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Interview: 佃喜翔

絹本日本画と出会って人生が変わった 幼いころの憧れを絵絹に詰めて

“ 幼いころに憧れたお姫様 „

 
 


 
 
漫画家、高橋真琴さんに憧れたのが画家としての原点だと思います。少女漫画雑誌の口絵の星きらきらの大きな目の少女画が大人気で、名作童話のお姫様を真似て描いていました。
 
高校のときに日本画の基礎を、専門学校でデッサンなどを学び、広告関係の会社に就職してデザインやイラストを仕事にしました。
広告の仕事は締切に追われることも多いですし、先方から細かな注文が入ることがほとんど。イラストの雰囲気やタッチ、画角まで細かく指示を受けて描きます。
個性を出す場はほとんどなく先方の希望通りに仕上げるのが仕事でした。
仕事自体は好きなんですけど指示を受けて描くだけではつまらないと感じていたので、フリーになったのをきっかけに、仕事以外の絵も描くようになりました。
細かいペン画にカラーインクで彩色した作品です。
 
結婚後は妊娠中に仕事を減らして時間ができたのが嬉しくて、家にある卵とお酢と日本画の顔料を使ったテンペラ画を技法書を読んで自己流にアレンジして遊ぶ感じで描いていました。
簡単な落書きから30号とか50号くらいの絵にして案外数がまとまったので、長男出産一ヶ月前に初個展をしました。
 
 


 
 
男児二人の子育てが一段落した頃、以前の仕事先の紹介で、名入れカレンダー(社名を入れて挨拶に配るカレンダー)のメーカーさんから日本画で干支の虎を描いて欲しいと依頼を受けました。
麻紙に10号サイズ7点。原画は返してもらえるので、一枚を記念に額装に出したら額屋さんにこれを絹に描いてみないか?と言われたんです。
お得意さんに勧めてみるから..との口約束で(笑)それが「絹本着色日本画-けんぽんちゃくしょくにほんが」との最初の出会いですね。
教えてくれるところはほぼないけど、仏画は絹に描くことが分かって描き方の本を買って調べたりしながら絹本長物の虎が出来ました。
売れなかったんですけど、子供に「お母さんはちゃんとした絵を描けるんだ!」と喜ばれて・・、いままで変な絵ばかり描いてると思われてたのが衝撃でした。
 
そして次の年のカレンダーは美人画担当に変更。やや年配の担当者さんのこだわりで、絹に描くことになりました。
運命かと思いましたね。実は数か月前、本屋さんで古風な美人画カレンダーを見かけてこんなのが描けたらなぁ~と思ったことがあったんです。
 
絹は紙に描くのとは全然違う難しさがあって、墨の線は薄めに描いても最後まで残るので修正がきかないんです。江戸美人の顔を胡粉で白く仕上げるのも薄い白を何回も重ねないとうまくいかない。
表裏表と色は基本3回づつ塗るのでかなりの手間と時間がかかります。でもほんとに楽しくて、今思えばつたない仕上がりなんですけどなんとかOKをもらって
印刷見本をもらった時は嬉しかったです。
 
伊藤若冲の静かで濃厚な絵が好きだったんですが、高橋真琴さんのような可憐な絵も凄みのある若冲のような絵も、「この技法なら描ける」と思いました。
絹に絵を描くことは知っていてもとっかかりがなかった時に偶然舞い込んだ仕事で、絹本に出会えたのが自分の画業で一番嬉しいことでした。
 
 
 

“ 人物像や時代背景までこだわった作品を描くのは „

 
 


 
 
細かいところが気になる性格で、絵を描く前に額のサイズを決めてあれこれ細かく計算してから取り掛かります。
画題の人物の性格やら人間関係、衣服、あらゆることが気になってめんどくさい。だからみんなが知ってる(ググれば出てくる)昔話や歴史上の物語や歌舞伎の演目を描くのかもしれません。
本や時代考証やエピソードの資料が手に入りやすいし、長い年月がたっても人の心を動かす力もある。それらを利用して創作物の情報量を増やして
長い時間あーでもないこーでもないを繰り返して・・結局自分が描きたいものは、着物のぐちゃぐちゃのしわだったり細かい鹿の子のつぶつぶ柄だったりします。
性癖からくるのかな~?つぶつぶ柄を描くのに没頭してる時が一番恍惚感を覚えてます。(笑)
 
 
 

“ 気持ちのままに絵を創っていく „

 
 
歳をとったせいか、すごく自由になりたいなーと思うようになったんです。
コロナ禍で23年続いた美人画カレンダーが廃番になりました。3か月何を描いてもいい時間ができて、何年も前に見た「黒塚」という歌舞伎を題材にした作品を描きました。
安達ケ原で鬼婆となって人を喰らって、凄まじい孤独の中で生きてきた老女が、旅の高僧の言葉に救われて一人でうきうき踊りだすシーンがあります。
それが邪気のない子供のような動きで「狂うというのは自由になることなんだ」となんとなく思ってずっと残ってたんです。
 
普段は人目を気にして自分にも嘘をついてしまいがちな人間なんですけど、リアルな虎の絵を描く前に子供から見た変な絵を描いてた子育て期の
自分はなんか自由だったのかもしれないなーとも思います。自由に狂ってた。妊娠中とか子育て期とか生物としての役目を与えられてる安心感の中で自由だったのか?生き物としてゆとりがなさ過ぎて本性むきだしだったのか?
 
うまく言えないけれど、広告やカレンダーのような依頼による絵を沢山描いてきた反動かもしれません。今は創りたいと思う作品を気持ちのままに創りたいと思っています。

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