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Interview: 吉崎塁

善悪や常識の枠を超えた、吉崎塁の描く世界

“ 私たちの住む世界とはいったい何? „

 
 
—吉崎さんの絵は不思議な作風が多いです。ご自身の内面や、精神世界を描いているのでしょうか。
 
 
「はい、作品によっては。でも、どちらかというと、ぼく達の生きるこの世界とは、いったい何なのだろうと。むしろ現実世界を客観視して、それを描いている部分が大きいです。あえて言葉にするなら、並行世界のようなものでしょうか。次元のどこかにリアル世界の本体があり、それが現実に投影されていて・・その本体を、実際にある光景と感じ、描いているところがあります。」
 
 
—そうしたイメージは、どのような切っ掛けで生まれるのでしょうか。
 
 
「決まった条件はないですね。日常生活で断片がふと浮かび、その輪郭が次第に鮮明になることもありますし、とつぜん何かが降りてきたように、身体が勝手に描き始めることもあります。
だから外出するときはミニスケッチブックを、いつも持ち歩いているんです。ふと浮かんだとき、すぐ描き留められるように。でもアトリエに戻って絵にしたら、まるで違った形になることも。とにかく固定されたものはなく、自由に描いていますね。」
 
 
—吉崎さんはSNSでも、作品を発信されています。こちらの、現在Twitterのヘッダーとなっている絵は、想い入れのある作品なのでしょうか。
 
 

『限られた色の世界で日の出と共に降る酸性の雨と自立する影』


 
 
「『限られた色の世界で日の出と共に降る酸性の雨と自立する影 』。これは、かなり新しいスタイルに挑戦した作品です。描いたのは2021年の終わり頃でしたが、世界情勢が混沌とし、いかにも国家間の争いが表面化しそうな時期でした。民族や宗教によって、異なる考え。それぞれに主張があり、しかし異なる相手には決して通らない。そして、ついには戦争が起きてしまう。けれど、そのことで逆に結束を強める国や、文化も存在する。善悪を超えた光と影に、人それぞれの解釈がある。そんな世界の在り様を、投影したように思います。」
 
 

“ アーティスト以外の人生と死生観 „

 
 
—画家以外にも、まったく違うお仕事の経験があると伺いました。
 
 
「はい、20代前半は建設現場で。30歳のときには夢だった自分の店、ピッツェリア&バーをオープンしました。オーナーシェフとして腕をふるい、一生懸命に盛り立てました。しかし新型コロナウイルス等の影響から、行き詰まりまして。でも、そのタイミングで新しい出会いや、身近なアーティストからの触発があり、絵の道を行こうと決めました。」
 
 
―人生の大きな方向転換ですね。不安は無かったのですか。
 
 
「実は、そんなにありませんでした。何でも、先のことをあれこれ悩むより、目の前だけを見据えて、つき進む性格なので。いまは画家と並行して、総合格闘技にも入れ込んでいます。もともとキックボクシングのライセンスを持っていまして。自らリングにも上がっていましたが、今はインストラクターとしても働いています。」
 
 
―そんな意外な一面もあったのですね、驚きました。そうした経験も、どこか作品に投影されるのでしょうか。
 
 
「絵のためにやっているわけではありませんが、まったく無関係でもないですね。格闘技だけではありません。芸術と関係ないように見える人生のすべても、どこかで繋がっていると感じます。」
 
 

『メメント・モリ 〜詩と死と氏〜』


 
 
―作品にはガイコツをモチーフにした絵や、「死」というワードがつくタイトルも、複数あります。吉崎さんの死生観について、お聞きしても良いでしょうか。
 
 
「世間一般では、死はネガティブなイメージとして捉えられがちな概念です。でも、本当にそれだけかなと、僕は思うんです。死後の世界は、もしかしたら楽しい場所かも知れないじゃないですか。それに死があるから、生を実感できる。もし不老不死になれる方法があっても、憧れる気持ちにはなりませんね。そういう感覚ですから、死というテーマを、どこか明るい気持ちで描いているときもあります。」
 
 

“ 自由に描いた作品を、自由に見て欲しい „

 
 
—モチーフには猫もよく登場します、お好きなのでしょうか。
 
 
「実家で飼っていまして。しかし、単に好きだからというのでなく、世界を客観視する存在として、表現しているところが大きいです。あるいは、自分をネコに投影している部分もあると思います。ネコは哲学をするといいますからね。」
 
 

『猛毒を持つカエルが犯したのは無垢な蝸牛。このバランスがよく取れた世界を「特異点」とした場合の、よく晴れた「今」を偶々覗くガブリエルの左目と、苦悩するヨハネ。死ぬという事について真剣に考えた猫。散るソメイヨシノ。』


 
 
—「吾輩は猫である」のようなイメージでしょうか。
 
 
「あえて言葉にするなら、そうかも知れませんね。ただ実をいうと・・どの作品もそうなのですが、僕から解説は、あれこれしたくないのです。言葉にしてしまうと、鑑賞する側のイメージを固めてしまいます。とはいえ僕の作品は、いっけん掴みどころのない表現が多いとは感じています。ですから最小限のメッセージを、タイトルに込めているつもりです。」
 
 
—なるほど、縛られず自由に見て欲しいと。
 
 
「まさにその通りですね。描いているときの僕自身、まったく価値観に捉われずキャンバスに向かっていますし。さきほどの死生観の話にしても、死を明るく捉えるのも、暗く捉えるのも、本当にそのひと次第だと思います。僕の絵を「こう受け取るべき」なんていうものは、まったく何もありません。」
 
 
—ありがとうございます。最後に今後の展望を、お聴かせ頂けますでしょうか。
 
 
「新型コロナウイルス等の影響で、難しくはなっていますが・・やはり個展を開きたいです。作品はネット上でも公開していますが、やはりリアルの空間で、直に見て頂きたいですから。
これまで横浜やパリで開催させて頂きましたが、まずは身近な東京あたりで。いずれニューヨークやヨーロッパなど、海外でも開催したいですね。
何より自由に、価値観にも捕らわれず、これからも世界を描き続ける存在でありたいと思っています。僕の中では国も人種も、まったく関係ありません。1人でも多くの方に、作品に触れて頂けたら嬉しいですね。」

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