いています。

 

大沼デパートでは年に数回展覧会をやっていらっしゃるのですか?

 

はい、年に1回は展示していただいています。

 

毎回和歌山から山形まで在廊しているのですか?

 

いえ、最初の1回目は初めてのデパート進出が嬉しくて在廊しに行ったのですが、だいたいそういったデパートで展覧会をする日本画家は大御所の先生方ばかりで、特に林田画廊さんは老舗で巨匠ばかり扱っているような画廊なので、私のような若手作家がわざわざ在廊しに行くような場所ではないのですが。。。

それを承知の上で、最初は嬉しくて在廊しました。とても勉強になり、お客様とも絵の話などできて、作品に対してどのような想いで描いたのかなど裏のス
トーリーをお話させていただき、興味を持っていただくことができました。

 

そもそもなぜ日本画家を志したきっかけを教えてください。

 

絵を始めたきっかけ自体は、小さい頃から一つのことに没頭する性格で、じーっと座って絵を描いているのが好きなこどもだったのですが。。。それで小学校1年生からお絵描き教室に通うようになり、中学生になってから通い始めた別の絵画教室の先生が、和歌山が誇る日本画家の清水達三先生の一番弟子で院展作家だったのですが、その先生が私に日本画を始めるきっかけをくださいました。

そういったご縁もあって、中学生の頃から清水先生のご自宅にも何度かお邪魔させて頂いて絵を見て頂いたり・・運が良かったです。

 

北野さんの作品は「〜の命(みこと)」など、割と神仏的な表現を使いますがそういった歴史に精通しているのでしょうか?

 

「月読命」(つきよみのみこと)は歴史が好きというよりも、月山(がっさん)が好きで、、、月山は山形にある山形を象徴するような山なのですが、元々好きなものには没頭するので、月山に対して調べるようになりました。そして山岳信仰の観点から月山自体がご神体になっていることを知り、そのご神体としてのお名前が「月読命」であることから、それを絵に落とし込んでいます。

歴史がものすごく好き、というよりも描きたいモチーフに没頭した結果そういった言葉を使うようになったという感じです。

 

北野さんの作品を見て思うのは、この絵の印象に対して非常にお若いですよね

 

はい、よく言われます。「非常に神経質な痩せたおじさんが描いたのかと思っていた」と言われたこともあります。ただ、色々な作品があるので、それぞれ違うキャラクターが描いているようにも見えるかもしれないですね。風景画なんかはいわゆる古典的な日本画らしい日本画を描くので、そういう風に思われがちですね。

 

色々な方から学ばれた中で最も影響を受けているのは清水先生ですか?

 

清水先生の影響も受けてはいるのですが、一番強く影響を受けたのは番場先生ですね。大学の教授で、今はもう日本美術院同人になられていて、大学、院の6年間と、卒業してからも院展の研究会というものがあって、そこに所属しているのですがそこでも年に4度全国から画家が集まり、院展に出品する作品について色々とご教授いただく機会があります。もう13年番場先生にはお世話になっていて、大変尊敬しています。

 

小さい頃から絵がお好きだったとのことですが、性格的にはどのようなお子さんだったのでしょうか?

 

マイペースでのんびりした子で綺麗なものや変わったものに興味を持って、それに没頭してしまう子でした。
よく家族で山に行ったりしたのですが、いつも一人だけペースが遅くて、あちこち興味をもって眺めながらゆっくり歩いている子でした。

 

本気で画家を目指そうと思ったのはいつ頃ですか?

 

将来の夢を決めたのは中学生です。ただそれも本気だったかと聞かれるとなんとも言えないですが。。。当時は将来パティシエか画家になりたいと思っていて、通っていた絵画教室で日本画を教えてもらいその影響で日本画良いなと思ってのめり込むようになりました。

で、その先生が言うには「院展に出すなら東京芸大に行ったらいいんちゃう」とのことだったので、その言葉を鵜呑みにして、高校生から本気で美大進学の為のアトリエに通い始めて画家を目指すようになりました。結局一浪では芸大に入れず、東北芸術工科大学に進学したんですけどね(笑) 番場先生とも出会えましたし、先生と生徒との距離が近いいい大学でした!

