WORKS 作品
INTERVIEWインタビュー
匂坂祐子
~匂坂祐子、魂のテンペラ画——見えざる世界との対話から生まれる、癒しの芸術~
すべては愛でつながっている——祈りと光の創造
“無条件の愛”という普遍的なテーマを軸に、テンペラ古典技法を通じて、人の心と魂に寄り添う作品を描き続ける画家・匂坂祐子(さぎさかゆうこ)さん。彼女の絵には、見る者の深層に響く深い祈りと優しさが宿り、その神聖な響きは鑑賞者の内奥に眠る魂を静かに呼び覚まします。
「人、動物、自然、宇宙——この世界のすべては、“愛の原理”によってやさしく結ばれている」。そう語る彼女は、その目には見えないつながりを、絵を通して可視化しようとしています。画面の中に込められるのは、描く者自身が深く体感した“気づき”であり、魂の旅の軌跡そのものです。
テンペラ——精神性と光が宿る、聖なる絵画
テンペラ画は12世紀のイタリアで生まれ、ルネサンス期には宗教画や祭壇画に広く用いられた伝統的な技法です。卵黄と顔料を混ぜ、木製パネルに幾層にも塗り重ねることで、画面に精神性と“内なる光”が静かに宿ります。
「この技法は、描くこと自体が祈りのようで、心に深い静寂をもたらしてくれます。物質と霊性が融合した画面は、まるでイコンのように神聖な空間を生み出し、鑑賞者の心を静かに包み込みます。私にとってテンペラ画は、内なる存在との対話であり、見えざる世界に触れるための深淵なる旅なのです。」
その言葉通り、彼女の絵には、生と死を越えて響き合う魂の対話が息づいています。色彩と光が織りなす画面は、観る人に深い安らぎと、「私たちはなぜ存在しているのか」という根源的な問いを静かに響かせます。
テンペラとの出会い——探し続けた“魂の画法”
静岡県富士市に生まれた匂坂さんは、伝統的な「黄金背景テンペラ古典技法」と「油彩・テンペラ混合技法」を自在に駆使し、鮮やかな色彩と深い抒情性に満ちた作品を生み出しています。500年経っても色褪せないテンペラ絵具の美しさは、時を超えて輝き続け、観る人に癒しと感動をもたらします。
その芸術性と精神性はヨーロッパでも高く評価され、これまでに25か国・50都市以上で作品を展示。モナコ王室やローマ法王庁にも所蔵されるなど、国際的な実績を誇ります。
その原点は、幼少期に通っていた聖母幼稚園で目にしたラファエロの《聖母子像》。その絵に心を打たれ、“自分もいつか、こんな感動を人に届けられる絵を描きたい”という強い願いが芽生えました。
幼い頃から日本画と洋画をそれぞれの師に学び、短大では美術を専攻。油彩画を中心に風景や花の依頼制作を受けていたものの、「本当に描きたいのは人物画であり、魂の本質に触れる絵なのだ」と徐々に気づいていきました。心の奥に存在する心象風景——その目に見えぬ世界を描き出せる技法を求め、日々模索を重ねる中で偶然出会ったのがテンペラ画でした。
「硬質で滑らかな質感、鮮やかで甘美な色彩——そこには、内側からあふれ出る抒情性と神聖なる魂の息吹がありました。その瞬間、“これこそ私が探していた画法だ”と、まるで稲妻のような衝撃が走ったのです。」

ボッティチェリの再来——命をかけて描く、魂の芸術
理想の表現を追い求め、若くして母の後を継いだブティックや受注制作の仕事を手放し、上京を決意。昼は会社員として働きながら、夜間は油彩・テンペラ技法を学び、やがて金箔を用いた「黄金背景テンペラ古典技法」を体得していきました。
数年かけて技術を磨き、恩師や友人、姉の支援を受けて初の個展を静岡・東京・富士市で開催。その前にイタリア・バチカンで名画の繊細な色彩美に触れ、“これこそ私の描きたい世界だ”という確信を得て、帰国後にインスピレーションをもとに20点の新作を制作しました。主流から外れた作風への批判もありましたが、信念を貫き、テンペラ画家としての道を本格的に歩み始めます。
さらなる創作の深みを求めていたある日、一人のバレエダンサーの舞に心を奪われます。その凛とした肉体美と魂の輝きに魅了され、彼を“芸術のミューズ”として20年間にわたり描き続けてきました。
テンペラ画の道をさらに究めるべくヨーロッパ留学を目前に控えたある日、交通事故で首と背骨を圧迫骨折するという重傷を負いました。「薄れゆく意識の中で、まだ完成していない一枚の絵が脳裏に浮かび、“もっと描きたい”という想いが私をこの世界へと引き戻してくれました。」
