北関東の緑の田園風景を見ながら育った私は、友だちと野山を駆け回る活発な子どもでしたが、一方でかなり敏感でシャイでした。習い事もいろいろしましたが、人との関わりよりも自分に没頭して絵を描く方が楽しく、居心地もよかったように思います。小学校から中高を通して写生部や美術部に所属し絵に関わってきましたが、外国への憧れが強く美大へは行かず英文科を卒業しました。
社会人を経て結婚し子どもが少し手を離れた頃、専門的に絵の勉強をしようと美大の通信課程に入学しました。夏のスクーリングで、全国から集まった年齢も職業も、目指す絵の世界も異なる様々な人たちと直接出会い交流し、絵を学ぶだけでなく広い社会を経験できた特別な時間でした。
出会った先生や仲間とはグループ展や公募展を通して今も活動を共にしています。5年以上かけて美術科を卒業し、県の美術展や公募展に出品する傍ら、仲間と会を立ち上げたり銀座の小さなギャラリーで個展も開くようになりました。
結婚後通っていた美術教室の先生のサポートもあって、半ばハッタリ的な勇気で開いた初めての個展は、それなりの評価をいただき次の個展への一歩となりました。
Interview注目の作家
十代の頃、私はセザンヌやゴッホ、ゴーギャンなど後期印象派の画家たちに傾倒し、画集を愛読書のように眺めていました。楽しいだけでなく、そこにある色や形、構図はイメージ創りのヒントにもなり、画集はいわば教科書のようなものでした。
後にセザンヌが景色と対峙した場所を見ようと、フランス・ローブの丘を訪れ、サント・ヴィクトワール山を背景に広がる光景を目にしたとき、まるで時間が止まったような感覚を覚えました。
その体験を通して、画家が“感じたものを描く”ということに惹かれ、やがて自分自身も絵を通して表現してみたいと思うようになりました。
印象に残る展示会としては、『安曇野絵画コンテスト』『マリンバ奏者企画の展覧会のマリンバ』、そして昨年地元で開いた『江村けい絵画展』があります。
『安曇野絵画コンテスト』は何度か訪れた安曇野で目にした道祖神、国定公園、桜や水車小屋を赤を施した画面に配置し、幻想的に描きました。タイトルには母が安曇野に寄せて詠んだ道祖神の短歌を用い、記念の絵となりました。
展覧会の『マリンバ』は奏者の先生が5人の作家の絵に曲を作られ、モニターに映る絵とともに演奏を楽しむショーのような新しいスタイルのイベントでした。自分の絵がイメージ曲に合わせて動いているような、絵と音楽がコラボする楽しさがあり、東京文化会館でもお披露目されました。
『江村けい絵画展』は地元の郷土美術館からのオファーで開催しました。江戸時代の医師の邸宅として国の無形文化遺産にも登録された美術館で、常設展のほかに年に一度現代作家の展示を催します。“あなたの絵はファンタジーだね” と評価をいただき開催となりました。庭園と樹木に囲まれた静かな環境の中で念願だった地元開催ができ、多くの方々と触れ合い地元への愛着が深まりました。
また、2021年に出版した創作絵本「さといもふぁみり〜」の原画展も忘れられない展示です。2023年にイラストとグッズ販売も兼ねて開催し、外国人観光客や地元の方々が訪れる下町のカフェギャラリーで、英語版絵本を通じた交流も生まれました。
身近な自然や旅先で面白いや素敵だなと思うと絵にしてみたくなります。特に花や動物は私にとって欠かせないモチーフで、景色はどちらかというと背景として彩ることが多いです。描きたいものを集合させて構成するため、キャンバス上で物の配置を何度も動かすこともしばしばですが、どのように描くかが私には重要です。題材はなんでも良いのかもしれませんが、現場で “見る・感じる”ことから絵が始まるので、感性を大切にしています。
描いた作品の中で私らしいと思える絵は、F30「野草の詩(やそうのうた)」です。若い頃、公募展で優秀賞を獲得した思い出深い作品で、野の花や虫たちは小さくも必死で生きている、その存在感を絵に表現したいという思いで描きました。10代の頃から親しんだアンリ・ルソーの影響も強く、彼の神秘的で幻想的な世界観が今も私の中に息づいています。
今後は、日々命を支えてくれる野菜たちを感謝を込めて描いてみたいです。そして、絵を描く時間が楽しいと心から思えるようになれれば幸せです。
幻想と現実のあわいを軽やかに行き来しながら、命の尊さを描く江村けい氏。長年の経験と確かな観察眼から生まれる作品は、時に物語のような奥行きを感じさせる。今後さらに深化していくであろう表現世界に期待が高まる。