大阪府南河内郡河南町にキャンパスを構える大阪芸術大学は、音楽、美術、デザイン、映像、舞台芸術など15学科を擁する日本最大級の総合芸術大学です。あらゆる芸術表現を一つの場所で学べる「総合性」のおかげで、これまでに、画家・陶芸家・俳優・映画監督・ミュージシャンなど、多彩なジャンルで活躍する卒業生を数多く輩出してきました。なぜ大阪の地で総合芸術大学が発展したのか。そして、異なる表現分野が交わることで、どのような創造性が生まれるのか。エンターテインメント産業、地域文化、そして社会全体への影響という観点から、大阪芸術大学の役割と可能性を探ります。
1945年に『平野英学塾』という英語塾から始まった大阪芸術大学の歴史。創設者である塚本英世は、戦後の混乱期の中で「外国語の教育がこれからの日本には必要である」と確信し、塾を開いたと言います。その後、戦後という時代背景の中、路頭をさまよう子どもたち守るために保育活動を開始。英語と保育を通し”戦後求められるべきもの”をいち早く形にしていった彼は、やがて『日本の復興には”芸術・アート”が大きなカギを握る』という見通しをたて、保育科として機能していた『浪速短期大学』を、芸術の方向へとシフトさせていきました。これが現在の大阪芸術大学誕生の背景であり、“その時代で求められている人材を養成する” という大阪芸術大学ならではのビジョンが生まれた瞬間です。
しかしなぜ大阪という土地でこれほどまでに総合型の芸術大学が発展したのでしょうか。その背景には、大阪が持つ独特の文化的土壌があります。江戸時代から商業都市として栄えた大阪は、人形浄瑠璃や落語といった大衆芸能が盛んで、「実用性と娯楽性の融合」を重んじる文化が根付いていました。芸術を高尚な象牙の塔に閉じ込めるのではなく、人々の生活や商業と結びつけて発展させる。この大阪的な価値観が、総合芸術大学という構想と見事に合致したのです。