喜多朧

KITARO

30年の教員生活を経て画家の道へ
北海道の大自然から受ける透明なインスピレーション

国内外で注目を浴びるアートトピックに着目し、その魅力を紹介するコンテンツ《CLOSE UP》。今回のテーマは、北海道の大自然から受ける透明なインスピレーションを形にする画家『喜多朧(高梨美幸)』です。30年という長い年月を教員として捧げ、子どもたちと共に歩んできた日々。しかし、その情熱の灯が消えることはありませんでした。早期退職を経て、がむしゃらに筆を握り続けた彼女を待っていたのは、海外での高い評価と、自分自身の中に眠っていたもう一人の表現者「喜多朧」との出会いでした。なぜ彼女は、安定した道を離れ、表現という荒野を選んだのか。透明感あふれる色彩の裏側に秘められた、挑戦と葛藤の軌跡を紐解きます。

無我夢中で走り抜けた教員時代

“絵に興味を持ち始めたのは、いつ頃からですか?”

子どもの頃から絵を描くことが好きでした。小学生の頃、先生から卒業文集の表紙の絵を頼まれたことがあるのですが、こうした形で自分が描いた絵を人から評価してもらえたのが初めてだったので、とてもうれしかったです。この出来事がさらに絵に興味を持つきっかけになったように思います。中学時代になると、絵を描くことが自分の得意分野として自覚していたと思います。高校では美術部に入り、デッサンや油彩などにも挑戦しました。

“高校卒業後は、北海道教育大学へ進まれたそうですね。”

美術大学へ進みたいという気持ちもありましたが、当時の私には「将来、絵の道で生きていく」という自信はありませんでした。親や先生を説得するだけのパワーもなかったように思います。そこで教育大学に進学し教育学部美術学科絵画コースを卒業しました。そこから30年間は教員として、最初は中学校美術教師として着任し、3年間勤務した後、27年間小学校に勤務しました。教師として子どもたちと過ごした年月は素晴らしい経験でした。今、思い出してもどの出会いも自分を人間として成長させてくれたと感謝しかありません。担任した子どもたち全員の似顔絵を描いて3月に渡していました。

“それはすごいですね。子どもたちの反応はいかがでしたか?”

とても喜んでくれました。私が順番に子どもたちを呼んで描いていると、ほかの子たちも集まってきて後ろから見ているんです。描いている手元をのぞきこむ子に「そんなに近づいたら先生が描けなくなるだろ」って注意する子もいて、可愛かったですね。ですが、中学校から小学校へ転勤した当初は戸惑いました。その当時、中学校では生徒の名前を呼び捨てにするのが普通でしたし、生徒をある程度は大人のように扱っていました。なので、特に小学校低学年の子どもにどう話しかけていいのか?分からず、『何だか話が通じない…』と感じたこともありました。

“教員時代も絵を描いていらっしゃったのですか?”

描いてはいましたが、教員の仕事を無我夢中でやっていたので、年に一度、公募展に出すのが精一杯でした。教員として美術教育などを研究する団体に入り、そういった方面から知識を深めたり実践したりしていました。本格的に画家として活動をスタートしたのは、教員になって30年が経ち、早期退職をしてからです。

喜多朧 様が教員時代に描いていた作品(1)
2002年 教職員美術展特選受賞作品
「STUDIO 2001」160×130㎝ 
オイル/キャンバスに

喜多朧 様が教員時代に描いていた作品(1)
2008年 新道展 佳作賞受賞作品
「森へ行く日」160×130㎝
オイル/キャンバスに

喜多朧 様が教員時代に描いていた作品(3)
2011年 新道展 会友展出品作品
「丘の記憶」130×130㎝
オイル/キャンバスに

喜多朧 様が教員時代に描いていた作品(4)
2013年 新道展 会員推挙作品
「森の記憶」116×91cm
オイル/キャンバスに 

“画家の道に踏み切ったきっかけを教えてください。”

2010年にずっと介護していた父が亡くなり、その翌年には東日本大震災が起きました。これらをきっかけに自分の人生を振り返り、「これまでやり残してきたことに、やっぱり挑戦していきたい」という気持ちが強くなったんです。その2年後には教員生活30年という節目が見えていたこともあり、これを機会に画家の道へ…と言いますか、思う存分、がむしゃらに絵を描いてみようと思いました。退職後は、教員時代に教頭先生をしていた方が事業を立ち上げられていて、「辞めたなら手伝わないか」と声をかけてくださいました。正直に絵が描きたいことを話すと、「それなら絵を描くことに支障がない範囲で」とおっしゃっていただいたのでパートとして勤め、ほかにも美術館のボランティアをしながら、絵と向き合い続けました。

テンペラの魅力と海外への出品

“本格的に絵を描くようになった当初は、テンペラをメインにしていらっしゃったのでしょうか。”

そうです。大学で美術の授業を担当していた方がテンペラの先生で、そのときに初めて教わりました。最初は油彩をメインにしていましたが、独特の匂いがあまり得意ではなく、テンペラは基本的に水を使って描くため、自分には合っていると思いました。

“テンペラは卵を使って描く技法ですよね?”

