就職、結婚を経ても美術をやりたいという気持ちが火種のように残っていた。
当時勤めていた職場で絵画研究所に通っているという人に出会い、飛びついたというヤマモトさん。
「その絵画研究所の先生の作品に衝撃を受けました。先生は当時70代の油彩画家でした。里山の風景を描いた作品が多かったのですが、リアルじゃないけど心に届く、粗っぽいのに繊細という不思議な絵で、油彩にも色々な表現の幅があるのだと知りました。油絵は見たものを細かく描くというイメージだったのですが、その先生は見たものを心の目を通して描いていたんです。色彩豊かなパステル画やマチエールを生かしたダイナミックな表現の数々に感動しました。絵を本格的に学びたいと思ったのはこの経験からです。」
絵画研究所を通じて武蔵野美術大学に通信学部があることを知ったヤマモトさんは再び飛びつく。
こうして武蔵野美術大学短期大学部の通信教育過程に入学し、主婦業や仕事をこなしながら絵の勉強をし、4年で卒業。この間に出産も経験した。
「卒業はギリギリでしたね。5年以内に卒業しないと中退になってしまうので。レポートを提出して、試験を受けに行って、単位を取っていかなきゃいけないのですが、それを乗り越える覚悟が曖昧なまま入学してしまい、夏休みのスクーリングで出会った仲間に支えられてなんとか卒業することができました。」
とてもタフな女性だ。しかし彼女の芸術への情熱はまだ続く。
子供が生まれたことによって、子供に絵を教えたいと考えたヤマモトさんは「こども美術学園」の講師資格取得を経て武蔵野美術大学の4年制大学の3年次(通信過程)に編入、教員免許を手に入れた。
中学生までを対象にした、こども美術教室「artfarm」を主宰しているが、現在、次のフェーズに進むための準備を行っている。
「子供と接するのはすごく楽しいですし、育っていく姿を見るのは自分にとって半分生き甲斐のようなもの。やれるところまではやってみようと思っています。ですが年々体力も落ちていくので、その先を見たときに絵に本腰を入れていきたいな、と。
今二つある教室を一つに絞って、自分の作品作りに比重を傾けていけるように整理をしています。
教室に来る子供たちのためにも、『自分が教わった先生はこういうことをしていたんだな』とわかるように作品を残していきたいです。今は多分、私が何をしている人か考えもしないと思いますが、いつか意識が芽生えたときのために。私が絵を続けることが結果的に子供たちを励ますことになるんじゃないかなと思っています。」
同世代の身内が亡くなった。「未来やろうと思ってもいつどうなるかわからない」と強く感じた出来事だった。
後押しされ、画業中心の暮らしに切り替えを行っている。それは絵画研究所で見た先生の絵への憧れに端を発した、本格的に自分の絵と向き合う覚悟の表れだ。
「駆け出しです。作家として。これまでは小さな作品をサイトで販売したり、依頼されたら描いたりする程度でした。グループ展などでの展示経験はありますが、ギャラリーでの個展といった大きなことはしていないので、これからはもっと作品を作って発表していきたいです。これから先の人生を考えたときに、今から準備をしないと間に合わないと思うので。その下地作りをしている転換期ですね。」
教室だけでなく、家族を支える主婦業もあり、多忙を極めるヤマモトさん。日常に振り回されても、その日常の中に作品作りを滑り込ませ、その時間を死守したいという強い意志が見える。
「どんなに忙しくても心が落ち着くんです、絵を描いているときは。素の自分に戻る時間、リセットのような。絵を描きたいからこそ、日常の仕事をこなすエネルギーが生まれてくるように思います。描きたい気持ちが生きる力なのではと感じます。絵を描いているととにかく心地よくなるので、自分の心が収まるというか。色に癒してもらっている感覚です。」