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「児島善三郎 ー ここに緑ありてー」

ここに緑ありて

詩人で俳人の安東次男氏(1919-2002)が1964年の児島善三郎遺作展に寄せた追悼文の表題が「ここに緑ありて」である。
氏はその中で「児島善三郎の絵には、見るものをして無視させない何ものかがある。悠久の山河、そういうことばで形容しても
おかしくはない。ここに緑ありて、というような感慨も自然と湧いてくる。」と述べている。また、「児島の緑とは、油絵具と
いう材質と日本の自然との間にある宿命的な違和感を知りつくし、研究しつくした上での工夫であって、そこには、西欧絵画が
いまだ窺い得なかった、一領域の開拓があるように受けとれた。」とつなげている。そして「児島の緑の振幅は、蓄積された
総和の強さとして私の中に印象づけられていたくらい大きかったといえる」と、しめくくっている。
安東は文中に仏語のモドレという言葉を二度用いているが、これはモデリングのことで、立体表現や肉付けの意味のようだ。
善三郎の用いた太い線での「丸だとか山型によって一つの量感を無造作に摑みとるやり方」と表現している。これは縄文中期の
土器群に似ている。成型した土器の表面にデッサンに相当する沈線で構図を固めその上に隆帯文という太い粘土の紐をのせて
モデリングしてゆくやり方だ。これに加え、日差しや雲の流れ、風の向きなどによって刻一刻と表情を変えてゆく緑の階調を
パレットの上での混色やキャンバスの上での塗り重ね等によってヴァルール(色価)の変化を作り出す。色彩の立体化である。
一見単純に見える画面もこれらを複雑に組み合わせた表現であり、善三郎が終生追い求めた日本油画の3D化の賜物なのだと思う。
これは猛禽類の鋭い単焦点の眼と昆虫のデジタル的複眼の両方を持たなければ可能ではない。余人のなし得なかった技である。
故にそれを理解する人は未だ少ないのだ。作品を前にした時、あまりの心地よさに見る者は理解することを忘れる。
それは食卓における至福の一皿に似ている。      

兒嶋画廊 兒嶋俊郎

展示内容  児島善三郎 油彩画、水彩画、約25点
   展覧会HP  

 
 

会場
会期
2021.06.05 ~ 2021.07.18
時間
12:00-18:00
休廊日
月曜
住所
〒185-0024 東京都国分寺市泉町1丁目5−16
TEL
042-207-7918

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