小川浩司・関根洋子

藝大出身画家夫婦間の約束~安易に画業を辞めない~


-簡単に自己紹介をお願いできますか?

(小川)出身は愛知県で旭丘高校の美術科を卒業しました。著名な画家を輩出ている割とアカデミックな美術を教えている珍しい学校です。その後、藝大に現役で合格して、18歳の時に東京に出てきました。

-現役で藝大ですか

(小川)当時は倍率が42倍とかで合格は55名、現役はそのうち私以外が3名で結構揉まれました。大体浪人して入る方が多いので、20代が多くて中には32歳くらいの同級生もいました。
今はわからないですが、当時の藝大生は学生時代から展覧会をやったりしていたので先生に教えてもらうというよりも、先生が学生に一人の画家として接してくださっていました。例えば先生が展覧会を見にきてくれて「これどうやって描いているの?」とか。だから授業というより仕事をしているような感覚に近い大学でした。
今ほど、どこのギャラリーでも扱ってもらえるような感じではなかったので、作品のファイルを持って行っても「うちでは扱えません」なんてことはよくありました。それでも若かったですから、なんとかお金を貯めて年に1回はやろうという形で続けていました。
大学院の時に国画会という公募団体に出品し始めました。
それでも今は二足のわらじでやっています。

-ずっと二足のわらじですか?

(小川)そうですね。絵だけで食べていくのはそれほど簡単なことではないですから色々畑違いの仕事をやりながら、ピーク時には一週間で三種類の仕事を掛け持ちしていたので一年中仕事をしていました。それで夜中に絵を描いていました。
そんな生活を続けていたらたまたま32歳の時に大学のツテで慶応から声がかかって、今は慶應義塾の藤沢キャンパスに勤めています。その時にはすでに結婚して子供も二人いたので(笑)そろそろ落ち着こうかなと‥。

-なぜ慶応義塾からお声がかかったのですか?

(小川)当時、美術教員はほぼ藝大から入っていてそのつながりで「小川が良いのではないか」と推薦していただいたという流れです。
(関根)出身は東京です。
高校は町田の桜美林高校だったのですが、その時は、将来、絵を描いていこうとはあまり考えていなかった‥。私の祖父が絵を描いたり写真を撮ったり趣味の多い人で、近所の今で言うアトリエに通っているうちに「絵を描くのは面白い」と思うようになりました。まさかそのとき将来絵を描くことを続けていくようになるとは考えもしなかったのですが‥。
その後、高校の時の美術の先生に「このくらい描けるのであれば美大を受験してみないか」と提案をいただいて、美大を目指すことになりました。
もともと絵は好きで周りからも「上手いね」とか言われ結構その気になってしまって‥結局しっかり3年浪人をしてしまいました(笑)
合格発表の報告に行くと「あなたが受かるとは‥」と言われました。あまり優秀な方ではなかったので、もっと合格すべき人がいたんだと気付きました。
私は不器用で結構のめり込むタイプなので‥でもこの時の記憶は今の原動力になっています。
大学は先ほど夫からもお話があったように展覧会を銀座などでやらせてもらって、先生にはなにか教えをいただくというよりも、一人の作家としてお話をさせていただいて学ばせていただきました。
大学卒業後は大学院に進み、その研究室のふたつ上にすでに夫がいました。
(小川)私が現役で関根が三浪なので学年は私が上ですが、年齢は関根の方は一つ上でした。
(関根)ややこしいのですが(笑)
(小川)油画技法材料研究室という研究室がありまして、技法に関してのケミカル的なことをやる研究室にいました。
大学院を修了後研究生という形で研究室に残ることになりました。
その後、妻が院の1年生として入ってきました。
だから研究室に入っていなかったら会っていなかったかもしれないです(笑)

-すぐにお付き合いが始まったのですか?

