「古代自然観・人間観」と「現代的世界観」とのアウフヘーベンによる、超現代性の獲得を根本に据える。この「超現代性」達成のための要素を、「統合と調和」「自然への回帰」「生死の不安葛藤の超克」の3つに大きく分解し、表現し伝えることを目指す。「自分自身、家族、地域、社会、国家、世界、自然、そして神羅万象全てが本来一つである」ということと、Covid-19の渦中にある現代の人間の生活と思想、そして蔓延する不安や分断とがはらむ矛盾を端緒に、今を生きる我々ひとりひとりがそれでも必ず持っているはずの「使命」を探求する。 1996年8月4日生まれ。 2017年より海外諸国で子ども達と壁画制作を開始。 同年NPO法人旅するエンターテイメント集団LES WORLDを結成し、世界中の子ども達とミュージカルや映画などの作品制作を行う。現在は日本中から集まる300名以上のキャストと共に活動している。 2020年5月より、ソロでのアーティスト活動を開始。幼少期に出会った油彩画に10年越しで向き合う。 国内では2021年4月に東京・銀座で自身初となる展示を実施予定。 また、国外では2021年2月にベルギー、8月にロンドン、2022年にパリでの展示を控えている。
「『飾らない大宇宙の宴-大量生産・大量消費へのアンチテーゼ』」Kazutomo Suzuki
500,000円
「『your home』」Kazutomo Suzuki
300,000円
「『我ら偉大なる一本の線の上で-on a great line.』」Kazutomo Suzuki
「『I always wanna die (almost never)』」Kazutomo Suzuki
「『1. あんたの目に僕は映らない - you cannot see me.』」Kazutomo Suzuki
「『I’m not here. - melted down. a wind blows, and a root takes.』」Kazutomo Suzuki
80,000円
時に私たちは「ひとと違うことが怖い」と言う
不安に煽られ、色を失い、真っ黒な悲哀に満ちた前ならえをする。ひとつの従順な歯車でいることを選ぶ。それが彼にとっての幸か否かは、彼のみぞ知る
時に私たちは「レールを外れた生き方をしたい」と言う
先人が見せつけた栄光に踊らされ、勇み足で隊列を成す。既に本当の君がいなくなったことにも気づかないで、「自分だけのやりたいこと」探しに忙しい。飾り付けにばかり、気を取られている
全部全部それは、何かを消費しているようで、しかし気付かぬうちに私たちの存在そのものが消費されて
「Mass」の一部品に過ぎなくなってしまう
頭上で観覧するマクロに踊らされ、誰に看取られるわけでもなく、儚く散って消えていってしまう
「自分」から逃げているうちに、あるいは「自分」を追い求めているうちに、「Mass」の一部品となった君は
最後には隣に座った彼と、自分とが一切の見分けが付かなくなっていたことに気づくのだ
—
ひとつ、私たちが確かに知っていることがある それは、私の心臓は確かにここにあり、私の血はここに波打っている、ということである
あるがままの私たちは、決して大群の中で「消費」されず「浪費」せず、既にひとつの完成形であり、この自然の一部である
ちょうどそこに川が流れているのと同じように そこに草木が根を張っているのと同じように
ただ、飾らぬ姿でそこにある 生を受け、身体を得て、ひとに愛され、すべてを愛し、生きていく それこそが最も美しいことであると、私たちは知っていたはずなのだ
それを何故、私たちはいつしか忘れてしまうのだろう 飾り付けの仕方にばかり気を取られて、マスの中で、埋もれ、消えていってしまうのだろう
これは大宇宙の、飾り付けのない宴
あるがままの姿で光り輝く自然と、生きとし生けるもの全てが 解けあい、溶け合っていく
そこでは確かに、私の身体には宇宙が宿っている
そしてそこでは宇宙とはまた、私である
「普通に生きてるあいつが羨ましい」 「なぜ、こんな当たり前のことが僕にはできないのだろうか」 「どうして、ぼくだけがこんな目にあうのだろうか」 「生まれてこなければ、よかった」
