Gallery Seek代表 塩野秀樹
東京理科大卒業後、父が経営する正光画廊に入社。その後、正光画廊の新ブランド「Gallery Seek」を設立。
正光画廊が所在する品川でスタートし、その後京橋、2018年1月より銀座にて営業を開始。
作家が長きにわたって活動できるよう、作家の適正な価値づけに重きを置き長期的視点でのバックアップを行っている。
まず、ギャラリーって大きく分けて2種類あるんですよ。
お客様からのご要望があったら作品を仕入れたり、これ売れそうだなという作品を仕入れて販売するセカンダリーギャラリーと作家さんと直接やり取りをして企画展などを行って絵画を販売するプライマリーギャラリーです。
Gallery Seekはプライマリーギャラリーの専門です。
2009年に品川で事業をスタートして2012年に京橋に移転、今年2018年の1月にここ銀座に移転しました。
はい、そうですね。
元々私は大学卒業と同時に父親が立ち上げた正光画廊で働いていたんです。
正光画廊自体は1972年創業の老舗画廊なんですが、そこはセカンダリーメインなんですね。要は仲介屋さんというか・・
多少現代作家さんを育てるための公募展もやっていましたが、主軸はセカンダリーで。
一応社長の中で作家を育てたいという気持ちはあったようなんですけど、お客さんのイメージはセカンダリーのイメージは強かったみたいですね。
それで、正直なところ私は社長である父親の言うことを聞くことができなくて(笑)違うことをやりたかったんです。
そのために正光画廊が他の画廊に比べて欠けている部分はどこかなって考えたら、その「作家を育てる」ことがほぼない状態だったんです。それなら同じくらいの世代でデビューした作家にスポットを当てたいと思ったのが始まりです。
10年位です。今も一応Gallery Seek自体は正光画廊の中のショップ名というかブランド名としてやっています。
なので正光画廊の各支店の中にスペースがあるので、地方巡回のような形で企画展として使わせてもらうこともあってそういう連携を取ることもあります。ただ基本的に動き方などは完全に別枠で動いています。
Gallery Seekとしては企画展、アートフェアあとは百貨店の企画展が主な活動内容ですね。
いや、大学は東京理科大で・・・(笑)
全然です(笑)
教師になろうと思って理科大に行ったんですよ。ただ教師になろうと思ったのも、元々勉強があまり好きではないんですよ(笑)
それで文系だと記憶しないといけないじゃないですか、それがいやで。。。数学とかだったら機械的に計算を間違えなければ点数取れるそれだけで行けるところないかなって理科大。
いや、本当消去法で(笑)
受験勉強も極力やりたくなくて。
それもすごい適当で教師は他にもたくさんなろうとしている人はいますけど、画商をこのタイミングでなろうと思う人ってなかなかいないだろうなと思って。
父親が画商をやっているこの人生じゃなきゃ、自分の感性なら絶対にやらない仕事だなと考えたんです。
それじゃあ、面白い方をやろうと思って画廊に入ることを決めました。
それが大学3年の教育実習行く直前くらいでしたね。
適当ですよね(笑)
だからそんな状態だから入った時何も美術のことわからない状態で。
正直最初はあいまいで、「なんとなくよさ良さそう」から入りました。
結局自分が良いと思ったら世界のどこかに良いと思う人はもうちょっといるかな?程度の考えで、自分が知識なくても良いと思うものを扱えばいいやと当時は思ってました。
さすがに最近はもうちょっと考えるようになりましたけどね。
例えば、ただ上手い作品を描くだけであればある意味職人的面があるんですが、他に上手い人がいればそれで終わってしまうんです。
小手先の上手さではなくて、どういうコンセプトで描いているか?どんなことを考えているか?とかを最近は重視するようになりました。
あとは作品に対する姿勢なども当然見ています。
今サイトに掲載している作家さんは60名くらいいると思うんですけど、年間で・・う~ん1,2名くらいかな。。
最近、若手作家にスポットが当たりやすい時代になっているから、
他のギャラリーを見ていると、作品も大して見てないし、本人に会ったりもしていないのに声をかけていたりするのを見かけるんですよね。
そういうことをやると若くて安いだけを売りにしてしまって、一定のサイクルが終わるとまた次の作家に声を掛けるという繰り返しが目に見えている。
本来は作家のキャリアを重ねて、ブランディングをしながら永く付き合うことを前提にするべきなのに、若い、安いということありきで毎年新陳代謝するようなのは違うと思います。
だから今は積極的に作家を増やすというよりも、
言っちゃえばうちが立ち上げの頃から付き合ってくれている作家さんのステップアップに力を入れたいなと思っています。
正光画廊の1ブランドとしてやるわけだから正光の「S」が使いたかったんですよね。それで「S」で縛って考えました。
あとはコレクターもギャラリーも良い作家さんや作品を探しているという意味で「Seek」と付けました。
アートフェアや百貨店などで展示をして、顧客を探すというのもありましたし(笑)
