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Interview: 蔵満ゆう

美術をやるなら海外へ。意志で道を拓き、人間の愛を描く

 
 

“ 自由に描く楽しさを知った原体験と、海外への憧憬
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抽象と写実の間を行き来するような独特の造形に、遠くからでも見る者を惹きつける色彩感覚で「人間」や「愛」を描き出す蔵満ゆう氏。創作活動の原点や、作品にこめる思いに迫った。
 
−絵を描きはじめたきっかけはなんですか。
 
絵は子どもの時からずっと描いているのですが、小学5年生の時に友人の誘いで絵画教室に通い始めました。12年ほどずっと通ったので、そこでの経験は大きかったと思います。
 
その教室の先生は、美術の基礎をきっちり叩き込むというような方ではなく、自由に描くことをとても大事にする指導方法でした。やはり絵画教室というとデッサンなど基礎力強化に力を入れているところも多いので、珍しいかもしれないですね。描くテーマやモチーフが決められているわけでもなくて、「自由にしていい」ということが心地よかった。
 
私は、人から「こうしなさい」と指示を受けるよりも何でも自分で決めたいと思う性格なのですが、そういう主体性の部分はこの絵画教室で身についたものだと思います。
 
−小さな頃から自然と今につながる創作体験ができていたのですね。そのままずっと、美術一本のキャリアを築かれてきたのでしょうか。
 
高校は美術コースのある学校に行っていて、そこは美術室がいくつもあったり、イタリアへの10日間の芸術研修があったりと、とても環境が充実していましたね。生涯、研鑽し合える友人にも恵まれました。
 
ただ大学は、それまで油絵をずっとやってきたので「別のことをしてみたい」という思いもあり、美大ではなく総合大学でリベラルアーツを専攻していました。特に語学については力を入れて学び、英語の教員免許も取りました。昔から漠然と「美術をやるなら海外に行きたい」と思っていたんです。大学の勉強をしながら、創作については先ほど言及した絵画教室の展示に出展したりと、地元のお祭りでランタンの下絵を描いたりと、地道に続けていました。
 
 

 
 

“ 作家としての視野を広げたロシアでの経験
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−海外で活動したいという思いがあったのですね。それは実りましたか。
 
はい。「アーティスト・イン・レジデンス」という、国ごとに芸術家を招待して、一定期間その土地で衣食住をしながら作品を制作して発表するというプログラムがあるのですが、大学卒業後にそのプログラムでロシアに5ヶ月間滞在しました。そのプログラムの成果として個展を開催して、一度帰国した後も、コロナになる前までは毎年ロシアへ行ってグループ展をしたりしていました。
 
−実際にロシアへ行かれてみて、手応えはありましたか。
 
ロシアはとても好きな国になりました。コロナや昨今の情勢がなければ定住したいと思っていたほどです。ロシア人は、広い大陸の多民族国家だからなのか、言語化能力が高く、芸術家ではない人でも作品に対して自分の意見を積極的に表現します。私も自身の作品に対して意見をもらい、私が描いた本人ではあるのですが、はっと気付かされることが多くありました。
 
例えばロシアでの個展では東日本大震災をテーマにした作品を出していたのですが、その作品を見たある人に「この作品のテーマ自体は悲しいけれど、前向きな力も感じる」というようなコメントをもらったことが印象に残っています。日本ではあまり、展示会で作家本人が在廊していたとしても、積極的に話しかけに行って自分の意見を述べるというよりは、静かに自分の中だけで味わって消化する人も多いように思うので、そこはカルチャーショックでした。
 
 

 
 

“ 人間の関係性を描き、愛の連鎖する世界へ
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−作品のテーマとしては、主にどのようなものを描いていますか。
 
「人と人の関係性」「人間の愛」について描いている作品が多いです。時代が変わっても、変わらないものを描きたいという思いがあります。今はなんでも手軽に写真に残せる時代ですし、その中で絵の役割って何だろうって考えると、関係性や愛のような、目に見えないものを具現化していくしかないのではないかと感じています。
 
これまでは人間の顔を描くことが多かったのですが、最近は肉体、身体の一部だけで表現するという試みもしています。私の中で「精神と肉体は繋がっている」という考えがあり、肉体の繋がりで精神の繋がり(愛)を、妖艶になりすぎない、ぎりぎりの狭間のところで描く試みをしています。ロシアで、「あなたの描く裸体には“性”が存在しない、純粋な絵だ」と言われたことも自分の指針になっています。
 
−特に思い入れのある作品はありますか。
 
“The most beautiful moment in the life”(人生で一番美しいとき)という作品です。これは尊敬する恩師が亡くなった時に、精神的限界の中で描いた絵です。亡くなった人に対する自分の思いに、目をそらさずまっすぐに見つめて描いた絵というのは、実はあまり多くないのではないかと思います。技術的に上手くできたというよりも、その時の感情を何も包み隠さず、飾らず、キャンバスにぶつけられたので自分でも思い入れがある作品です。そんなふうに自分の感情、あるいは世の中の人の感情を、ぱしっと表現できた時、私の中では「良い絵」だと感じます。
 
−きっかけとなった出来事は悲しいけれど、希望も感じる作品ですね。
 
結局は絵も何かを伝える「手段」でしかないので、見てくれる人が一番大事だと思っています。絵は、人の命を救うことは出来ないけれど、絵を通して希望を伝えることは出来る。なので私は絵を通じて人に寄り添い、それを見た人も周囲の人に寄り添える、そんな風に愛が連鎖していく世界であったら良いなと思っています。
 
 

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