東京の上野毛と八王子に広大なキャンパスを構える多摩美術大学は、日本を代表する私立美術大学の一つです。「タマビ」の愛称で親しまれ、ファッションデザイナーの三宅一生、俳優の竹中直人、写真家の蜷川実花など、多彩なジャンルで活躍する卒業生を数多く輩出してきました。約90年の歴史の中で培われた自由な創造の精神は、今も学生たちの表現活動を支えています。戦火による校舎焼失という試練を乗り越え、常に時代の先端を行く美術教育を実践してきた多摩美術大学。その歩みと独自の教育方針について、詳しくご紹介していきます。
多摩美術大学の歴史を語る上で欠かせないのが、創設者・杉浦非水の存在です。1935年の開校時、杉浦が目指したのは単なる技術者養成ではありませんでした。三越百貨店のポスターデザインなどで日本のグラフィックデザインを切り拓いた彼は、芸術と商業、美と実用を融合させることの重要性を熟知していました。当時の日本では、美術教育といえば純粋芸術の修練が主流でしたが、杉浦は「社会の中で機能する美術」という先進的な理念を掲げたのです。
しかし1945年5月、東京大空襲によって校舎は全焼します。学生たちの作品、貴重な教材、そして教育の場そのものが灰となってしまいました。しかしこの壊滅的な打撃は、多摩美に独特の精神を植え付けることになります。焼け跡から再建を決意した関係者たちは、失われた物的資産以上に「創造する意志」の重要性を痛感しました。1947年の再スタート時、学校名を多摩造形芸術専門学校と改めたのは、単なる改称ではなく「ゼロから形を生み出す力」への原点回帰を意味していました。
この経験は、現在に至るまで多摩美の教育DNAに刻まれています。与えられた環境に依存するのではなく、限られた条件下でも表現を追求する姿勢。完成された美よりも、試行錯誤のプロセスを重視する文化。