東京の上野毛と八王子に広大なキャンパスを構える多摩美術大学は、日本を代表する私立美術大学の一つです。「タマビ」の愛称で親しまれ、ファッションデザイナーの三宅一生、俳優の竹中直人、写真家の蜷川実花など、多彩なジャンルで活躍する卒業生を数多く輩出してきました。約90年の歴史の中で培われた自由な創造の精神は、今も学生たちの表現活動を支えています。本特集の初めには、多摩美術大学の卒業生であり、日本を代表するトップデザイナーとしてご活躍されている《HAKUHODO DESIGN / 永井一史 氏》と《SAMURAI / 佐藤可士和 氏》への取材記事もご紹介します。ぜひ最後までご覧ください。

INDEX

01. Special Interview|永井 一史 様(1985年 多摩美術大学 卒業)

社会にとって「意味のある」ものを、デザインを通して届け続ける
アートディレクター/クリエイティブディレクター 永井一史さんのこれまで・これから

国内におけるブランド・コミュニケーションやデザイン経営推進の先駆的企業 HAKUHODO DESIGNの経営者であり、母校 多摩美術大学で客員教授・教授として通算20年近く教鞭を取る、アートディレクター/クリエイティブディレクターの永井 一史 氏。 
自身にフィットする場を模索した20~30代、ブランディングとの出会いと40代での社内起業、大学教育への取り組みと、「デザイン」を核に広がり深まり続ける仕事について、また、日々大切にしていることや考えていることについてお伺いしました。

東京の街でアートにふれ学んだ大学時代から、広告の現場へ


- 多摩美術大学グラフィックデザイン学科を卒業している永井氏が、自身の進路として同学科を志したのは、高校3年生になってからとのこと。 
いわゆるビジネスマンになっている自分の将来像が、どうしても腹落ちしなくて。もちろん父(日本を代表するグラフィックデザイナー 故 永井一正氏)の存在を通してデザインは身近でしたが、進路を考えたタイミングで再びデザインと出会った、という感じです。 在学中は正直、それほど授業を真面目に受けている学生ではなく(笑)、当時の自分はグラフィックデザインより、限りなくアートに近い表現に憧れを抱いていました。バブル期の東京の街がとにかく面白くて、いろんなギャラリーへ展示を観に行っていましたね。現代美術家の大竹伸朗さんやキース・ヘリング、ヨゼフ・ボイス、ナムジュン・パイクなどが活動していた頃です。 また入学の翌年に新設された芸術学科の講義には、三宅一生さんや横尾忠則さんら、錚々たるクリエイターが来ていたので、よく教室に潜り込んでいたし、芸術学科の友達と話しているのがとても楽しかったですね。

- 卒業後は博報堂に入社するも、最初から順風満帆とはいかなかった。
アートが好き、くらいの気持ちで入ったので、実は広告やマーケティングへの興味はおろか、知識もゼロでしたし、自分のやりたい表現も当然採用されない。それでも何とか面白がれるポイントを探しつつ、悶々とした学びの時期が続きましたね。ただ、続けていくうち、広告というものの奥深さ、というか、自らの表現を突き詰めていくアートとは全く違う領域の面白さに気づき始めます。単に情報を伝えるだけではなく、商品と人との間にどうやって『新しい関係性』を作り出し、届けていくのか。その難しさと楽しさが少しずつ理解できるようになっていきました。ここから広告とコミュニケーション、コミュニケーションデザインの仕事への第一歩が始まっていったように思います。

永井様が博報堂ご在籍時に手掛けたデザイン|ヘルプマーク
永井様が博報堂ご在籍時に手掛けたデザイン|SUNTORY「伊右衛門」

ブランディングと出会って気づいた自分の強み。「戦略から実装までワンストップで」と社内で起業


- 大きな転機は30代後半に訪れた。社内で新たに立ち上げられたブランドコンサルティングの会社へ出向し、ブランディングにおけるビジネス戦略の上流工程に触れたことが、のちのHAKUHODO DESIGN設立へとつながっていく。

クリエイティブの人間として唯一、コンサルティングの現場に加わってみて、デザイナーである自分のアドバンテージに気づきました。ロジカルシンキングの人たちよりもずっと『企業やブランドの価値と社会がどう組み合わさると、最良のかたちで伝わるのか。最終的にどんな状態になっていると良いのか』というゴール像を具体的にイメージできたんです。そのビジョンから逆算してロジックを組み立てられる思考力は、自分の大きな強みだと考えました。と同時に、ブランドコンサルティングの仕事を通して、大学時代にある種 誠実に抱いていた、自分自身の『作りたい』という欲求と、密やかであっても自分自身の仕事として『きちんと意味のあるもの・魅力のあるものを作る』ということが掛け合わさり、しっくりきたことも大きかったです。所属したチームの特性もあって、『いかにインパクトをもたらし、社会を動かしていくか』という視点でブランディングの仕事にさらに取り組みたくなっていきました。

