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Artist 一色俊秀 Isshiki Toshihide

一色俊秀

INTERVIEWインタビュー

一色俊秀

”絵との出会い”について教えてください。

物心ついた時から絵が好きでした。運動が苦手で、一人で絵を描いている方が好きだったんです。昔は紙もそんなになかったから、地面に絵を描いているような感じで。また、父が船の設計の仕事をしていて、要らなくなった青焼き図面を持って帰ってきてくれていたので、その裏の白地を落書き帳の代わりにしていましたね。小学生の頃、鉄腕アトムが流行っていたから手塚治虫の作品を描くなど、漫画家になりたいと思っていた時期もありました。

ですから、小さい頃は風景画というよりは漫画も含めて色々な絵を描いていました。それに、絵を描くとみんなに喜んでもらえたから、それで絵が好きだったというのもあります。中学生では美術部に入って、その時に初めて物を見て描くことや、デッサンを始めました。高校入学後は、美術部の先輩が美大受験で石膏デッサンをよく描いていたので、高校3年間は毎日石膏デッサンばかりしていました。

出航・相生港

その後は美大に入学。すでに芸術の道に進む意識もあったのですか?

美大に入るイメージはありました。その時はデザイナーになりたかったんです。

大阪芸術大学に入って1回生ではデザイン全般をやって、2回生からグラフィック・インテリア・プロダクトのいずれかを選ばないといけませんでした。大学に入った頃はグラフィックデザイナーになりたかったんですが、結局インテリアデザインの方に行きました。

1970年代はインテリアの方が食べていくのに困らなそうな感じでしたので(笑)。インテリアデザインだったらグラフィック的な要素も入りますから、そちらに進みました。卒業制作ではインテリアデザインの課題に取り組み、グランプリを獲得しまして、オフィスデザインができるということもあり、コクヨに入社することになりました。

オフィスデザインということは絵は描く機会はさほどなかったのでしょうか?

パーススケッチを描くことはありましたが、絵を描くことはありませんでした。絵を描くようになったのにはきっかけがありまして。1970~80年代はコンパクトカメラを持ってどこかへ出かけたら撮影していたんです。当時はウエストポーチが流行っていたので、そのカメラを入れて、風景などの写真だけを撮っていたのですが、1984年にカメラを盗まれてしまいまして…。

カメラを買い直すのもお金がもったいなくて、そのウエストポーチに入るハガキサイズのスケッチブックをカメラの代わりに入れるようにしました。それから写真を撮る代わりにスケッチをするようになったんです。カメラを盗まれなければ再び絵を描くこともなかったので、今思えば盗んだ人に感謝ですね(笑)

光を浴びて・浜離宮の桜

描画では様々な賞を獲得されたほか、講師としても活動されているようですね。

以前に妻が通っていた色鉛筆教室の先生に、私が描いたハガキサイズの作品500枚ほどを見せた際、水彩画のスケッチ教室を開くことを勧められ、2009年からペン水彩画スケッチの講師を始めました。これを機に、本格的に大きいサイズの絵も描き始めたんです。

教室では僕が描いたお手本をもとに、皆さんが2時間で色付けまで仕上げるというスタイルで行っていましたが、そのお手本を用意するため、F0サイズの絵も描き始めました。それまでのウエストポーチではなく、仕事用のカバンにスケッチブックを入れて、出張に行ったら1枚は描いて帰るということも始め、ストックもどんどん溜まっていきました。そして2014年に京橋である風景画の個展を訪れた際、出展していた画家の方に、そのストックを見ていただいたことがきっかけで、公募展への展示や、太平洋美術会への入会、日展などでの入賞、その後の活動の広がりにもつながっていったんです。

現在課題と捉えていることや、今後の抱負はありますか?