 

先ほど2013年のぎゃらりぃ朋が画家としてのデビューとのことでしたが、学生時代に展覧会の経験は?

 

してました、授業の一環です。院生になると山形の恵埜画廊で、作品を展示して頂く機会があり、販売の実体験を積むことができます。売るときはこういうシステムになるとか、額の裏には共書きを付けないといけない等も学びました。実際に売れると売上も入ってきます。

 

2012年にはGALLERY KINGYOさんでもやっていらっしゃるようなのですが、これも授業の一環ですか?

 

それは修了制作で東京展に選ばれて、というのも卒業修了制作の山形展は全員展示できるのですが、東京展は選抜なんです。それで東京で展示している時にたまたまGALLERY KINGYOのオーナーさんに目をつけてもらったのがきっかけです。

 

山岳信仰、観音様・・・
作品1つ1つに込めた”想い”や”祈り”
作品名:祈り
制作年:2019年
サイズ:P8号(455×333mm)
価格:172,800円

作品にはどのような想いを込めて描いていますか?

 

描く対象によって込めている想いは異なります。私がよく描く山で月山(がっさん)という山があり、山岳信仰が盛んな山形では月山は山自体がご神体として崇められています。学生時代から山岳信仰等に興味があって大学院で発表した内容にもつながってくるのですが、古くから日本人の信仰の対象になってきたところには特別な何かが宿っているように感じ、自然への畏敬の念を感じずにはいられません。
絵画にはそうした見えないものを伝える力があるので、祈りをテーマに風景画としての山や滝を描いているというより、その纏っている神聖な空気感を描きました。

ご神体である月山や那智の滝を通して神の姿を描こうという姿勢で制作しました。これが「月読命」と那智の滝を描いた「大己貴神」(おおなむちのかみ)という作品です。
(大己貴神とは那智の滝の神様の名前)

月読命_北野有里子
月読命(つきよみのみこと)
制作年:2019年
サイズ:M10号(530×333mm)
個人蔵

 

大己貴神_北野有里子
大己貴神(おおなむちのかみ)
制作年:2019年
サイズ:640×330mm
価格:259,200円 商談

 

“山描きました”とか“滝を描きました”というのではなく、その纏っている空気感を描いています。

 

「見上げる」や「孔雀」を描いているときは全く違う考え方ですか?

 

見上げる_北野有里子
見上げる
制作年:2017年
サイズ:410mm×318mm
号数:F 6号

 

「見上げる」は『椿の絵を描いてください』という依頼をいただいて描いたので、まずは椿を描き、私がスズメ好きなので、椿の木にスズメを止まらせてあげようという感じで描きました。実際にいたわけでもなく、椿の木もこれほど古木ではなくもっと近所にある普通の椿の木なので、だいぶ自分の中で作っている部分があります。

 

孔雀_北野有里子
孔雀
制作年:2017年
サイズ:215mm×215mm
号数:S0号

 

「孔雀」については、孔雀は古くから日本人に益鳥として尊ばれていて、猛毒の蛇や虫を食べるような強い鳥なので、そんな孔雀の持つ強さのようなものを表現するた
めに、荒々しい背景にしようと銀箔を焼いたり削ったりしてます。艶やかで美しい作品というよりも孔雀の内側に秘めているような荒々しさなどが出ると良いなと思って描きました。

 

深いですね。

 

よくある孔雀の羽が綺麗な作品とか、美しいなーだけでは終わらない何かを描きたいと思っているので。

神の姿を描いたシリーズには「祈り」という作品があります。水墨画を習うようになってから観音像を描くことが楽しくなって、観音菩薩や十一面観音、雲中供養菩薩など様々な観音様を描くことがきっかけで自分なりの観音様を日本画で表現しようと思い描き始めました。
東北大震災を経験したことや日本全国での災害で友人の話やニュースなどから状況を見聞きし、心を痛めました。台風の影響で関空の連絡橋が壊れましたが、和歌山の私の家も多大な被害を受けました。そういった背景から復興と平和を願い、わたしの観音様を描きました。観音様は半眼といい、眼を半分開いたような状態で人々を見守り慈しむ表情をしておられるのですが、美人画を描いたのが初めてだったので、その顔を表現するのが難しかったです。