- しかし、社会実装の手前でビジネスが完結してしまうコンサルティングには、ある種の物足りなさも感じたという。
戦略からアウトプットまでをワンストップで行い、結果が出て初めて意味があるのでは、と考え、社内で新しい会社を作るアイデアが生まれました。欧米のブランドコンサルタンシーを視察しに行った際、コンサルタントだけではなくデザイナーがファシリテーションをしたり、フレームワークを考えたりしているのも目にしていましたが、専門性で細分化されていて、ありそうでなかったビジネスモデルでした。最初は上手く進まずにスタックしてしまいましたが、経営層に話が伝わって『これは進めるべきだ』と、2003年に社内起業に至ります。独立の選択をしなかったのは、博報堂というチームや、さまざまな職種の人たちとの関係性の中で仕事をすることで、世の中に対して価値を生み出すことのダイナミズムをすごく感じたから。僕自身の志向性にも合っていましたね。

ブランディングにも教育にも、ロングスパンで取り組む。もっと社会を良くするために

  

- 現在、HAKUHODO DESIGN代表として企業のブランディングを牽引する一方、デザイン先進県を目指す山梨県のチーフデザインオフィサー(CDO)として、行政の仕組みそのものにもデザインの考え方を導入する。氏にとってブランディング、ブランド・コミュニケーションとは、本質的であり根源的な取り組みだ。
初めてブランディングという概念にふれたとき、まさに自分のやるべきことだ、と直感しました。僕にとってブランディングは、対象とするものそのものが持つ価値の本質を見つけ出し、それを社会と共有する営みです。それは商品やサービス、企業だけでなく、行政も同じ。例えば2017年から行っている東京都の『Tokyo Tokyo』プロジェクトは、東京という都市の魅力を世界に発信するお手伝いをしていますし、山梨県との仕事では、気候や文化、歴史、人の振る舞い方などを約1年かけて徹底的にリサーチし、『文化的テロワール』というキーワードを導き出しました。今後もデザインの力で、地域文化と産業の支援を目指し、地域での暮らしを豊かにするための新たな価値創造に取り組んでいきます。

山梨デザインセンター

- こうしたブランディングの仕事は、コツコツと丁寧に積み重ねていき、目に見える形になるまでは相応のプロセスや時間が必要である。
5年、10年と続けていくことでようやく意味を持つ、ロングスパンの仕事です。対象を深く知ることが大前提ですし、学べるものはあらゆる方法で学び続けますし、その上で、どこで何をすれば最も効果的か、価値の体系を捉え、とことん考えていくプロセスが重要ですね。

- ロングスパンなのは教育も同じ、と言えるだろう。2014年に母校 多摩美術大学の美術学部に統合デザイン学科を新設し、現在も教授の一人として教壇に立っている。
自分は教育者というより『教育という仕組みをデザインする人』だと捉えています。統合デザイン学科は、第一線で活躍する教授陣のもと、グラフィックやプロダクトなど、さまざまなデザインを領域横断的に学べる場として始まりました。卒業生は多方面でさまざまな仕事に就いていますが、社会が変わればデザインの役割も変わる。これからの時代、統合デザインで学んだ彼らが、社会でどんな新しい役割を担えるか、そのキャリアパスを考えること自体もデザインの対象と言えますね。

- さらに幅広い世代にもデザイン教育を、と、2020年には社会人向けのリカレント教育「クリエイティブリーダーシッププログラム(TCL)」を開講。翌2021年にはオープンエデュケーションの取り組みとして、公式YouTubeチャンネルを活用したヴァーチャル大学「Tama Design University」を開設し、現在までに100本以上の講義を無料で公開、トークイベントなども多数開催している。
美大生がデザイナーになって社会を変えるのも一つの方法ですが、すでに現場の第一線にいる方々やビジネスリーダーにデザインをインストールし、即座にインパクトを出してもらうアプローチも、非常に大切でやりがいがあります。

TCLの様子

- 予測不可能かつ加速度的に変化し続ける現代社会において、「デザイン」の領域がどれほど広がっても、その起点は常に「外側」にあると永井氏は説く。
アートは自分を深めて内側から表出するものですが、デザインは誰かの困りごとや、社会の歪み、もっとこうなればいい、という願いが起点に動き出します。だからこそ、状況を変える力につながるのでしょう。 デザインという方法論は素晴らしいものだと私は考えています。それを一部の専門家のみが扱うのではなく、もっと社会のインフラにしていきたい。誰もがデザインを学び、使えるようになることで、社会はより良くなると信じています。