いろいろなやり方がありますが、私は黄身だけを使います。卵のほか、防腐剤として酢酸(食酢など)を加えて混ぜ、水で薄めます。その後、顔料を混ぜてテンペラ絵の具を作っていきます。油彩のように塗り重ねることもできますが、室温や湿度で色味や全体の仕上がりが変わってくるため、その点は少し難しいと感じました。また、油彩のように盛り上げるとか、削るということはあまりできません。でもその分、金箔を使うなど工夫できる点はたくさんあるので、そういった点も私がテンペラを好む理由だと思っています。

“テンペラの魅力について教えてください。”

テンペラは油絵具が誕生する前の古典技法です。今のように誰もが簡単に卵や顔料を用意できるとは限りませんし、宗教的なイコン画が多く描かれていたことから考えても、おそらく絵を描くこと自体が特別で、神聖なことだったのではないかと思います。そういったストイックな点に惹かれます。

2019年
「月明かりの譜」
28×18cm
テンペラ / 膠石膏パネルに

イコン 2019年
「arcngelo michcele Mosca」
27×17cm
テンペラ / 膠石膏パネルに

2022年
「君と僕のラララ」
163×163cm
テンペラ / キャンバスに

“現在もテンペラを中心に作品づくりをされているのですか?”

近年は海外に大きな作品を出品する機会が増えたため、テンペラからは離れています。私は基本的にテンペラを使って大きな作品をキャンバスに描き、石膏などを混ぜて下地を作りますが、海外に大きな作品を運ぶには、木枠からキャンバスを剥がしてロール状に丸めなければいけません。石こうを使っていると下地に亀裂が入ってしまうので、持ち運びに対応できるよう、現在は、下地にモデリングペーストなどを使い、水彩ガッシュを使って描き込んでいくスタイルをとっています。切り替えたことで描きにくさを感じることはありません。

“どのようなきっかけで海外へ出品するようになりましたか?”

退職後、自分の絵と向き合う中で、活動の幅を広げたいと思ったのがきっかけです。実は高校生の頃、絵だけでなく留学にも興味がありましたが挑戦できなかったので、海外への思いもあって出品に踏み切りました。初めて海外に作品を出したとき、「君には才能がある」と褒めていただいたことや、全く無名の私の作品を購入してくれたことに驚きました。海外には気に入った作品を買って自宅に飾り、来客にお披露目して一緒に楽しむという文化があることを知り感動しました。また、誰かが私の作品を「好きじゃない」と言ったとしても、別の誰かは「好きだ」と言ってくれる。それでいいのだと実感できたことも大きな収穫でした。最初がそんな感じだったので、調子に乗っちゃったようです。

トリノ 個展 トークイベント

トリノ 個展 ライブ制作の様子

パリ 個展サロンにて

“海外の方からの評価で驚いたことはありますか?”

最近、フランスのシャロン=アン=シャンパーニュにある美術館で展示をしていただいたのですが、そのときキュレーターが、「…絵の中に人生の無情を感じる。日本的な侘び寂びに通じるものだろう…」と講評してくれました。私は自分の絵を日本的だと思っていなかったので、海外の方が私の絵の中に日本人ならではの価値観のようなものを感じ取っていることにとても驚きました。

“海外に出品した際、現地の展示会へ足を運びますか?”

なるべく伺うようにしています。現地へ行くと展示会の様子や主催者の方の雰囲気、どんな画家をラインナップしているのかがわかります。実際に会って話すことでコミュニケーションが深まりますし、そうした一つ一つが自分の肥やしになるという実感もあります。今後も声をかけていただける限り、海外への出品も続けていきたいです。

2018年パリ国際サロン出品作
「森へ行く日」
80×100㎝
テンペラ/キャンバスに
大賞受賞作品

 2024年 Slon conparaizons シャンパーニュ美術館
「Floating memories-you and me LALALA」
Creer a tout prix展出品作品
163×130㎝
アクリル、水彩ガッシュ、オイル / キャンバスに

ファインアートとの出会いから生まれた「喜多朧」

“「喜多朧」という名前の由来について教えてください。”

喜多朧の誕生には少し複雑な経緯があります。最初は高梨美幸として、北海道の自然から受けるインスピレーションをもとに作品を描いていました。その作品は海外からも評価をいただいていたので、この方向で東京で初めての個展を開こうと考えていました。 ところが、そのころ迷いが生じ始めます。当時の私は、テンペラをもう一度学び直してイコンを作り始めていたのです。イコン制作をもとにしたオリジナル作品は、自分の中にある軽やかな感覚を取り入れることができて、楽しく感じていました。ファインアートに近い雰囲気もあり、これらの作品は国内でも評価していただけました。
こうして、国内で評価されている作品と海外で評価されている作品の間に、齟齬が生まれ始めたのです。