この作品を見て、「最近いとこをなくしたのですが、この絵を見て胸がぎゅーっとなりました」という連絡をいただき、人の心に届く絵を描けたのかなと感じています。
祈りシリーズの説明が長くなりましたが、私がもっとも描く絵は風景画です。風景画でも込めている想いはそれぞれなのですが、共通しているのは温度や湿度、音などそ
の場の空気感を表現しようとしていることです。

川や滝などの水の表情はもちろん、その場を包むひんやりとした空気感だったり、朗らかな陽気だったり絵によって様々ですが、自分がその場で写生し感じた五感を大事に画面に落とし込んでいく感じです。

私は登山やスノーボードが好きなのもあって、よく山を描いています。中でも雪山は雄大で威厳を持ち、人間が踏み入れられない神の領域という神聖さに惹かれます。言葉にうまく表現できないのですが、こういった自然のもつ厳しいだけではない、美しく神々しい空気感を描きたいと思っています。

他には依頼されて描く場合は、誰の為に描くのか?見る人の立場や気持ちを想像して制作するので込めている想いは普段の作品とは違った特別なものになります。画廊から「山形の病院から月山をモチーフにした絵の依頼がある」というお話を受けたことがありました。

 

月山 ‐雨上がりの緑‐_北野有里子
月山 ‐雨上がりの緑‐

制作年:2018年
サイズ:530×410mm
号数:P 10号

 

病院に飾るなら重く、重厚感のある厳しい山の絵という感じではなく明るく希望に満ちた爽やかな方が良いかなと思い、方向性を決めました。そして雨上がりの緑の森を月山の手前に描き、雨露できらめく緑の美しさや雨上がりの森から立ち込めるもやが山裾を纏う神秘的な空気感を描くことで、雨が降ったからこそ見れる特別な景色を描きました。
見てくださる患者さんの為に、雨が降ってもまた晴れるよ、雨が降ったからこそ見れる景色があるよという想いを込めて描きました。

 

作品は年間で何枚ほど描かれますか?

 

年によって全然違うのですが、絶対に変わらないのは院展に出品するために6月から8月にかけて150号を1枚と1月から3月の間に40号を必ず制作します。それに加えて画廊側が個展を企画して下さったときなどは、小品を15〜20点ほど描きますし、グループ展などに参加させていただくときは5点くらいですかね。それを展覧会毎に描きます。

毎年院展のために150号を描くのでアトリエが年々狭くなっていきます。楽しいですが、寝る暇を惜しんで魂を削って描いているので正直しんどいです笑ただ私は小作品でも2週間〜1ヶ月くらいかかるのであまり枚数描ける方ではないと思います。

今は6月7月の短冊展、安曇野涼風扇子展、あと6月になったら院展の制作も始まるので・・・それから大沼デパートで常設として作品を飾っていただくことになったので意外と追われています。だからここ3年くらいは毎日描いていますね。

あとは空いている時間には次の画題を探したり好きな登山をしたり、本当に暇だったら近年は全然できていないのですが趣味のテニスをしたりしたいですね。実は大学のときテニスのインストラクターをしていました。

 

番場先生に教わったことで印象に残っていることはありますか?

 

先生は「どこをどうしなさい」とは言わないんです。もっと「ここはこうした方が良いよ」と言ってくれればわかりやすいのですが、あまりに言い過ぎてしまうとみんな同じ様な絵になってしまうからだと思うのですが、やんわり言って下さるのが、かえって難しくて学生の頃は理解できていなかったです笑

 

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和歌山の垂れ桜を写生中

もっとどこをどうすれば良いとか理論付けて教えて貰えばわかりやすいのですが、絵ってそういうものではないですから。あとは写生を大事にしなさいと言われていました。それは今も活きています。

 

画家としてもっとも嬉しかったことは何ですか?

 

一番を付けづらい出来事が2つあります。
一つは初めて作品が売れたときです。

 

学生の時ですか?

 

そうです。大学院の授業の一環で恵埜画廊で展示しているときです。今でもそうですが、今よりまだまだ稚拙な私の作品を、それほど安くはない金額を出して購入していただけたのは、画家として認めてもらえたような気がして嬉しかったです。

 

それは目の前で売れたのですか?