結局コレクター、アーティスト、ギャラリーがそれぞれを探しあっているという側面もあるので、ちょうど良いかなと。
今でもするときはありますね。
ただほとんどが電話しても、間に合ってますという感じで、相手にしてもらえない感じでした(笑)
その後、作家が担当者を紹介してくれたりして、取引が出来たり、アートフェアで知り合ったりして、少しずつ取引先も増えてます。
京橋の時は2階だったんですよ。2階だから歩いている人からも良く見えるし、看板も出していたからフラッと入ってくる方も結構いたんです。
それ自体は良いことだし、ありがたいことなんですけどね。
ただ、私にとって嫌いなタイプの方もいたりして・・
来て写真だけ撮って帰る方とか。どう考えても作品を見ていないであろうペースで歩いて写真を撮ったりして。。。
おそらく、SNSに後で投稿しているのかと思います。
例えばパフェとか食べないのにインスタ映えするからって理由で写真撮るのと同じで、美術好きをSNSでアピールするだけなんですよね。
見た上で気に入ったのを抽出してSNSに上げるのは良いと思うんですが、機械的に撮って帰っていくだけの人って結構いたんですよ。
少なくとも絵を好きな人に来てもらいたいですからね。
それでじゃあ、作品を見たいと思ってホームページを見たりして来てくれるだけの人で十分だし、むしろそういう人が落ち着いて見れる環境の方が良いから、場所は地下でも良いかなと思って。
お越し頂く方にはそれなりのリスペクトを払ってもらえると良いなと思っているんですよ。
作家さん、作品に対して。
いらっしゃる以上はその場所に対してもリスペクトは持つべきだと思うしギャラリーって基本的に無料で作品を見られるわけじゃないですか。
でもその無料で見られるっていうのは、ある意味作家が自分の時間や人生を削って作品を描いて、それを購入してくださる方がいるから成り立っているのです。
そこに対して多少のリスペクトは払ってほしいなと思うんです。
だからって買わないなら来なくてよいとまでは思ってないですし、買わなくても全く構わないのでそのことは頭の片隅に置いてみてほしいなと思うし。
仮に人生で購入できた絵が1点だったとしても、ちゃんとそういう目線を持ってみてくれるのであれば、うちで買う買わないにはこだわっていないです。
でも日本て贅沢品を嫌う風潮があって、アートもそこに含まれてしまっている。
お金があるなら貯蓄をすべきというか。
お金を使うことで社会が循環するという考え方がないから、そういう方が出てきてしまったのかなとも思うんですが。
日本人は必要に迫られて買う傾向が強いと思います。
引っ越して家が変わったから家に合う絵はあるか?飾る場所はリビングとか寝室に飾るとか、インテリア性を重視すると思います。
また、絵を見るときも飾る場所に合うかどうかを重視しているように感じます。
海外は必ずと言って良いほど「なんでこれを描いたの?」と聞かれます。コンセプト優先なんです。
日本には昔から床の間には掛け軸があって・・・とかインテリア性を求める文化があるんじゃないかなと。
海外はアーティストのセンスや感覚が、自分に合っているかを考えるから、このもの自体に対しての関心度が高い。
海外の方の家に行くと「私の好きなものはここにありますゾーン」みたいなものも存在します。一個一個に対する愛着が強いんでしょうね。
香港、シンガポール、台湾は以前から出していて、今年はマレーシアにも初めて出展します。今年の3月と5月に香港、7月に台湾、10月にはマレーシアと台湾、11月はシンガポール、今年はそれで終わりです、
来年もその辺は行こうかと思ってます。
香港はアート文化がアジアで一番進んでいるから、特に自分が持っている作品に対する愛着は強いと思います。
アートって自己表現の側面は描く側も買う側も必ずあると思うんですよね。
例えば20万円で絵を買おうと考えた時に、20万円の絵ってたくさんあるわけじゃないですか。
その中で自分がこれを選んだということは自分はこれが好きなんだという一つの自己表現なんだと思うんすよね。
だから他者と違う自己表現というステータスとして絵は持つべきものであるという価値観が根付かないといけないかもしれないですね。
民族性は強い要因ですね(笑)
話は変わるんですけど、先日縄文展に行ってきたんですよ。
美術雑誌の方から美術が価値づけされる前の文化とか考え方を見れるから行った方が良いと言われていったんですけど。
今は美術って贅沢品とか言われているけど、あのような時代の人たちでも言われた通りにツボとか作っていれば良いのに結構無駄なことをするわけですよ(笑)
こうしたほうがかっこよくない?とか、この模様の方が良いんじゃない?とか。じゃあ粘土をくっつけてもっと豪華にしちゃえば良いんじゃない?とか。
言われたことだけではなく他との差をつけたいというのは人間の根源性としてあるものだと思うんです。
衣食住の余剰でアートがあるように言われるけど、意外に衣食住がしっかりする前に自分の表現手段として本当に昔からもっと身近にあったものだったんだ。というのを感じましたね。
う~ん。贅沢品で終わってしまっているんですよね。
でも先ほども話した通りもっとその前の段階にあるものなんじゃないかなと思います。