どちらの方向に進むべきか悩んだ末、ファインアートに近いものをいったん封印し、イコンからも離れることにしました。イコンを作っているとファインアートの方向に引っ張られてしまうからです。今振り返れば、一番苦しんだ時期だったと思います。
その後、自分の中でメインとなる画風が定まってきたため、改めてファインアートに近い表現を復活させることにしました。今では喜多朧は高梨美幸の大切な一部分であり、愛おしい存在です。

2019年
「北の森でトウラララ」
22.7×15.8㎝
テンペラ、オイル混合/キャンバス

2022年
「傘をどうぞ」
15×15㎝
テンペラ、オイル、一部コラージュ/パネル

2021年
「情景、三人姉妹の場合」
130×130㎝
テンペラ/キャンバス
47回現代童画展 現代童画対象受賞作品

“「喜多朧」と「高梨美幸」との使い分けができたのはいつ頃ですか?また、それぞれの作品を作る際、気持ちの面で違いはありますか?”

比較的、最近のことです。自分の中で使い分けの軸ができていない状態で「どっちも」になるのは避けたかったですし、かなり悩みました。でも結果的にファインアートとの出会いをきっかけに「喜多朧」としての画風を自分のものにできたので、とても良い経験だったと思います。どちらの作品も感覚の面で違いはありませんが、アプローチの仕方が異なります。高梨美幸の作品はある程度構想を練った上で作りますが、喜多朧は描くものを決めずに、さまざまなものを塗ったり貼ったり、削ったりと試行錯誤しながら面白い画面の調子を作っていくことに集中します。描画のイメージが浮かんでくるまでそれを続け、イメージが浮かんだら一気に描画して仕上げます。それは、小さな作品の大きさでのみ可能な仕事です。

2024年 喜多朧KITAROの作品
「北の旅人」
15.8×22.5㎝
水彩ガッシュ、オイル混合

2023年 高梨美幸の作品 「森の記憶~狐が森3丁目」
100×100㎝(イタリア、ピッコロミニ城寄贈作品)
テンペラ、オイル混合

“作品の構想が思い浮かぶのは、どのような瞬間ですか?”

私は自然からインスピレーションを受けることが多いです。身近な自然と触れ合っていると、北海道の大自然に包まれているような気持ちになります。その感覚が私にとってはとても大切で、そこで「いいな」と感じたことが描きたいものになっていきます。以前、長く一緒に暮らしていた犬がいたのですが、朝起きるとすぐに散歩に出かけることが日課になっていました。朝5時頃に家を出るので、冬のうちはまだ真っ暗ですが、歩いているうちに空が明るくなってきて、透明な冷えた空気の中、林の間から差し込んでくる太陽の光がとてもきれいでした。今も登山など、自然に触れる時間を大切にしているのですが、気候変動や温暖化の影響を肌で感じることも少なくありません。また、ニュースで北極海の氷が減ってアザラシを捕ることができずガリガリに痩せたホッキョクグマを見ると、何かしなければという気持ちになります。

“作品を作る中で、スランプになることはありますか?”

上手くいかないことはありますが、それで落ち込むことはありません。たとえ時間がかかっても、何かしらの解決策が浮かんできます。やっと解決策が見つかったと思うと必ず次の躓きが待ち構えています。今まで絵を描いてきてその繰り返しです。一枚の絵で解決できなかった問題は、必ず次の絵でまた、同じことで躓きます。不器用にひとつずつです。解決できた時はぱあっと世界が明るくなります。絵を描くことに疲れたときは、意識して自然の中に入っていくようにしています。自然のパワーをもらうことも、良い気分転換になっています。

“今後の目標について教えてください。”

今までは自分のために絵を描いてきましたが、これからは作品を通して社会のためになることをしていきたいという気持ちが強いです。その一環として、最近では作品の売上の一部を自然や動物を保護する活動に寄付しています。以前からずっと考えていたことだったのですが、やっと実現できました。微力ではあるものの、今後も身近なところからできることを続けていきたいと思っています。

“最後に、読者の皆さんへメッセージをお願いします。”

私は北海道の自然が大好きで、特に冬の景色が美しいと感じます。透明な空気の中に、愛犬とともに過ごした記憶や子ども時代の記憶を織り交ぜて作品を作っているので、そういった何気ない日常や自然の美しさに共感していただけたらうれしいです。また、最近は世界情勢が不安定になり、不条理なニュースを目にすることも多くなっています。そうした中で、美しい記憶のようなものを描いていていいのかと気持ちがざわざわする時があります。現実に起きていることから目をそらさず、受け止めた上で私なりの表現をしていくことが今の課題です。これからの活動に興味を持っていただけたらうれしいです。

北海道の澄んだ空気を感じさせる喜多朧(高梨美幸)様の作品群。教員時代の記憶と自然への敬愛が織りなす世界は、見る者の心に静かな勇気を与えてくれます。

 

次号は《日本橋アート掲載作家様特集 - 永井秀司 様 - 》です。ぜひお楽しみに。