戦火の要塞から世界一の美術館へ――
ルーヴル、900年の物語

モナ・リザが眠る宮殿と日本との、知られざる絆

国内外で注目を浴びるアートトピックに着目し、その魅力を紹介するコンテンツ《CLOSE UP》。今回のテーマはフランス・パリにある世界最高峰の美術館『ルーヴル美術館』です。年間約1,000万人が訪れる、世界で最も愛される美術館はいかにして誕生したのか。12世紀の要塞から現代の芸術の殿堂へと至る約900年の変遷を辿りながら、ルーヴルが持つ多層的な魅力に迫っていきます。

要塞から宮殿、そして人民の美術館へ――ルーヴル900年の変遷

現在私たちが「美術館」として知るルーヴルは、その起源を12世紀の軍事要塞に持つ建物です。1190年フランス王フィリップ2世がパリ防衛のためセーヌ川右岸に建設した城塞こそが、ルーヴルの始まりです。円形の塔と厚い城壁を備えたこの要塞は、十字軍遠征中の王がパリを守るために築いたもので、現在も美術館地下に中世の基礎部分が保存されています。

ルネサンス期、芸術を愛した王の宮殿へ

14世紀にシャルル5世によって居城へと改築されたルーヴルは、その後軍事施設から王の権威を示す象徴的な建造物へと変貌を遂げ、現在の形とも言える芸術と結びついたのは16世紀ルネサンス期です。1546年、フランソワ1世が古い要塞を取り壊し、建築家ピエール・レスコーにイタリア様式の優美な宮殿へと大改築を命じました。この改築が現在のルーヴルの元となっており、ピエール・レスコーが建築したこの建物は、後にルネサンス建築の傑作として評価されるのです。

また、芸術の庇護者としても知られたフランソワ1世は、晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招聘したと言われています。ダ・ヴィンチは『モナ・リザ』を携えてアルプスを越えフランソワ一世の元を訪問。そのままフランス王宮で最期を迎えたと言われており、『モナ・リザ』がフランス王室コレクションとなったのもこの時とされています。アンリ2世、シャルル9世、アンリ4世と歴代国王によるルーヴルの拡張と美術品の収集が続き、宮殿としてのルーヴルはフランス王権の文化的象徴となっていきました。

レオナルド・ダヴィンチ

絶対王政の象徴から放棄された宮殿へ

17世紀、「太陽王」ルイ14世の時代にルーヴルは絶頂期を迎えます。壮麗なバロック様式が加えられより豪華で荘厳な外見となったルーヴルでしたが、1682年にルイ14世は突如ルーヴルを放棄し、ヴェルサイユへ移転することを発表。パリ市民への不信感、統制された宮廷の実現、そして絶対権力を体現する新宮殿創造への野望が理由だったとされています。

主を失ったルーヴル宮殿は、芸術家のアトリエや王室コレクションの保管庫として使われるようになりましたが、皮肉にもこの「放棄」こそが、ルーヴルを美術館へと変貌させる第一歩となったのです。さらに18世紀には啓蒙思想の高まりとともに「芸術は王族の独占物ではなく、市民が享受すべき文化的財産である」という声が強まり、1789年のフランス革命で王政が倒れたことをきっかけに、1793年8月10日、革命政府は旧王宮を「中央芸術美術館」として一般公開しました。これがルーヴル美術館の正式な誕生です。

要塞から王宮、そして市民の美術館へ――ルーヴルの900年の歴史は、権力の象徴から文化の共有財産へという近代社会の理念そのものを体現していると言えるでしょう。

ルーヴル美術館内

ルーヴル美術館と日本の知られざる関係性

世界最高峰の美術館として君臨するルーヴルと遠く離れた日本との間には、意外なほど深い結びつきが存在するのをご存知ですか?例えば、2011年の東日本大震災直後、ルーヴル美術館は被災した東北の美術館を支援するため、自館のコレクションを携えて仙台、福島、盛岡の三都市を巡回する特別展を開催しました。「ルーヴル美術館からのメッセージ:出会い」と題されたこの展覧会は、震災で傷ついた人々に芸術を通じた希望を届ける、単なる文化交流を超えた人道的な連帯の証とも言えます。その他にも、日本とルーヴルの関係を示す物事をご紹介します。

三重県に存在する、ルーヴル唯一の姉妹館

日本の三重県津市に、世界でただ一つ、ルーヴル美術館が公式に認めた姉妹館が存在します。1987年に開館した「ルーヴル彫刻美術館」です。ルーヴル美術館の許可を得て制作された約1,300点の彫刻レプリカを展示し、古代ギリシア・ローマ彫刻からルネサンス、バロック期の名作まで、本物と同じ素材・技法で再現された作品群が並びます。ルーヴル美術館が姉妹館として認めた背景には、レプリカ制作における高い技術力と芸術教育への真摯な姿勢があったとされています。