「好き」というセンサーを信じて——次世代へ贈るメッセージ


- 最後に、進路に迷う学生や若きクリエイターたちに向けて、自身の経験をふまえたアドバイスを求めた。

僕自身、最初から全てを意図して進路や仕事を考えてきたわけではありません。30~40代でようやくブランディングに出会って仕事にしていったように、環境やさまざまな要因との関係の中で、いつも模索しながら深めてきた結果、です。だから若い世代の皆さんは、すぐに結論を出そうとしなくてもいい。ただ、自分の中に『兆し』を見つけた時は、それをしっかりキャッチしてほしいですね。 
そして何より、自分の『好き』というセンサーを大切にしてください。自分の『好き』というアンテナを立てていれば、必ず自分らしい生き方につながっていきます。

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この社会や人々にとって本質的に大切なことは何か、そして自分自身の人生において大切なことは何か。永井氏の柔らかな語り口には、デザインの仕事や教育の実践を通して、より良い社会や暮らしのあり方、ひいてはより良い生き方に真摯に向き合い、考え抜いてきた姿勢と、その可能性を信じ抜く意志が宿っていました。 

【永井 一史 氏プロフィール】
1961年東京都生まれ。多摩美術大学美術学部卒業。博報堂を経て、2003年にデザインによるブランディングを専門とする「HAKUHODO DESIGN」を設立。デザインを通じた社会課題の解決を掲げる「+designプロジェクト」の主宰や、雑誌『広告』編集長などを歴任。毎日デザイン賞、クリエイター・オブ・ザ・イヤー、ADC賞グランプリなど受賞多数。多摩美術大学美術学部統合デザイン学科教授。

♦取材・執筆:Naomi

02. Special Interview|佐藤 可士和 様(1989年 多摩美術大学 卒業)

日本を代表するクリエイティブディレクター、佐藤可士和氏。ユニクロ、楽天、セブン-イレブン・ジャパンといった企業のブランディングから、国立新美術館のシンボルマーク、さらには幼稚園や教育現場の空間デザインまで、氏が手がけるプロジェクトは常に社会に鮮烈なインパクトを与え続けてきました。本インタビューでは、常に時代の先頭を走り続ける佐藤氏の言葉から、これからの時代を生き抜くための「思考のヒント」を探ります。

- 生成AIの普及でプロへの要求水準が変化する中、クリエイターが磨くべきスキルとは何でしょうか。佐藤様が考えるAIとの向き合い方や、ご自身のデザイン業務における具体的な活用状況についてお聞かせください。
生成AIの発展は、創造行為へのアクセスを大きく開き、クリエイティブをある意味で民主化しました。しかしそれは主としてアウトプットの「生成」に関わる変化であり、本質的な創造性そのものを担保するものではありません。これからのクリエイターに求められるのは、今まで以上に「どう作るか」という技術ではなく、「何を、何のために、なぜつくるのか」という根源的な問いに向き合う創造性です。そしてその問いを通じて、社会に対して「新しい意味」を提示していくことがクリエイターに求められることとなるでしょう。

僕自身、生成AIはリサーチの補助や情報の整理、言語化の推敲、思考の壁打ち相手として活用しています。しかし、何を問いとして設定するのか、どの選択肢を採用するのか、どこに本質を見るのかという判断は、あくまで人間の役割です。むしろAI時代だからこそ、社会を深く観察する力、既存の前提を疑う批評性、物事の構造を見抜く洞察力、そして意味を設計する構想力が、これまで以上に重要になっていると感じています。

- 「長期的に見てうまくいけば成功」という佐藤様ならではの成功観をお持ちですが、30年以上のキャリアを振り返り、最も達成感を感じた瞬間はいつでしょうか。その理由と共にお聞かせください。
達成感を感じるのは、やはり最終的に「人が喜んでくれたとき」です。クライアントやユーザー、そして共に仕事をしてきた仲間が心から喜んでくれた瞬間に、「この仕事をやっていてよかった」と実感できます。

長く仕事を続ける中で強く感じているのは、評価や実績以上に、誰かの役に立てたと確信できることこそが、やはり人にとって最も大きな喜びだということです。デザインとは、社会を今よりも少しでもよい方向へと導いていく仕事だと思っています。新しい意味や価値を社会に提示し、それによって誰かが前向きな変化を感じ、喜びを受け取ってくれたとき、はじめて自分の仕事が意味を持ったのだと感じられます。

佐藤可士和展 (国立新美術館,2021年)