(小川)その1年後位ですね。
(関根)最初は結構みんなでご飯行ったりはしていたのです。
(小川)最初の子どもは30歳の時に授かったのですが、その時、妻は桜美林高校で非常勤講師の仕事をしていて私は電気工事とかそういう仕事をしていたわけです。

妊娠がわかって仕事を辞めるってなった時に桜美林の先生が「旦那責任取って」って(笑)それで代わりに桜美林で非常勤をやることになって、それが教員をやり始めたきっかけです。

その後は、私一人の稼ぎになるのでしんどくなることは明白でした。妻には共働きは子どもがかわいそうだから仕事はやめても良いが、絵はやめるなと伝えました。藝大に入るためにどれだけ苦労して入れなかった人がいるかということを考えると、安易に絵はやめない方が良い。継続していけばなんとかなると思っていました。
また子どもが独り立ちしたあとの就職に関しても、妻は桜美林高校の非常勤講師の仕事をしていた実績と藝大の学歴で仕事はなんとかなると考えていたので、今あわてることはないからそれで行こうって話し合いました。細々とではありますが、二人とも展覧会をしながら子育てもして、という日々が10年くらい続きました。

-関根さんは子育てをしながら絵も描いていたのですね。

(関根)そうですね。
大学院の修了制作を国展に出品してそれから出してはいるのですが、二人目が生まれた頃に1回か2回くらい体調が悪く出せなかったことはありました。満足していない作品もありましたが、出し続けるようにはしていましたね。

(小川)私が32歳くらいの時にやっと定職に付けて、それで少し安定したかなと思います。
よく「良い絵を描くにはハングリー精神が大事だ」と言われますが、私はちょっと違うと思うんですよね。ある程度、潤沢な資金と時間があってこそ良い絵が描けると思います。多少の余裕は必要だということですね。
それで一番下の子が中学に入る頃に妻の就職が決まってそれが今の仕事先です。

-お子さんは今おいくつですか?

(小川)上から27、25、21歳ですね。

-両親が画家さんだとお子さんもそちらを目指していますか?

(小川)全く。
「パパ、うちはなんでこんなにお絵かきの材料がいっぱいあるの?お店みたいだね」なんていうことを小さいころから言っていました。長男が小さいころに藝大のパーティに一緒に参加していて、藝大の校舎を見て「かっこいいね」なんていうものですから「ここだけはくるなよ(笑)」と。

(関根)夫は口には出さないですが、オーラのようなものを出していて、この道に進んだら大変だよということを言葉ではなしに訴えかけていたと思います。

(小川)この年齢になると結構二世っていると思うのですが、うちは三人とも一切絵はやらせていないです。

大学の学部も全然違うところを出ていますしね。

正直、絵描きは水ものだと思うので、教員をやっているから一応の恰好は付きますが。

やるなとはいったことないですが、一度も絵描きになりたいとかそういったことを言ってきたことはなかったですね。もともと私自体の家系が全く絵描きと関係なかったので絵描きという仕事にはこだわりはないので。

-展覧会を見に来たりとかは?

(関根)しょっちゅう来ていましたよ。子ども連れて展覧会やってました。
赤ちゃんの頃は、銀座の画廊の前でポットにお湯を入れてきてミルクを作ってあげたりしてました。
だから銀座の画廊のオーナーは結構うちの子が小さい頃から知っていますよ。オープニングパーティに一緒に来たりしていたので。

-自宅で制作をするときは夫婦別の部屋ですか?

(小川、関根)別々ですね。

※(写真)小川浩司アトリエ

-「こんな作品描いたよ」とか見せ合ったりしますか?

(小川)しないです。ケンカになる(笑)

良く聞かれますが、やっぱり絵の話はケンカのタネですよ。
だからお互いの職場で描いている国展のための150号の作品なんかは展覧会初日までお互いに知らないです。

(関根)私は写真とかを撮って「今こんな感じなんだけどどうかな」とか聞くことはあります。

でも「うんうん、いいんじゃない」みたいな感じで。

(小川)結構、無視してる(笑)
お互い画風が違うから言ったところで受け入れられないだろうし、根にもたれるだけだから。展覧会前に額装の手伝いとかすることはありますが、お互いそれほど絵のことには干渉しないですね。

-夫婦展のような形でお二人で展覧会をされたことなどはありますか?

(小川)先日鎌倉で初めてやりました。

国画会には夫婦の方が多くて、二人展をやっている方もいるのですが、照れくさくてやっていなかったのです。

ただ今回、鎌倉で立ち上げたばかりの画廊から私に声がかかり、せっかく鎌倉だから地元湘南で共通の友人が多いこともあり湘南をテーマにした作品で二人展が実現しました。有難いことに沢山の方に来て頂きました。

そこで面白かったのが、私は全然違う画風だと思っているのですが、初めて並べてみたらみんなが「色が似ているね」というわけですよ。

-納得されていないのですか?(笑)


 

※(写真)夫婦天展示風景

(小川)いやぁ、「えぇ?」とは思うのですがやっぱり同じ生活が長いとそうなるのかなと。
例えば他者の絵を見ているとあーでもない、こうでもないと話していると考え方が寄ってくるのではないかなと。学生時代は明らかに違ったのですが、その展覧会では「区別がつかない」とまで言う人がいて。

-関根さんはどう思われました?

