2024.11.01 ~ 2024.11.15
分散、消滅の造形
日本文化から創出した現代アートの新しい形式
私は今年、86歳になり、年を取ってきている。何かが出来なくなっている。そんな情けない状況ではあるが、絵画の新しい形式を、ここ数年の間に作り出した。2024年1月にはデッサンクロススケールの特許を取得した。まだ考える余力はある。
新しい絵画の形式とはどんなものか。
2015年、私は『フリーアート』という本を出版した。ここでは、私の心中は“へなへな、ふにゃふにゃ”といった感慨で覆われていた。これは私が日本文化から私の直感で感じ取ったものだ。この本で、日本文化には、すきまのようなものがあり、そのことをモトにして本をまとめてみた。さらに年を重ねて、2022年5月、『ジャポニズムの眼』を出版した。この折り、発掘の専門家で、縄文に詳しい私の友人からの話、そして彼の推薦する縄文の出土品、これらのアドバイスと資料を、私の考えている日本文化に照らし合わせてみると、日本文化のすきまのようなものに、ますます、確からしさが加わってきた。縄文文化を基本に考えると、その後の日本文化が考えやすくなり、これをモトにして『ジャポニズムの眼』を書いた。ここで強く感じたのは、日本文化は、自然と密着しているということだ。日本人は自然を愛着している、信仰のような、簡単には言えない日本人独自の世界観がある。ここで私が注目したのは、日本歴史の1200年代、1212年、鴨長明の著作による『方丈記』である。「ゆく河の流は絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶ泡沫は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまる例なし。世のなかにある人と栖と、又かくのごとし」といった自然観で、自然の流に関して、人間にとって不条理なものを、動物的な感覚で、素直にそのまま受け入れる。この受け入れの姿勢は日本の禅の世界にも通じる。
自然は山、川のようなものから生き物にわたり、存在物としてこの世界を占めている。これらは、すべて運命を持ち、いつかは消滅する。このような考えを昔の日本人は持っていたのではないかと私は推量する。誕生と消滅は自然の原理で、これを深く受け入れることは自然と密着していた昔の日本人、特に縄文人には強かったとおもわれる。
私は以上のことから、ものはいつかは分散したり、消滅するという世界観を、現代絵画に適応してみた。
ピカソのキュービズムは、ものを色々な角度から見て、それを同一画面に配することによって画面に面白い効果を生じ、これが現代絵画の新しい形式になった。ダリのような現実にはありえないものを描くことによって、新しい絵画の形式を創作している。
私の考える「分散、消滅の造形」は日本文化から読み取れる。人と自然の同体の姿勢から物の消滅をとらえ、ものにすきまが出来る、ものとものが分かれる、ものが消滅することを踏まえて造形する。ものとものがズレたり、離れたりすることは現実には有り得ないようなことを、創作に転用する。そのことによって、ものの生命を新しく認識する。これが私の考える新しい形式の絵画である。
このような絵は、世界の誰もが描いていない。日本文化の特殊なすきまのようなものから創作したので、すきまアート、Gap art,として日本から発信したい。
● 菅沼荘二郎
2009年から2022年までに水声社から出版された3冊の拙著の内容と共通するものが、私の絵のコンセプトになっている。
2009年に『となり町の寒山』を出版している。この時期では日本的要素と現代美術とを考え合わせた事柄を模索しながら、作品を創作している。