- 「好きなことを仕事にする」難しさを感じる若手が多い中、それを現実にするための考え方や具体的なアクションとは何でしょうか。次世代の表現者へ向けたアドバイスをお願いします。
あえて最初から「仕事にしよう」と考えすぎないことも大切だと思います。まずは、自分の「好き」に徹底的に向き合ってほしいと思っています。重要なのは、「好きなこと」そのものよりも、「好きな感じ」を自覚することです。対象となる物事は時代とともに変化していきます。しかし、その奥にある変わらない自分独自の感じる感覚を深く理解することが、自分の軸を作るのです。これからは、「仕事とは何か」が再定義されていく時代に入っていきます。だからこそ、自分は何に心が動き、どのように生きたいのかを真剣に考えることが重要です。自分の変わらない「好きな感じ」を磨き続けていけば、それはやがて社会との接点を見つけ、自然と仕事へと結びついていくはずだと思います。頑張ってください。

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佐藤氏の言葉には、技術が進化しても揺るがない「クリエイションの本質」が凝縮されていました。AIを使いこなしつつも、最後に問われるのは「なぜ作るのか」という人間の意志。自分自身の「好きな感覚」を自覚し磨き抜くことが、社会との接点に繋がるという力強いエールも心に深く残りました。デザインを「社会をより良くする手段」と捉える氏の哲学は、表現者の進むべき道を示してくれました。

【佐藤 可士和 氏プロフィール】
1965年東京都生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。博報堂を経て2000年にクリエイティブスタジオ「SAMURAI」を設立。主な仕事にユニクロ、楽天グループ、セブン-イレブン・ジャパンのブランディング、国立新美術館のシンボルマークデザイン、カップヌードルミュージアムのプロデュースなどがある。慶應義塾大学特別招聘教授、多摩美術大学客員教授も務める。

03. 多摩美術大学 - 日本アート教育の先駆者

焼け跡から立ち上がった「社会と機能する美術」

多摩美術大学(以下、多摩美)の歴史は、創設者・杉浦非水の先見性から始まりました。1935年の開校時、三越百貨店のポスターなどで日本のグラフィックデザインを切り拓いた杉浦氏は、”芸術と商業”、“美と実用”を融合させた「社会の中で機能する美術」がこれからの時代は求められると感じ、デザイナーから一転、教育業界へと足を踏み入れたのです。

1945年には、東京大空襲により校舎が全焼し、これまで積み重ねてきた物的資産をすべて失うという壊滅的な打撃を受けましたが、杉浦にとってはこの窮地こそが、多摩美に独自の精神を植え付けるきっかけとなりました。1947年の再スタート時に「多摩造形芸術専門学校」と改称したのは、ゼロから形を生み出す「創造する意志」への原点回帰の決意でもあったのです。

逆境の中でも立ち上がる、この「限られた条件下でも表現を追求する姿勢」は、現在も同校の教育DNAに深く刻まれています。1989年の八王子キャンパス開設を経て、現在は10学科4,000名以上を擁する総合美術大学へと成長しましたが、その根底には常に「社会が求める表現者像」を問い続ける真摯な眼差しがあります。

「自由と意力」:社会に価値を実装する力

多摩美が掲げる建学の精神「自由と意力」は、現代社会において極めて実践的な意味を持ちます。「自由」とは既成概念からの解放であり、「意力」とはアイデアを現実化する実行力です。同校が目指すのは、単なる作家の育成に留まらず、「社会に新しい価値を実装できる人材」の輩出にあります。

その象徴が、企業や自治体の実課題を解決する「産学連携プロジェクト」。学生たちは地方都市のブランディングや大手メーカーの製品デザインなど、実際のビジネスの現場に飛び込みます。ここでは「美しい作品」を作ることがゴールではなく、クライアントの課題を創造的アプローチで解決し、市場調査から予算管理、プレゼンテーションまでを行う、アートとビジネスの交差点での学びが求められます。

こうした経験を通じて、学生たちは高いコミュニケーション能力とプロジェクト推進力を習得することができます。多摩美術大学の卒業生たちが産業界でイノベーションを起こし続けている理由は、在学中に培われた「思考の整理」と「社会への接続」という確かなプロセスにあったのです。

創造性が社会を変える起点となる

約90年に及ぶ多摩美の歩みは、アートが自己表現の枠を超え、社会を再構築する力であることを証明してきました。これからのAI時代、定型的な作業が自動化される中で、人間に求められるのは「前例のない問い」に答えを出す洞察力と創造力。多摩美術大学は、単なるアート業界への人材供給源ではありません。ビジネス、テクノロジー、地域社会といったあらゆる領域に創造性を注入する「社会変革の起点」なのです。

意匠の系譜:多摩美術大学が形作る日本の未来。- Special Interview|永井一史 / 佐藤可士和
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