(関根)普段から見ているので‥使っている材料も全然違いますし、違うという意識はありますね。ただ色などの考え方は少し似ている部分はあるのかな、と思っています。描き方や技法的なことは全然違うのですが。

-今後も夫婦展は予定していますか?

(小川)まだそこまで考えていないです。

-お勤めでいらっしゃると帰りも遅くて会わない日などもあるのではないですか?

(小川、関根)いや、それはないですね。必ず家では会います。

(小川)妻の方が遅いことが多いですね。
それでも妻は毎日必ず人数分のお弁当を用意してくれます。多い時は子ども3人分と私と妻の分で5人分の時もあります。
今、長男は名古屋にいるのですが、下の子2人は一緒に住んでいるので夕飯も家にいれば必ずみんなで食べるようにしています。

-絵を描くためのアドバイザーなどはいらっしゃいますか?

(小川)私はいないです。自分で考えています。中2で絵描きになりたいと思って、どうせならそういう学校に進もうと思い自学自習でやって、現役なので予備校も行っていません。

-藝大に入ってから色々教えてもらったりとかは

(小川、関根)ないですね。
(関根)良く誰々先生に師事してとかありますが、そういう空気ではないです。今はどうかわからないですが‥

(小川)他の大学なんかは割とこうしたほうが良いとか教えてくれていると思うのですが、もしかしたら今は藝大もそういう風に変わってきているかもしれませんけど。
私たちのころは指導されるという関係はなかったです。年に1回くらい講評会と言って教官が一斉にくるイベントはありますがそれも「へぇ~面白いね」くらいで終わり(笑)
「ここをもっとこうしてこうしなさい」などの指導はまず言わないですね。

今は時代が違うのかもしれませんが、私たちの時は‥なかったですねぇ~

(関根)私も同じような感じでしたね。色々な教授が「これいいね、面白いね、何使っているの?」とか。逆に、先生これ使うんですか!?みたいになってしまいます。

先生も生徒もお互いの展覧会を見に行ったりしてそこで刺激を受けることはありますが、基本的には間接的に見て影響を受けていました。

(小川)神経質な先生なんかは自分のアトリエには絶対入れなかったです。ある意味学生を一人の画家として、ライバルとして見ているからこそ技術などを盗まれると思っているのかもしれないですね。
だから先生がどんな材料を使ってどんな方法で描いているかなんて全く知らないし、聞いてもきっとはぐらかすでしょうね。

-夫婦が画家であることが嫌だったことはありますか?

(小川)う~ん‥嫌だったこと‥
気を使うことはありますね。

妻が疲れて帰ってきたときに、お金稼ぎの教員ではなく絵の方で疲れているんだなということがわかると、作家から主婦業に戻らないといけないですから。そこで気は使います。

(関根)私の方がスイッチの切り替えがうまく行かないことがあります。

(小川)絵の仕事は機械的な感じではなく、感覚的な部分がメインで脳が疲れることが多く、自分もそうなので良くわかります。

お互いの仕事のことわかっちゃっていると、言い争いの火種になっちゃいますけど、全く知らなければそんなことはないと思うんです。

だから妻が絵の世界の人でなかったら絵のグチ言いまくれますよ(笑)

(関根)私は嫌だったことはそんなにないですね。
多分すごく気にかけてくれているので、スイッチの切り替えがうまく行ってなくて申し訳ないなと思うことはあります。

-美術の先生として大変なことはありますか?

(小川)大変なことはありますけど、最近多くの学校で防犯上の理由から美術室に残って制作を続けてはいけないという流れになっている中で、私が勤めている学校ではそれがOKなんです。

またあと7年ほどで定年を迎えるのですが、画業も軌道に乗ってきたのかなぁ、と勝手に思っています。それこそ継続してきたからだと思っています。

だから、才能じゃないと思っています。才能ないと思ってますから。
同級生も辞めていないから今でも絵描きなんですよね。だからいかに辞めないでいられる経済力と体力があるか。それだけなんですよね。

