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Interview: 菊地将宗

大学から絵の世界へ「もっと絵を描きたい、日本画を描きたいと思う人を増やしたい」

 
 

“ 子どもが鬼ごっこしているみたい „

 
 

 
 
―絵を拝見してとても気持ちが穏やかになる作品だなと思いました。プロフィールに、「近年は子どものイメージを重ねてすずめを描いてる」と書かれていましたが、何がきっかけだったのですか?
 
「子どもができてからスケッチになかなか行けなくて、身近で描き始めたのが子どもだったというのが最初。一時期、ずっと描いていたんですけど、ある程度大きくなると、『ちょっとちゃうなぁ』ってなって。そんな時に、セイタカアワダチソウの茂みから鳥がワーッと出たり入ったりしているのを見て、『子どもが鬼ごっこしてるみたいな感じやなあ』と思って描き始めました。」
 
―他の動物でも子どものイメージを重ねられそうと思うのですが、鳥だったのですね。
 
「鳥って、何考えてるかわからんくて。生き物を描く時って、『何考えてんやろう』とか、『寒いんかなあ』『この後どこへ行くんやろう』と思いながら描くんですけど、ふと、『子どもも何考えてるかわからへんなあ』と思って。あと、僕は大学の広報の仕事をしていて、出張が続くと家でスケッチができなくて。そんな時、すずめは年中いて、季節ごとのモチーフとも組み合わせやすいし、作業時間的なことも考えてちょうどよかったんです。」

 
 

“ 日本人だからという理由で選んだ日本画 „

 
 

 
 
―今のスタイルになる前の、そもそもの絵画や日本画との出会いも教えてください。
 
「元々、中学も高校もずっと野球をやってて。中学の時はほんまに勉強が嫌いで、進路を決める時に『工業高校や商業高校に行けば勉強せんでええんちゃうか』と思って。当時は美術の高校があるのも知らなくて。ゲームも好きやったし、ゲーム作ろうと思って工業高校の電子科に入ったんです。」
 
―中学・高校ではまだ絵に触れてなかったのですね。
 
「それで、高校でも野球部で3年間やったけど、最後は一回戦で負けてもうて。電子科も3年勉強したけど当時まだスマホとかもない時代で、プログラムも真っ黒な画面にインプット何々とか打たんとできへん時代やったので、『こんなんじゃなあ、いつまでたってもファイナルファンタジーとかドラクエとかできへんわ』と思って。『どうしようかなあ、就職もちょっとちゃうなあ』と思った時に、『あっ、そうや俺、絵好きやったわ』と思って(笑)。」
 
―そこで!? どういう絵を描いてたんですか?
 
「例えば、小学校の教科書に出てくるザビエルに髪の毛を足したり、信長にサングラスを描いたり。あと、教科書の端にパラパラ漫画を描いたり、ドラゴンボールの神龍の模写をしたりとかもしていました。」
 
―原点ですね。でも、受験大変じゃなかったですか?
 
「ずっとバットしか振ってへんかったから、どうすれば芸大に行けるか高校の先生に相談したら、デッサンが描けなあかんから画塾に行けと言われて。学校が終わって電車で画塾に通ったけど、受験も落ちまくってました。」
 
―バットを筆に持ち替えての挑戦だったんですね。
 
「だいぶ筆の方が軽いですけどね(笑)。浪人も覚悟していた時に、今、僕が働かせていただいている奈良芸術短期大学を見つけて。当時、受験前にコースを選ばなあかんくて、洋画、日本画、デザイン、陶芸、染織、クラフトデザインって6つあるんですけど、『日本人だから』っていう理由で選んだのが日本画でした。」
 
―日本人だし日本画というのもこれまた安直ですね(笑)。
 
「大学に入ったら入ったで、絵の具も土や石、宝石、金箔、銀箔とかが使われていて、上手く扱えなくて悪戦苦闘したけど、野球部魂の『負けたくない!』という気持ちでやり出したら楽しくなって。短大なんですけど、専攻科でさらに2年通って勉強したら、最後の作品が展覧会に通って。そこからさらに助手として2年、トータル6年間在籍しました。」
 
―お話を聞いていると、絵を本格的に始めたのが大学からだったこそ楽しめるし、挫折もなさそうに思うのですが、実際どうですか?
 
「元々何も知らなかったので挫折とかはないですね。ずっと続けたかったからこそ、大学で教員免許も取って小・中学校の先生もしながら絵を書き続けて、また大学に戻ってきましたし。結局、最初のきっかけは勉強が嫌いで逃げていたうちに、たまたま日本って付いているから日本画につながった感じです(笑)。」

 
 

“ 生徒には「きれいに描くだけが絵じゃない」と伝えたい „

 
 

 
 
―日本画を描く上で大切にしていることを教えてください。
 
「学生の頃、僕のおじいちゃんが僕や学生の日本画を見て、『なんでこんなにみんな色が暗いんだ』っていうのを言ったんですよ。トーンが沈みがちというか。そう思ったことがなかったので目から鱗というか、その頃からちょっと明るく描くようにしています。」
 
―おじいさんも鋭い感覚の持ち主ですね。
 
「日本画って、昔はもっとシンプルな絵が多かったと思うんですけど、だんだん絵の具の種類も増えて、とくに学生は思うように表現できないから、どうしても色を重ねすぎて暗くなりがち。一般の人は明るい方が良いと感じる人が多いので、その塩梅を意識しています。」
 
―広報課ではありますが、大学で生徒さんたちと接する時に大切にしていることはありますか?
 
「僕は大学で授業を持ってるわけではないので、特に日本画について学生に言うことはないです。ただ、小学校とかにゲストティーチャーで行くことは多いです。」
 
―どういったことを教えるんですか?
 
「小学校の教科書に水墨画家の雪舟が出てくるんですけど、そのタイミングで呼んでいただきます。小・中学校の教員をやっていた時に、水墨画を教えていたこともあって。特に、小学4年生ぐらいから絵が苦手で描きたくないって子がすごい多かったんですよ。理由は、せっかく一生懸命輪郭線描いたのに、色塗ったらぐちゃぐちゃになって時間ばかりかかるし、うまいこといかんし、面倒くさいし、もう嫌になって見せたくないってなって。」
 
―下手だと恥ずかしいから見せたくないですよね。
 
「それやったら、水墨画は形とか気にせんでもええし、違うものに見えてもありやんと思って、教えてましたね。『絵ってきれいに描くだけが絵じゃないねんで』って。しっかり形が描けるとか、色がきれいに塗れるというのが重要視されて評価されるけど、そうじゃないよって。だから、小学校で教える時は、絵の偶然性であったりとか上手に描くとかを意識せんと思い切り勢いだけで描くだけでもおもろい、楽しいっていうのを伝えています。」
 
―そういった絵との出会いはいいですね。伸び伸びとできますし、控えめな子でも個性は出やすいんじゃないですか?
 
「特に、特別支援学級の子はむっちゃいい絵を描くんですよ。周りの先生や生徒もみんなもすごいやんってなって。それもまた面白いところで、算数とかって答えが決まっているので、絶対そうならへんじゃないですか。答えまで辿りつかんけど、絵って答えはなくてもモノはできるわけで。そこがいいところかなって。」
 
―可能性が広がりますね。
 
「あと、このインタビューで話している僕が日本画に出会ったきっかけとか、絵の具についてとかを伝えることで、もっと絵を描きたいとか、日本画を描きたいと思う人を増やしたいという気持ちもあって教えています。」

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