近代京都画壇の中心的存在として活躍した竹内栖鳳(せいほう) (1864-1942)。
栖鳳は、円山・四条派の伝統を引き継ぎながらも、さまざまな古典を学びました。
1900(明治33)年にパリ万博視察のため渡欧、現地の美術に大きな刺激を受けた栖鳳は、帰国後、西洋絵画の技法も取り入れ、水墨画など東洋画の伝統も加味して独自の画風を確立し、近代日本画に革新をもたらしました。
栖鳳の弟子・橋本関雪(かんせつ)によれば、動物を描けばその体臭まで描けると栖鳳自身が語ったというその描写力は、高く評価され、今なお新鮮な魅力を放っています。また優れた教育者でもあった栖鳳は、多くの逸材を育て、近代日本画の発展に尽くしました。