(関根)私なんかは「せっかく藝大を出たのだから」という勿体ないという気持ちもあります。なんとか両立させたいと思って‥。
浪人して受かったときに私よりも全然才能ある人たちが落ちているのを見て、私が藝大に入れてもらったんだから、これでなんとかして生きていかないといけないなと思い続けて、継続していくべきだと考えるようになりました。

また、夫にも先生方にも言われたことがあるのですが、女性でなかなか続けられる人はいないので。当時は55人の学年で女性が10人しかいない年でした。今、続けている女性なんて数名くらいですね。だから子どもが生まれてもなにかしらの形で続けなさいと言われて。

(小川)やっぱ女性は出産で辞めてしまう人が多いのです。ご主人が絵に関係のない世界の方だと理解が得られず、続けられないケースが多いみたいです。

年配の女性で発表している方が多いのは、仕事は定年で子どもも離れてやっと好きなことができるようになって、経済的にゆとりもできて描けるようになったというのが多いです。

-絵を描き続ける原動力はなんですか?

(小川)やはり先ほどの「継続すれば・・・」という話と、購入者がいてその方々が今も活動を見てくださっていますので簡単に放り出すわけにはいかないですよ。

あとは国画会で年に一度150号の大きい作品を出しているのですが、それも自分に課しているのです。
私がいつも思っているのは生徒の試験と同じだと思っていて、人間は基本怠け者だから何か自分に締切をつくるようにしないと・・・

普通の生き方よりもどうせ人生一回しかないのだから人とちょっと違う生き方などを考えても良いんじゃないかなと思うんですよね。

-今後どうなっていきたいですか?

(小川)やっぱ絵描きとして名を馳せたいです。(夢です!)
子どもたちに誇れる父親ですかね。

(関根)私はずっと絵を描いていたいというのが小さいころからの夢だったのです。それができている今はすごく幸せに感じています。

少しずつですが、私の絵を良いと言ってくださる方が増えてきていて、購入してくださったり楽しんでくださったり。
若い頃に、夫に同じような道を辿ってくれば良いよ、と言われたことがあって、私にとってお手本のような部分もあるので、辿っていくと自分の絵を描く環境が整えられて、描き続けられるようになるのかなと思っています。

ここ何年かで、今までやってきたことが身になってきているのかなと思ってます。
常に今が一番良いと思えるようにしていきたいです。

来年も幸せとか再来年も幸せと思えるように描き続けていきたいなと考えています。

今話を聞いていると継続する環境を作るということが本当に大変そうですね。

(小川)結局絵描きって絵を描いているだけではダメなんですよね。
マネジメント、プロデュース、売り込み、自分をよく見せるとか多彩な能力が必要だと思います。「おれは絵描きだ」なんてふんぞり返っていても誰も評価してくれない。

後は、絵描きとしての大きな転機は10年単位ぐらいで変化がはっきり分かると考えています。毎年の変化を期待してると心が折れますね。

80歳ぐらいまで健康で生きたとしても残り22年ですから、後2回くらいの大きな変化に期待して制作していくつもりです。
そのためにも自分の能力を発揮し続けるための環境は絶対に必要だと思います。




【小川浩司プロフィールページ】

卵黄にスタンドオイル(乾性油)、膠水、でんぷん糊(小麦粉を水で溶き熱してできる糊)を練りこんで作る「練りこみテンペラ」という技法を用いて制作をしています。
これは、顔料と混ざりやすく、水で溶きやすく、乾きが早く、発色がよく、堅牢な画面を作ることができます。
制作に関しては油絵具に比べて修正が困難なので、最初からしっかりと下絵を描きます。従って下書きが出来てしまえばあとは丹念に絵の具を塗り重ねていくだけです。この塗り重ねが良い発色を生む大事な作業になります。
手のかかる古典の技法を駆使しつつ、徹底的に無駄を排除し簡潔な色面で構成するいわゆるアニメ的発想で、身近な湘南風景・庭の花々・ライフワークでもあるゾウのいる眺め(ワールド)を表現しています。

 

【関根洋子プロフィールページ】

大学修了以来、油彩画を描いております。
下地の色から丁寧に何度も塗り重ね、油彩の持つ透明感を駆使しています。
使用している絵具は原色がほとんどですが、塗り重ねることで画面上での色作りをしています。

題材は主に人物。人の持つ顔の表情。その表情から心も表現できたらと思っています。手先や眼の持つ表情も心を映していると考えています。

時間や季節を感じたいので、身近な季節の花や風景を加えていきます。
背景には、自宅近くの湘南の風景に心象風景を織り込んでいます。

 

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