夏目漱石が見た明治のルーヴル

日本近代文学の巨匠・夏目漱石は、1907年のパリ滞在中にルーヴル美術館を訪れたと言われています。文部省の命でロンドンに留学していた漱石は、帰国前にパリに立ち寄り、初めて本格的な西洋美術に接しました。ルーヴルで目にした膨大なコレクションは彼に深い衝撃を与え、帰国後に執筆した代表作『三四郎』では、作中の画家・原口が西洋芸術に触れて苦悩する芸術家として描かれており、漱石自身がルーヴルで感じた文化的な隔たりと憧憬が投影されていると言われています。

夏目漱石

漫画を「第9の芸術」と認めたルーヴル、日本から荒木飛呂彦が参加

2009年、ルーヴル美術館は漫画を「第9の芸術」として正式に認め、世界の著名な漫画家を招いた企画展『ルーヴル美術館BDプロジェクト』を開始しました。日本からは『ジョジョの奇妙な冒険』の作者・荒木飛呂彦が真っ先に声をかけられました。荒木氏の緻密な作画技術と、西洋美術からインスピレーションを得た独特の様式美が、ルーヴルの審美眼にかなったとされており、荒木氏はプロジェクトのために『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』を描き下ろし、2010年にルーヴルで開催された『小さなデッサン展―漫画の世界でルーヴルを』に出品しました。世界最高峰の美術館が漫画の芸術性を認めたことは、日本が世界に誇る文化の地位を象徴する出来事となりました。

2026年春、「ルーヴル美術館展」が日本で開催決定

2026年春、日本国内で大規模な「ルーヴル美術館展」の開催が決定しています。今回の展覧会の最大の目玉は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『美しきフェロニエール』の初来日です。この作品は「ミラノの貴婦人の肖像」とも呼ばれ、ダ・ヴィンチが1490年代に描いた傑作です。スフマート技法による柔らかな陰影と、モデルの知的な眼差しが印象的な名画を日本で鑑賞できる貴重な機会となるので、ぜひこのチャンスに見てもらいたいところ。

美しきフェロニエール

2026年は“世界遺産登録35年”の節目の年

2026年は、ルーヴル美術館を含む「パリのセーヌ河岸」がユネスコ世界遺産に登録されて35周年を迎える記念すべき年。1991年の登録以来、ルーヴルは単独の建造物としてではなく、セーヌ川沿いに広がるパリの歴史的景観の一部として、世界遺産の地位を保ってきました。しかし、なぜルーヴルは単独ではなく、セーヌ河岸全体として登録されたのでしょうか。
その理由は、パリという都市の成り立ちと深く関係しています。セーヌ川はパリ発祥の地であり、川を中心に都市が発展してきたため。ルーヴル宮殿、ノートルダム大聖堂、オルセー美術館、エッフェル塔といった歴史的建造物はすべてセーヌ川沿いに点在し、川という軸で結ばれた一つの文化的景観を形成しています。

セーヌ川

ユネスコは、これらの建造物群が織りなす景観全体を「中世から20世紀に至るパリの都市発展を示す顕著な例」として評価したため、登録範囲はシュリー橋からイエナ橋まで約8キロメートルに及び、パリの歴史と文化の精髄が凝縮されているのです。

【三大至宝】ルーヴルで見るべき名作10選

ルーヴル美術館の膨大なコレクションの中でも、特に見逃せない傑作を11点厳選して紹介する。「ルーヴル三大至宝」と呼ばれる『モナ・リザ』『ミロのヴィーナス』『サモトラケのニケ』を筆頭に、西洋美術史に輝く名作の数々を、その魅力とともに解説します。

1. モナリザ(三大至宝)(ルーヴルの三大美女)

レオナルド・ダ・ヴィンチが1503年から1519年頃に制作した『モナ・リザ』は、世界で最も有名な絵画と言えるでしょう。縦77cm×横53cmの板に描かれた謎めいた微笑みは、スフマート技法による柔らかな輪郭線と幻想的な背景で500年以上人々を魅了し続けています。ちなみに、『モナ・リザ』は1911年に盗難に遭い2年間行方不明となり、世界中のメディアが連日報道したことがきっかけで知名度が爆発的に高まったとされています。

2. ミロのヴィーナス(三大至宝)(ルーヴルの三大美女)

1820年にエーゲ海のミロス島で発見された古代ギリシア彫刻。紀元前130年頃に制作され、愛と美の女神アフロディーテを表現しています。高さ約2メートルのこの大理石像の最大の特徴は、両腕が失われていることです。この「欠損」こそが鑑賞者の想像力をかき立て、完全な美よりも深い魅力を生み出しているのです。S字を描くように捻られた身体、優美な腰のライン、神々しい表情は、古代ギリシア人が追求した理想的な人体美の極致とも言えます。

3. サモトラケのニケ(三大至宝)(ルーヴルの三大美女)