 

いえ、あとから画廊のオーナーさんから連絡がありました。そのときに売れた絵が滝の絵だったのですが、購入してくださった方も川や滝の絵を練習していて描き方の参考にしたいとおっしゃっていたようです。

 

絵描きさんが参考として購入してくださったのはさらに嬉しいですね。

 

おそらくアマの方だと思うのですが。本当至らない点の多い作品だったのですが、嬉しかったです。

 

もう一つの嬉しかったこととは?

 

院展で展示したとき、facebookとinstagramにそれぞれ別の方からメッセージをいただいたことです。

院展は何百点もの作品が十何室に渡って展示されるので、会場が非常に広いのですがその中で私の作品を見ていただいたフォロワーでもなんでもない方が「北野有里子」で検索をして見つけてくれて、熱烈なメッセージをくださったことです。研究会の同人の先生に「人の足を止めるような作品を描いてみろ」と言われていたので、そ
それができたことが嬉しかったです!

あとはお子さんを連れていたお母さんで、そのとき展示していた鷹匠と犬を描いた作品について、「絵を見てこどもがその場から動かなかった」という旨のメッセージをいただいたことです。。小さい子がじっと止まって絵を見ているのってすごいことだなと思って。広い美術館をずっと歩いてて疲れているだろうし。その話をわざわざメッセージでくださったのが、もう一つのエピソードです。

 

水墨画を知ることで見えてきた、
”描かず”の境地

作品の中で最も自分を表現できている作品は何ですか?

 

「自分らしい」というものがどういうものかを今は模索中なのですが、あえてあげるのであれば制作活動の原点のときに描いた「揺らめく」です。卒業制作で150号の作品を描くというものだったのですが、大きな画面に自分のめいいっぱいの力をぶつけ切れた作品だと思っています。

 

結構写実的ですね

 

そうですね。学生時代の方が写実寄りに走っている感じがありますね。今思うともっと空気感で描けるなと思います。学生の頃は水が好きでよく水流の勢いを主とした作品など描いていたのですが、この作品はもう少し緩やかな水が揺らめくようなたゆたう様子を表現をしたかったのです。

 

直近の活動予定を教えてください。

 

まずは6月の銀座並木通り創英ギャラリーでの日本画展、6〜8月は院展制作、6月に和歌山でチャリティーの短冊展に出品します。ここには日本画だけではなく様々なジャンル作家さんが出品されます。7月に長野の安曇野市豊科近代美術館で、安曇野涼風扇子展に出品します。11月に恵埜画廊で院展の先輩方と四人展を行います。
あと大沼デパートで注目の若手作家として常設展をしていただく予定です。そして1月〜3月までは春の院展の為の制作に入るので、そこまでは埋まっています。

 

これから画家としてどんなことに挑戦していきたいですか?

 

私の絵は描き込んで塗り込んで描いているので、自分とは真逆の描写の説明がほとんどない最小限の手数で無限の宇宙を表現しているような作品に憧れます。

例えば、お名前を出すのもおこがましいのですが大好きな絵で長谷川等伯の松林図屏風があるのですが、そのようにものの形を説明しないでそれらしく描くとか、描かずして空気感を出すことができるようになったら絵の幅が広がって面白いと思います。
水墨画を始めて、最初は線を引くのにも入りや抜きがうまくできなかったのですがこの1年でだいぶ線が変わって。水墨画って自分の精神がもろに線に出るので、一瞬の勝負とか瞬発力が日本画とは違う面白さがあります。そういう技術も習得できたら幅が出て面白いなと思います。

 

大地の声を聞く_
作品名:大地の声を聞く
制作年:2018年
ジャンル:日本画
サイズ: S3号(273mm×273mm)
価格:80,000円
伝心_北野有里子
作品名:伝心
制作年:2016年
ジャンル:日本画
サイズ:F 30号(910mm×727mm)
価格:360,000円
月山 ‐雨上がりの緑‐_北野有里子
作品名:月山 ‐雨上がりの緑‐
ジャンル:日本画
サイズ:P 10号
制作年:2018年
価格:200,000円
野ぶどう_北野有里子
作品名:野ぶどう
制作年:2017年
ジャンル:水墨画
サイズ:710mm×270mm
価格:50,000円

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