私は、顔も名前もわからないミニチュアの人形を使って作品を制作し、人そのものについて考え続けています。
それらは一見すべてが異なるように見えて、実際にはどこで誰が作ったのかも分からない、量産された工業製品です。均質でありながら、それぞれがわずかに異なる姿勢で立つ。そうした匿名性と差異の共存は、近現代における人間の存在に近いように感じています。
私の作品の根には、いくつかの原体験があります。
いじめによる集団の中での孤立。
登山や旅先で感じた「自分がいかに小さな存在か」という感覚。
しかし、一人で歩く中で出会った仲間や、様々な判断をしていく経験を通じて得た、「確かにそこにいる自分自身」という実感。
農業に携わる中で直面した、自然の圧倒的な力。
また、両親の影響で、幼い頃から左翼的な思想やサブカルチャーに多く触れてきたこともあり、個人と社会の関係について考える素地が育まれました。
こうした体験が積み重なり、私は人間という存在を俯瞰するような視点で物事を考えたり、作品を制作するようになりました。
さらに、幼少期からおもちゃや模型に惹かれていたこともあり、ミニチュアという手法には自然と親しみがありました。匿名的な存在を象徴する素材として、今の制作において不可欠なものとなっています。
また、手塚治虫の『ブッダ』から始まった仏教の学びは、そうした視点に通底する思想的な影響を与えています。
仏教では、人は他に依らず、自らの足で立つことが重んじられます。誰かの言葉や価値観に盲目的に従うのではなく、自分の判断で生きていくということ。
私はそうした教えに共感し、人形を一体ずつ立たせています。
配置は緻密に設計されたものではなく、手作業のばらつきや偶然性が、作品にうねりや揺らぎを与えます。
同じ型で生まれた人形たちが、少しずつ異なる重心で立ち並ぶ
繰り返される作業の中に生じる差異が、人間社会のような微細な揺らぎと多様性を画面上に生み出していきます。