小さな頃から絵を描くことが好きで、進学に際して絵を勉強できたらいいなという、何ということはない軽い気持ちで芸大を受験しました。高校で専攻していたフランス語で受験することができたのも幸いでした。フランス語で受験する人はあまりいなかったのか、大学の先生が手書きしたのであろうガリ刷りの試験用紙だったことをよく覚えています。
卒業する際も、特段画家になろうと考えていた訳ではありません。時代風潮的にも就職する人は少なかったので、流れで描き続けているというのが近いかもしれません。
小さな頃から絵を描くことが好きで、進学に際して絵を勉強できたらいいなという、何ということはない軽い気持ちで芸大を受験しました。高校で専攻していたフランス語で受験することができたのも幸いでした。フランス語で受験する人はあまりいなかったのか、大学の先生が手書きしたのであろうガリ刷りの試験用紙だったことをよく覚えています。
卒業する際も、特段画家になろうと考えていた訳ではありません。時代風潮的にも就職する人は少なかったので、流れで描き続けているというのが近いかもしれません。
高校で美術教室の掃除当番が回ってきた時、油絵の匂いがすごくきつくて。油絵を描くにはこんな匂いに耐えないといけないのかと思い、それなら日本画にしようと。今思えばいい加減なものです。それに、蓋を開けてみたら、日本画で使う膠(にかわ)もそれなりに匂いのきついものでした。ただ、芸大を卒業して、彫刻に手を出したり色々と遊びながらも、日本画は変わらずに50年以上描き続けてはいるので、自分はきっと相性が良かったのかなと感じます。
日本画は、まず絵の具自身がすごく綺麗です。材料に宝石が使われることもあるので、その石が持つ力のようなものが絵画にも反映されるのだと思います。私は朱やトルコブルーなどの色が好きなのですが、特に朱という色は古墳や鳥居など特別な意味を持つ場所に使われることも多く、有史以来、日本人が様々な思いを込めて使ってきた色なので、色そのものが持つ力というのもあるのではないかと思います。
舞妓さんの着物は色使いや小物など、ひとつひとつに意味があります。例えば、どこかに必ず赤色を差していたり、見世出し(舞妓としてのデビュー)から間もなければ豪華な帯をしたり、髪飾りは毎月季節の花が決まっていたり。そういう人為的な美しさに惹かれることが多いです。
特に意識しているわけではないのですが、振り返ってみると人物画は楽しんで描いていますね。特に舞妓さんなどは18、19歳の少女から大人へ変貌していく時期で、その頃特有の美しさ・可愛らしさは唯一無二です。
同じ美しさでも、例えば花などはうまく描けない。花そのものが綺麗すぎるので、ただの模写というか、自分の花にならないと感じます。花を好んで描く画家さんは、ぱっと見てこれは○○さんの花だと分かります。自分はそれを出せないので、花に選ばれていないのでしょうね。好きなものを描いてきただけではありますが、結果的に人物画が多くなりました。
絵を描く時は何も考えていない。没頭し始めると何時間でも時が過ぎます。無我の境地だからこそなのか、出来上がった作品を見た人からかけられる言葉で気付かされることもあります。自分では美しい・可愛いものを描いているつもりなのですが、人から怖いと言われることが時々あります。あえて言葉にするならば、美しさの中にも少し陰りがあるものに、気付かないうちに惹かれているのかもしれません。私生活でゴタゴタしていた時に描いた作品などは、可愛らしい舞妓さんを描いたつもりなのに、見た人からこの舞妓さん怒ってると言われたことがあり、それほどまでに内面が反映されるのかと、描いた自分が驚かされたこともありました。隠し事ができない恐ろしい仕事だとも思うのですが、そうでなければ作品とはいえないのかもしれないです。
諦めが悪いといいますか、描くことが好きで、ずっと続けてきたというだけで。時には人と話しながらやビールを飲みながらでも、描くというのが当たり前という日常を過ごしてきているので、数日描かないと強迫観念のように”描かないと”なる。いつでも絵を描くことが心にひっかかっているので、人から休みの日は何してるのと聞かれたりする時には、冗談めかして休みなんかないのよと答えたりもします(笑)
何気ない選択から始まった日本画との50年。無我の境地で描き続け、自身の内面さえも映し出す作品を生み出してきた亀山氏。舞妓の人為的な美しさや、18、19歳の少女が持つ唯一無二の美しさに惹かれ、人物画を中心に制作を続けている。描くことが日常となり、数日描かないと強迫観念のように描かないとなるという亀山氏の、これからの作品にも期待が高まる。