今は需要がそれほど多くないのに、供給が多い状態というのも悪循環を生んでいるように思います。
例えばプロには絶対になれないクオリティの作家でも貸画廊にお金を払えば展覧会はできる。そうすると知り合いが付き合いで買ってくれる様な低価格で販売していて、本来きちんとした価値を付けているプロの作品が高く感じたりもする。また、そういうところでお金を使ってしまっている可能性があるから、価値のある作家さんにお金が回らないという状態。
それも結局売れる価格帯が下がっているというのはあります。ネットの普及で簡単にほしいものを調べられるじゃないですか。それで安い段階でお金を使って作品を購入してしまう。
その後その作家を継続的に応援してくれれば良いんだけど、結局(調べやすいから)他の作家に行ってしまう。だから生き残るのが難しくなってくる。
また、コレクターと作家の距離が近くなりすぎて、若手作家もある種コレクターの言う事を聞きすぎてしまったりする。
質が良くても安いのを購入者が求めるのは当然なんだけど、そういう側の意見を素直に聞いてしまって、「若くて安いのが当たり前、そうじゃないと売れなくなる」と、価格を上げるのをためらう作家も多い。
もちろんコレクターだけに責任があるわけではなくて、そういう意見に賛同するギャラリーも実際あったりする。
本来はギャラリーとアーティスト、いわゆる売り手側が主導権を持って価値を付ける、その価値に買い手側が賛同するなら買えば良いだけの話なのに、買い手側に主導権を渡す様な本末転倒なことも実際起こっていたりする。
単純に価格を上げても作家自身に「なぜ自分の作品じゃなきゃいけないのか?」ということを説明できないと、同じクオリティでもっと安い人のところにお客さんは行ってしまう。
だから市場としては作家もギャラリーも購入する人も全体的にボトムアップが必要なんだなと思ってます。
海外のアートフェアに結構出て思ったことなんですけど、クオリティという面では、日本の作家は比較的高いともいえます。
世界で評価される日本のアート、文化としては、ある種アニメを連想させる様な作品だったり、逆に工芸的な作品が主流とも言えます。
ただそことは違う、モダンやコンテンポラリーという言葉に捉われずに、普遍的な美意識も感じさせる作品を取り扱っていくというスタンスが特徴の一つかなと思います。
また、ギャラリー、百貨店、アートフェアの他、あまり競合他社がいない東北の支店、そして海外のアートフェアといった多種多様な場所で展示をするというのもありますね。
あとは、若いからだけでやるのではなくある程度長期的に見て作家さんの価値づけをしていくようにしています。
やはり美術を扱っている以上、後世に残すというのは目標の一つでもあるので、刹那的にではなく、長期的な視点で作家さんと付き合っていきたいと思うしお客さんからしてもそういう作家さんの方が購入したほうが後々うれしいと思う。
だからお客さんに喜んでもらうために作家さんをバックアップするという姿勢はスタートから一貫して持っています。
難しいな~(笑)
せっかくなので、特徴的な方を紹介します。
まず一人目が、日本画家の玉井伸弥。
Gallery Seekでは最年少の作家なのですが、一見すると古い絵に見える様な画面構成です。
和紙を染めてこの古い質感を出していますが、モチーフ自体は良く見るとデフォルメも非常に利いていて、非常にコミカルです。
言葉にするのは難しいんですが、マンガとかキャラクターものまでいかない、アート的な匂いも残す絶妙なセンス。
龍や虎など迫力あるモチーフから、カエルやウサギといった小さく可愛いモチーフまで、どれを描いても、しっかりこの人の作品だというのが分かる世界観がもう出来ているのも良いですね。
先日も香港のフェアに出したのですが、そこでも好評で海外のコレクターの方に作品をお持ちいただくことになりました。
2人目は古賀充、鉛筆画の作家です。
一見すると精密ないわゆる写実的な静物画なのですが、テーマは非常に哲学的かつ抽象的。
モチーフを描いているが、本当の見どころはその周りを取り囲む空気・時間・存在といった見えないもの。
「空間構築」というタイトルからも分かる様に、言ってしまえば見えないものを描くために、見えるものを描いているという。
例えば空気って同じはずなんだけど、そこに描いてあるものが時計なのか、果物なのか、骨なのかによって、感じる空気が変わってくる、矛盾とも言える様な感覚が凄い面白い。
ただこれが全くといって良い程、日本では理解されず(笑)
現在は写実絵画っていうジャンルが流行りの一つにもなってて、古賀充はジャンル分けするとそこに入れられてしまう。
その購入層は、とにかく手が込んだものが好きな方が多くて、こんなに余白を使って描いてる写実絵画に触手が動かないみたいで・・・
ただ海外に行くと、この哲学的なコンセプトと精密な鉛筆画っていう組み合わせが凄いマッチして、毎回必ず新しいコレクターが引き寄せられます。
個人的にはこの魅力にみんな気付いてくれれば良いなと思ってますが・・・まだまだうちのプレゼン力不足ですね・・・
他にもそれぞれ面白い一面を持った作家が多いので、お時間あれば是非ギャラリーにもお越し頂いたり、お問い合わせ頂ければありがたいです!