透明水彩で大きい絵を描くと、空の表現が本当に難しいです。

広い空を筆だけで仕上げるという部分で、雲のにじみやぼかしなどの表現もまだまだ修業が足りないと思っています。水の使い方や水加減、筆使い、それから同じ水を使っても乾き方によって表現も変わってきますから、そういう意味では奥深いですね。芸術には終わりがないですし、突き詰めればキリがない。常にまだまだだと思っていますし、これで良いと思ったことは一度もないです。

 実家に帰った時、近くの風景を描いたりします。兵庫県の相生という瀬戸内側で岡山寄りの場所で、本当に小さな町ですが、田舎に帰っていつも思うのは、普段何気なく通っている所でも見方を変えれば、すごく画になる風景はいっぱいあるということ。身近にある何気ない風景だけれども、視点を変えればすごく心を打つような風景になるんです。それを描くことで、そういった見え方を知ってもらいたいという想いがあります。

 千住博さんの著書にありましたが、美術の『美』という字は”羊が大きい”と書く。かつて、羊が大きいと食べるものに困らないということで”豊かさ”の象徴だったそうで、『美』=『心が豊か』ということを表すそうです。オフィスデザインの仕事をする時も、そこで働く人の心が豊かになるようなオフィス空間をつくろうと思って仕事をしていましたが、描画においても見る人の心が豊かになるような作品を描いていきたいと考えています。

 

 僕が今回日本橋アートさんに出しているもので、写実で描いたものは全部隠れハートマークを入れています。そういうものを見て楽しんでもらったり、じっくり鑑賞してもらって色々な発見をしてもらうことでもいいので、私の作品を通じて皆さんの心の豊かさに繋がれば何よりです。

光明寺・蓮池

EXHIBITIONS 展覧会情報

2025.07.01 ~ 2025.07.15

一色俊秀Web個展
光がテーマのハートのある水彩画展
身近にある何気ない景色も、光の状態や見方によって印象に残るシーンに変わります。 光をテーマに思いを込めて透明水彩で描きました。それぞれの絵の中に♡がさりげなく入っています。 じっくり作品を観ていただいてから、かくれハートも探してみてください。
一色俊秀幼少期から運動するより絵を描くことが好きでした。 父は造船所の艤装設計士で、不用になった青焼図面の裏が格好の落書き帳でした。 30歳から小さなサイズのスケッチブックを持ち歩いて、どこかに行くたびにスケッチを描くことを続けています(今は1000枚以上になっています)。 何気ない日常の中で心に響いた風景を絵にしています。 絵を通じて観る人の心が豊かになる時間を提供していければと思っています。 【略歴】 1955年 ・兵庫県相生市にて生まれる 1973年~1977年  ・大阪芸術大学芸術学部デザイン学科インテリアデザイン専攻 ・卒業制作グランプリ受賞 1977年~2019年 ・コクヨ株式会社にて42年間オフィスデザイナーとして勤務 2019年~ ・個人事業主として「といろデザインスタジオ」開設 1985年~2009年 ・外出先や出張先でハガキ大スケッチ (約300枚) 2009年~ ・外出先や出張先でF0サイズスケッチ (2023年までに約600枚) 【活動歴】 2009年 10月~ ・ヨークカルチャー教室(大船)にて「小さなペン彩画スケッチ教室」講師として活動 2010年 4月~ ・バーズカルチャー教室(港南台)にて「小さなペン彩画スケッチ教室」講師として活動 2017年 4月~ ・戸塚有隣堂カルチャー教室にて「小さなペン彩画スケッチ教室」講師として活動 【その他】 2015年 ・9月 四色展(家族の個展)開催 2016年 ・1月 太平洋美術会入会 ・5月 第112回太平洋展にて佳作入賞・会友推挙 ・9月 太平洋神奈川支部展にて神奈川県知事賞受賞 ・11月 太平洋美術会会友 2017年 ・5月 第113回太平洋展にて太平洋美術会賞受賞・会員推挙 ・10月 四色展(家族の個展)第2回開催 ・11月 太平洋美術会会員 2018年 ・5月 第114回太平洋展にて会員秀作賞受賞 ・10月 四色展(家族の個展)第3回開催 ・11月 太平洋美術会運営委員 2020年 ・10月 第7回日展初入選 2021年 ・10月 第8回日展入選 2022年 ・3月 第99回白日会展入選 ・6月 四色展(家族の個展)第4回開催 ・7月 太平洋美術会退会 2023年 ・11月 白日会神奈川支部展tvk(TV神奈川)賞受賞 2024 年 ・3月 第100回白日会展入選