強烈なビビットカラーは、脈打つような生命力。
繊細かつサイケデリックな渦巻きが、見る者の目を惹きつける。
そして海の青、森林の緑…。
彼女の表現力、世界観はとどまるところを知らない。
現在、独学で油絵を描いている山本麻友美さん。
作品には2つのテーマがあり、1つは「生命のエネルギー」もう1つは「怒り」なのだそう。
幼少期には絵を描くことが大好きだったが、成長するにしたがって、徐々に描くことを辞めてしまったのだという。
内気で引っ込み思案な私は、ひたすらに自分を押し殺し、周りに合わせて生きる日々。
感情を抑圧し続けた中学時代の3年間は、油絵のテーマである『怒り』が少しずつ育まれた時期でもありました。
高校で海外留学を経験し、帰国後は旅行会社に就職。芸術とは全く無縁の生活を送っていました」
そこからは、苦悩の連続だった。
社会という枠の中で、自分を自由に表現できないもどかしさ。
本音と建前であふれた大人の世界で「生きるため」「生活のため」と、割り切って生きていくのが苦痛だった。
「会社という組織に馴染めず、転職を繰り返していました。どこへ行っても居場所がなく、人生に絶望して自暴自棄に。
自分を見失って心の病になった時、改めて自分の根本を掘り下げてみたんです」
そこで見えた答えは、かつての夢。
「もう一度絵を描きたい。画家になりたい。その思いを『そんなの夢物語だ』と決めつけて、いつしか人生の選択肢から除外していたんですね。
でも、このままやらなければ一生後悔すると思って。」
2018年。山本さんは、画家としての再出発を決意した。
だからみんな『そのままの自分ではいけない』『ありのままの自分では、人として不十分』
そう感じて、心を病んでいくのだと思います」
2つ目のテーマ「怒り」については、社会の中で誰もが経験する悲しみや悔しさ、屈辱や憤怒、後悔など負の感情を油絵に込めるのだそう。
「私はどちらかといえば、考え方が少数派。
感情を表現しても、自分の考えを言おうとしても、大多数派によって自らの意見を捻じ曲げるしかなかった経験が、私の根本にある怒りです。
生命が宿す無限のエネルギーと、肉体をもって経験した怒りが合わさり、私の作品はできています」
描く時は自らの感情を乗せて、キャンバスに筆やペインティングナイフを走らせる山本さん。
最初に思い描いた完成図を目指すのではなく、考えているうちに作品ができている感覚なのだと言う。
使う絵の具をある程度決めていても、出来上がった絵は全く違う色になっていた…なんてことも。
「作品は描く人間がその時に抱いた感情や、心の動きを反映します。
そう実感したのは、ゴッホの作品展。
彼の作品が時系列で並ぶ中、あの有名な『耳切り事件』を境に、ガラリと画風が変化するさまが印象的でした。
精神状態が悪くなるにつれて、絵の世界観まで狂気にねじ曲がっていく…。
私自身も大きく影響を受けた、大好きな画家です」
そう語る山本さんの作品を、人びとは次のように評価する。
「力強い」
「エネルギーが溢れている」
「色が鮮やかでインパクトがある」
思考に縛られず、自由な表現方法で描く彼女の油絵は、見る者の心を掴んで離さない。
他の人の作品に触れることは、勉強にも刺激にもなりますからね」
好きな画家を尋ねると、山本さんはワシリー・カンディンスキーや横尾忠則
の名を挙げる。
「抽象絵画の父」と呼ばれたワシリー・カンディンスキー。
日本を代表する現代美術館の、横尾忠則。
彼らの作品は心模様や言葉にできない感情を独自の世界観で表現され、美しくそれでいて刺激的。
山本さんが心惹かれ、自身の作品にどことなく投影されていることがうなずける。
「画家になってからは正直、苦悩だらけですね。
私の油絵は独学なので、専門知識や技術がある人たちのように、上手く表現できないかもしれません。
それでも1年前、初めて絵を買ってもらえた瞬間は本当に嬉しかったです」
芸術の世界は厳しい。
それを承知の上で、山本さんは画家になると決意した。
絵に対する情熱と意志は今も変わっていないし、彼女の挑戦は始まったばかり。
社会に馴染めず苦悩した時期は、自らが受け入れてもらえる場所を求め迷い、どう生きていくのかを模索し続けていた。
「今年はグループ展への出展予定がいくつかあり、個展も計画しています。
これからはもっと意欲的に創作活動に励み、多くの方に私の作品を見ていただきたい」
時に心を抑圧するような社会のシステムに心を病み、道を見失う人は少なくない。
「そんな人たちが私の作品を見て『あ、こんな画家が居るんだ!』と感じてくれたら良いなと思います」
山本麻友美さんの作品は、人びとの心を照らす道標となるだろう。