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Interview: 賀子一平

コミュニケーションを土台に築く、賀子一平のアート活動

 

〔逆境〕F30号
“感情のために藍色の世界への歩みは止めない”という詩をテーマに描かれ、
「自分の感情のために藍色の世界=画家としての人生の歩みは止めないぞ。」という覚悟を決めた作品。

 
 
 

今にも画面から飛び出してきそうな迫力を有しているかと思えば、画面から消えてしまいそうな儚さを纏った描写―観る者を圧倒する藍色の世界。
数年前まで絵とは無縁の暮らしを送っていた賀子一平さん。
絵が好きでも得意でもなかった。もしくは、それまで絵が描けるとは本人も気付いていなかったというのが正しいのかもしれない。
彼は一体なぜ今、絵を描いているのか。
そこには賀子さんにしか語りえないユニークな背景があった。

 
 
「BINGOゲームで”はじめての水彩画セット”みたいなのを当てたのですが、未開封のまま家にずっと置いていたんです。ある日酔っぱらって帰って、朝起きたら、描いた記憶がない抽象画がたくさんあって。後日そのお話を上司や先輩にしたら、『ちゃんと描いたらどんな絵になるんだろう』と言われたことをきっかけに描いてみたんです。その絵をフェイスブックに上げたら欲しいという人が現れて、売れたんですよね。そこから絵を描き始めました」
 
 
記憶を飛ばして描いたという絵は線や丸だけのものだったというが今はもうその絵は残っていない。「飲みの席の面白話として周りに話していただけで、まさか自分が絵描きになるとは思っていなかったので」と振り返る。
それまでの賀子さんは料理人だった。16歳から料理人として勤め、和食やイタリア料理の厨房で包丁を握ってきた。

 
 
「中学から高校に上がるときに問答無用で高校行けと言われるじゃないですか。『中卒なんて何もできひんぞ』って。でも本当にそうなのか、一回働いてみてからじゃないとわからないと思ったんです。で、先生に言って、中卒で働ける仕事を紹介してほしいとお願いしました。中卒の仕事がどんなものかを身をもって体験して、それが嫌だったら高校に行くし、何かしら技術を着けようと思えるので。で、月曜から木曜の週4日、9時から5時まで働いて、金曜だけ学校に行って報告したり授業を受けたりしていました。今思うと面倒くさい中学生でしたが、給料ももらって、学校も出席扱いにしてくれていましたね。鉄工所で流れてくるボルトを仕分けるだけの仕事を1学期分やって、この仕事を一生続けるのは無理だと思いました。それで高校に行くことにしたのですが、自分の偏差値で行ける高校に入ったところで今と何も変わらないと思ったので夜間の学校に行きながら手に職を着けようと思ったんです。手に職ができて、独立ができて、一生困らないもので考えて、衣食住のどれかにしようと。それで料理やろうと思って料理人になりました」
 
 
絵を描く感覚は料理を作っていく感覚と共通するという。和食なら器の色や形をベースとしてそこにどう置いていくか配置や色合いを考えていく。逆にイタリア料理は真っ白のお皿にソースなどを乗せて、「描く」盛り付けをしていく。絵は学んでいないが、料理を通じて養った感覚を持って絵を描いている。今でこそ藍を基調とした作風だが、最初の頃は「せっかく絵具いっぱいあるし、全部使おう」と全色使って作品を描いていた。色の使い方は変化したが、その頃から変わらずあるのが”動物”だ。
 
 
「メインにしていないときでもどこかに必ず動物は入れています。動物の造形が好きなんでしょうね。進化の過程で行きついた形が。なぜここにこの柄が入っているのかなどを調べていくと面白くて。意味があるものや、逆にまったく意味のない進化を遂げているものもあります。依頼がないので描いたことはないですが、バビルサ、アリクイなど、面白いですよ」
 
 
〔生命〕F4号
まだどうやって絵を描けばいいのか、何を描けばいいのかがわかっていない中、感情だけをぶつけて完成した作品。

 
 