翼を広げて立つ勝利の女神像。紀元前190年頃に制作され、1863年にエーゲ海のサモトラキ島で発見されました。頭部と両腕は失われていますが、前進する躍動感、風になびく衣の表現、力強く広げられた翼は圧倒的な感動を与えます。また、高さ2.75メートルの大理石像は船の舳先を模した台座に立ち、海戦の勝利を記念して奉納されたと考えられています。ちなみにこの像は、階段の踊り場に配置されており、階段を上がった瞬間に目に飛び込むという劇的な配置もまた作品の魅力を引き出しています。

4. 民衆を導く自由の女神

ウジェーヌ・ドラクロワが1830年の7月革命を題材に描いた、ロマン主義絵画の代表作です。中央で三色旗を掲げる女性「マリアンヌ」は自由の擬人化であり、今日のフランス共和国の象徴です。その他、銃を持つ少年や倒れた兵士、民衆の姿が力強く描かれており、革命の熱気と混沌が画面から溢れ出すようです。縦2.6m×横3.25mの大作は、自由・平等・博愛というフランス革命の理念を視覚化した歴史的にも芸術的にも重要な作品です。

5. ナポレオン1世の戴冠式

ジャック=ルイ・ダヴィッドが1807年に完成させた縦6.21m×横9.79mの巨大な歴史画。1804年12月2日、パリのノートルダム大聖堂で行われたナポレオンの戴冠式の瞬間を描く。皇帝ナポレオンが妻ジョゼフィーヌに冠を授ける場面を中心に、教皇ピウス7世や廷臣など約200名が精密に描き込まれている。ナポレオン自身が依頼した政治的プロパガンダの側面を持つが、新古典主義による荘厳な構図と写実的描写は芸術作品として高く評価されている。

6. カナの婚宴

パオロ・ヴェロネーゼが1563年に制作した、ルーヴル美術館で最も大きな絵画です。縦6.66m×横9.9mの巨大なキャンバスには、新約聖書のカナの婚礼でキリストが水をワインに変えた奇跡の場面が描かれています。しかし、本作は聖書の物語というより、16世紀ヴェネツィアの豪華な宴会風景として描かれており、130名以上の人物が華やかな衣装で登場する、ルネサンス期ヴェネツィア派の色彩美と壮大な構図が融合した傑作です。

7. レースを編む女

ヨハネス・フェルメールが1669-1670年頃に描いた、縦24cm×横21cmという小さな絵画。フェルメールが得意とする”光の表現”が凝縮された傑作で、レース編みに没頭する若い女性の姿を親密な視点で捉えています。背景をあえてぼかし、女性の手元にピントを合わせた表現が写真のような効果を生み、印象派の巨匠ルノワールが「世界で最も美しい絵画」と称賛したほどです。

8. ハンムラビ法典

紀元前1792年頃、古代バビロニア王国のハンムラビ王が制定した法典が刻まれた、高さ2.25メートルの玄武岩の石碑です。上部には王が太陽神シャマシュから法を授かる場面が浮き彫りにされ、下部には楔形文字で282条の法規定が記されています。ハンムラビ法典と言えば「目には目を、歯には歯を」で有名ですが、実際には土地売買、賃金、相続、婚姻など市民生活全般を規定した実務的な法律集であり、人類最古の成文法の一つとして法制史上極めて重要な資料とされています。

9. タニスの大スフィンクス

古代エジプト第19王朝のファラオ、ラムセス2世の時代に制作された巨大なスフィンクス像です。全長4.8メートル、重量約12トンという規模は、エジプト国外で保存されているスフィンクスとしては最大であり、1826年にナイル川デルタ地帯のタニス遺跡で発見されたのち、フランスに運ばれました。ライオンの身体に人間の顔を持つスフィンクスは王の力と知恵を象徴する存在で、風化により細部は失われているが圧倒的な存在感を放っています。

10. 聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ

ラファエロ・サンティが1507年頃に制作した、別名《美しき女庭師》とも呼ばれる聖母子像。聖母マリアの膝に幼子イエスが座り、洗礼者ヨハネが傍らで祈る姿を牧歌的な風景の中に配置しています。「聖母の画家」として知られるラファエロは、レオナルド・ダ・ヴィンチが発明した三角形構図と、ミケランジェロの影響を感じさせる躍動感ある表現を取り入れて制作しました。先人の技法を吸収しながら独自の様式を確立した「ルネサンス様式の完成者」の真価が発揮された傑作です。

 

デジタル時代のルーヴル

2020年のコロナ禍による閉館を機に、ルーヴル美術館はデジタル化を加速させました。現在、公式サイト「Collections」では48万点を超えるコレクションがオンラインで公開されており、世界中どこからでも高解像度の画像で作品を鑑賞できるようになっています。また、バーチャルツアー機能を使えば、実際に館内を歩いているかのような体験も可能。教育プログラムや学芸員による解説動画も充実しており、ルーヴルは物理的な空間を超えて拡張し続けています。

ルーヴルが開く、未来への扉

要塞として誕生し、王の宮殿となり、革命によって人民の美術館へと生まれ変わったルーヴル。約900年の歴史は、権力の象徴から文化の共有財産へという、人類の価値観の変遷そのものを体現していると言えるでしょう。