奇跡的に命を取りとめた後も、長く厳しいリハビリ生活が続きました。その時間の中で、絵を描くことこそが自分に与えられた使命(天命)であり、「生かされた命」の意味そのものだと深く実感します。
そして再び絵筆を握り、テンペラ画の聖地・ミラノで初の海外個展を開催。「ボッティチェリの再来」と称され、日本人女性がヨーロッパの伝統技法に新たな命を吹き込む姿に深い敬意が寄せられました。
「イタリアでテンペラ画の個展を開くということは、“外国人が日本で書道を発表するようなもの”。不安もありましたが、感謝と感動の声に包まれ、初日の夜は涙があふれました。」
会場には世界的なデザイナーも足を運び、作品に感銘を受けていただけたことは大きな喜びとなりました。その後、モナコ王室に作品が所蔵され、ローマ法王にも献上。感謝状と手紙を受け取るという名誉にも恵まれました。
その後、世界各国から展示の依頼が相次ぎ、彼女の作品は国際的にも高く評価され、芸術が国境や文化の垣根を越えて響き合う力を体感することとなりました。
死と再生のはざまで——描くことは、生きること
交通事故から10年の時を経て、再び命に関わる病を患い、療養のため富士市へ戻ることになります。歩行も困難な状態のなか、匂坂さんは「人はなぜ生まれるのか」「死とは何か」といった問いに、静かに向き合い始めました。
ある日、ふと訪れた“一瞥体験”——すべての苦しみが消え、至福に包まれる感覚——をきっかけに、再び創作への情熱が灯ります。
4年という歳月をかけて制作された絵本『Presence〜世界はすべて愛でつながっている』には、「死は終わりではなく、すべては愛でつながっている」という、祈りにも似た深いメッセージが、絵と詩を通して丁寧に綴られています。

「祈りを届けるために」——パンデミックの中で描いた希望の光
2020年、世界が未曾有の危機に包まれたコロナ禍。匂坂さんは、その中であらためて「アートの力」と向き合うことになります。
「病や不安で心が沈んでいた時期、私にできることは何かと考えました。そして自然と、病気平癒を願う“祈り”を絵に込めるようになったんです」
この時期に彼女が多く描いたのは、疫病退散の象徴であるアマビエや、日本古来の神仏たち。西洋由来のテンペラ技法に、日本の精神文化が美しく重なり合ったその作品群は、見る人の心にそっと光を灯しました。
「“絵を見て心が落ち着いた”“不安がすっと消えた”という声や、“ポストカードをお守りのように持ち歩いています”というメッセージをいただいたとき、アートには目に見えない力があるのだと、あらためて深く感じました」」
その言葉には、作品を通じて人々と痛みを分かち合い、寄り添ってきた時間の重み、そして支えてくれた声への感謝が、静かににじんでいます。
富士山から世界へ——神と自然をつなぐ祈りの絵
祈りの芸術を追い求める中で生まれた作品の中でも、匂坂さんが「もっとも自分らしい」と語るのが、《美須麻流之珠(みすまるのたま)〜木花咲夜姫と赤白二龍》です。
この作品には、富士山の守護神である木花咲夜姫と、天と地・陰と陽を象徴する赤白の龍が描かれています。オーストラリアでの展覧会を構想していた頃、箱根神社と九頭龍神社を訪れた際に受けた深い霊的なインスピレーションが、その創作の源となりました。
「まるで魂に語りかけられるような感覚でした。“今こそ、この祈りを絵に託すとき”だと強く感じたのです」
病気平癒を祈る想い、そして富士の地から世界の平安を願う祈り——そのすべてが、画面の隅々に込められています。精神的深みと視覚表現の調和が宿るこの作品は、まさに彼女が歩んできた“魂の旅”そのものともいえるでしょう。
未来へ——魂を癒す“光”を描き続けるために
現在、匂坂さんは絵本『Presence』の続編制作に取り組みながら、国内外の展覧会、ライブペインティング、ワークショップを通じて、テンペラ技法の魅力を伝え広めています。
また、地域の活性化にも尽力し、芸術を通じた心の豊かさや人とのつながりを育む活動に力を注いでいます。
「死を覚悟した経験を経て、“自分が描きたい絵”から、“誰かの魂に寄り添い、救いとなる絵”を描きたいという強い想いが芽生えました。これからも、アートを通して、“再生と希望の光”を人々の心に届け続けたいと思っています。」
その筆には、時を超えてなお輝き続ける“魂の光”が宿っています。
匂坂祐子の創作は、まさに“静けさの中で紡がれる、祈りと再生の物語”なのです。