 
 
賀子さんは作品作りにおいて人との会話、対話に重きを置いている。例えば、絵を描いてほしいという依頼があると、「どういう気持ちで絵がほしいのか」「なぜ絵を買いたいという気持ちに至ったのか」などをヒアリングしていく。賀子さん自身が描きたいものと、依頼主とのコミュニケーションを通じて生まれる着想の融合が作品に落とし込まれる。
作家には創作意欲やアイディアにつながる刺激が必要だが、賀子さんの場合は刺激となっているのが人とのコミュニケ―ションだ。

 
 
「僕の作品は完全に自分100%で描いているかというと、そうではないんです。今、僕はバーの責任者をやっているのですが、お客さんと会話する中で聞く仕事、家族、恋愛といった悩みや考え方を通じて自分の中で生まれた感情や相手の方の感情を組み合わせて描いています。」
 
 
料理人から画家になった賀子さんは飲食店からの壁画依頼などの大型案件もあり、半年くらい絵を描くことで生活をしていた。働きに出ると時間の都合で大型案件が受けられなくなる。それでもバーで働くことを選択したのは自分が納得できる絵を描くためだ。
 
 
「画家としてだけで生活していると自室のアトリエで過ごすことが多くなるので食事とお風呂とトイレくらいしか部屋から出なくなるんですよね。するとどんどん描けなくなって、他人からスパイスをもらっていたのだとわかりました。他人ありきというか。対自分だけでも描けるのかもしれないけど面白味を感じなかったんですよね。自分だけで描くものは深みに入るだろうけど広がりがない。僕は基本的に感情をベースに描いているのですが、自分ひとりで考えうる感情ってどれだけ深く掘ったとしても自分の線でしかないんですよね。それが二人、三人になればその分の広がりがあって、その人を深く掘っていくこともできる。この形が自分に必要だと思ってバーに働きに行くことにしました」
 
 
「人間から生まれる感情」を基本としている賀子さんは「陽」と「陰」で言うなら「陰」の感情を深堀りしている。
「陽のほうの感情はすべてを見せるが、陰は隠すもの」、その隠された感情に踏み込んでいきたいという。そんなうってつけの場所がバーだった。

 
 
「深いお話に持っていくにあたって信用をまず得て、話の流れがあって、“この人になら話したい”と思ってもらうためにロックを徐々に外していく。そのロックを外した先にその人の本心の感情がある。それが知りたいんですよね。そこで知った感情をもとに作品を描いています。」
 
 
〔呼吸〕F10号
“それは叫び、それは痛み  それは生命の渇望”という詩をテーマに描かれ、人とのコミュニケーションの中で苦しみながら生きている人や、色々な人の陰の感情や負の感情を賀子さん自身の中で咀嚼して描いた作品。

 
 
 
 
また、アトリエにこもっているだけではできないこと、バーで働いているからこそのプロジェクトにも意欲的だ。
例えばバーにギャラリーとしての機能を取り入れ、地域活性の音楽フェスにアートを入れ込むなど、様々な取り組みを行っていく予定だという。

 
 
「日本はどうしても絵が売れないという現状がある。だから”絵を買う人を育てる環境”を作りたいんですよね。飲食店にも打呼び掛けて壁を貸してもらう予定です。ギャラリーといった絵を販売している業態に自分の絵をただ持っていって売ってもらうというより、自分も営業マンとしてセールスできなければ責任を持って自分の作品と言えないんじゃないかと僕は思っています。あくまで僕の主観ですが。せっかく制作から営業、販売まで一人で完結できる業種なので、最後までやったほうが面白いじゃないですか。
せっかくいい絵を描いているのに全くトークができない作家さんをたくさん見てきてもったいないな~と。きちんと絵を説明したら買ってもらえそうなのになって思うんですよね」
 
 
賀子一平にとって“アート”とは?


 
「 他人を含む自分の感情の出口  」 
 
 
 

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