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Interview: 橋本健

自分らしい作品を世界に届けられる画家に

“ 芸術は子供の頃から身近だった „

 
 
普段は中学校で美術教員として働く橋本健さん。中学2年生の担任をしながら、サッカー部の顧問としても活動している。
現在は画家として、美術教師として働いているが、画家としての活動を始めたのは大人になってからだったという。

 
 


 
 
「活動を始めたのは10年ほど前、20歳の時です。
当時、大学3年生で授業も少なくなってきたこともあって、時間的に余裕があったので、作品を作るようになりました。
それまでは絵を描こうと思うことは少なかったですね。
高校まではサッカー部でしたし、大学も英米文学科でしたから、美術とは遠い学びをしていました」 
 
美術に無縁のように見える橋本健さんが絵を描き始めたのには理由がある。美術の教員をしていた両親の影響からだ。
 
 
「両親が美術の教員をしていたので、子供の頃から芸術というものは身近だったようにも感じます。
小さい頃からずっと両親が油絵を描く姿を見てきましたし、家族で美術館に行って芸術に触れることも多かったですね。
時間ができたときに絵を描こうと思えたのも、両親の影響を受けていたのかもしれません」
 
 
知らず知らずのうちに両親から影響を受けて始めた描画。更なる芸術への学びを深めようと美術系大学院への進学を決める。そして、進学した先で偶然にも両親と同じ道を進むことになるのだ。
 
 
「絵を描いているうちに美術を専門的に学びたいと、美術系大学院への進学に興味を持ち、夜間に予備校に通うようになりました。
最終的に上越教育大学大学院に進学し、日本画の研究室に入りました。
教員を目指していたわけではなかったのですが、進学したのが教育大学だったこともあり、教員としての勉強もしていましたね」
 
 
教員生活は忙しく、作品作りの時間を十分に確保するのは難しい側面もある。しかし、それでも絵を描くことを辞めない背景には、影響を受けた画家の存在があった。
 
 

“ 原点はターナーが描く「カタルシス」 „

 
 
橋本健さんが描く作品は寂しいようでいて、心にあたたかさを与える。そんな不思議な作品を描き始めたきっかけは、大学院時代の研究にあった。
 
 


 
 
「大学院時代に研究していた『カタルシス』が今の作品へ大きな影響を与えています。
自分の感情を込めて作品を作り出すことで、その絵を見た人の心が浄化されるような作品を描きたいと思っています」
 
 
「カタルシス」とは心理学で「浄化」を表す言葉。作品を鑑賞することで、日常の抑圧された感情を解放させ、快感をもたらすことを言う。
橋本健さん自身もこの「カタルシス」を経験したことで興味を持っていた。

 
 
「イギリスのターナーの描く絵にとても興味があったんです。
ターナーの描く絵はどこか『寂しさ』を感じる作品が多くて、その寂しさが自分の気持ちと一致していたんです。
その寂しさが浄化されていく感覚が『カタルシス』と呼ばれていることを知って、『カタルシス』を研究してみようと興味を持ちました」
 
 
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは18世紀後半から19世紀を生きたイギリスの画家。自身の理想を追い求める「ロマン主義」の画家として、風景画の作品を多数残している。
 
 
「ターナーの作品の中でも『戦争:流刑者とカサ貝』という作品が好きですね。
絵を描こうと思ったきっかけを作った作品でもあります。
絵の具を重ねたり、レイヤーを作ったりしている部分は自分の作品にも真似して取り入れています。
作品に技法を落とし込んでいるという点でも、ターナーは最も影響を受けた画家です」
 
 
『戦争:流刑者とカサ貝』はイギリスとの戦いに敗れたナポレオンが流刑される様子を描いた作品。ナポレオンが晩年を過ごしたセント・ヘレナ島の情景を想像して描かれたという。
 
 

“ いつかイギリスで芸術を学びに „

 
 
ターナーに影響を受けながら絵を描き始めたが、自分の作品だからこそ自分にしか生み出せない「価値」を最も大切にしている。
 
 


 
 
「『Gently sad』は自分らしさが1番よく表れた作品です。
筆跡や色使いなど、自分にしか出せないものが表れたと思っています。
悲しみだけでなく、立ち上がるような粉骨精神といった、自分の人生観も反映できた作品ですね。
誰かと同じものを描いても、自分だから抱く気持ちを込めて、自分の筆跡を自分の色合いで出せたら、自分らしいと感じています」
 
 
自分らしい作品を追求したい。そんな思いが溢れる、今年(2023年)の目標を聞いた。
 
 
「今後はこういった自分らしい人生観や技法が表現できた作品をできるだけ多くの人に見てもらいたいです。
昨年(2022年)は個展を2回開催したので、今年も可能な限り、個展の開催をしたいと思っています」
 
 
とにかく多くの人の目に入る機会を作りたいと力強く語る橋本健さん。その裏に、さらに大きな目標を抱えていた。
 
 
「国際的に活躍する画家になることが目標です。
日本だけでなく、世界に知られる存在になれるように、活動の幅を広げていきたいですね。
もし機会があるなら、海外の大学に入り直してみることも視野に入れています。
ターナーをはじめ、イギリスは多くの好きな画家が誕生した地ですので、憧れの意識は強いです。
実際にイギリスに足を運んでみて、ターナーの目線に立って、その土地で何を思って、どんな風景を目の前に絵を描いていたのかを、自分自身で体感したいと思っています。
そして、自分の人生観を反映した作品を生み出していきたいですね」
 
 
いつか世界で活躍する画家になることを夢見て。
橋本健さんの活動は続いていく。

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