苦しい、苦しい、苦しい、自分という存在への葛藤を抱えていきる君へ
ただいてくれる、生きてくれている、それだけで良いのだと、言葉にする手段は山ほどある。伝えられる手段は山ほどある
それでも、例え何をしても、君が全てを受け入れられるということではきっとないんだと、そう思う
それでも、伝えることをやめたくないから、いつか、共に分かち合える日が来ることを願っているから、僕はそれを一筆に込める
これを見て、何を思うかなんて、勝手なことだ 何も思わないかもしれない、むしろ、こんなもの、といって侮蔑すらするかもしれない
それでも、僕は確かに、ここにこの作品を置いていく
こころからの、生まれてきてくれてありがとうを、ここに形にする
それが、今僕にできる全てで、なによりも大切なことだと、信じている
愛しています、めいっぱいに ただ、愛しているを込めて
もし全てがたったひとつであったならば、私たちはこの世界に何を思うだろうか
ちょうど季節が巡っていくのと同じように、全ては移ろっていく。それはまさしく、盛者必衰の理というべきものである
あなたというひとが形作られているのと全く同じものから、あなたの目の前にある一枚の葉は形作られている。彼がウイルスだとか名を付けていうそれもまた然りである、全て表裏一体共にある
愛与えられたくば、与えよ、さすれば愛与えられんと。それ則ち作用と反作用なり。あなたが今、野に捨ったそれは、いつかあなたを襲う嵐となって跳ね返りくるものである。あの日流れ固まったコンクリートは、いつか荒ぶる地の揺れとなってやってくるものである
小さな小さなあなたという存在も、草木も、海も、この広い宇宙さえも、本来全てが共にあると、私たちの心は、遺伝子は、知っている
生きるということそれ自体の矛盾を知って、時に正しいと思う道を進み、時に間違いを知りながら葛藤して、それでも生きて、生きて、生きて、生きていく
我ら偉大なる1本の線の上で、生きていく。愛を謳え、苦悩を謳え。
時に「死にたい」と願ってしまう日がある、この世界の誰かへ宛てて
どうして僕らは時に、死にたくなんてないのに、死にたいなんて、願ってみるのだろう
また言ってる、って笑い飛ばされるのがオチなのに 不謹慎だ、って後ろ指刺されて終わるだけなのに
どうせ、死ねやしないのに そんな勇気もないくせに
そうか。夢とか、生き様とか、罪とか、愛するひととか 捨ててしまえば楽だとわかっている「こだわり」を
なかったことになんてしてしまいたくないから それでもこの胸に抱いていたいと選ぶから
僕は、まだ生きるのだ
それでもこだわっていたいから、時に死にたくなるほど、苦しいのだ
生きたいと願う度に、死にたいと願うのだ 死にたいと願う度に、生きたいと願うのだ
全てが美しいと、知っているから
【以下、一節を抜粋】
人様の鮮やかな成功と賛辞の文字列が、目に飛び込む。
だから、メディアというやつは嫌いだ。そのニュースがよかろうが悪かろうが、決まってそいつの名は売れるのだから。そしてたいていそれは、僕には全く関係がない。
机の上には、あとほんの二口ほどのウイスキーだけが残っている。
カンバスに唾を吐きかけるように、腕を振る。押し付けて、弾いて。叩きつけて、振り切る。
十分にくゆらせた煙草を手に取って、カンバスの上で押し潰す。
最後のウイスキーは、剣で人を殺す通りにカンバスに吐きかける。
僕は、夢中になるということを知っている。僕は、自分の言葉を知っている。
僕は、愛を知っている。愛を知っているんだぞ。
なのに、どうしてだ。僕とあいつは何が違う? 才能か? 技術か? 人間への媚び方か?
顔だけであそこまで上り詰めただろうあの女優が飾った一面も、経済界の大物に張り付いた「成功」の文字も、おびただしい数の人間をまとったあのカリスマの一張羅の姿も、目に映るすべてを切り刻みたいんだ。
砕くほどに拳を握りしめて、最後の一滴を飲み干した。
惨めで、何にもならない、誰の何にもなれやしない、僕が嫌いだ。
自我を溶かす
自分という存在を消して、世界と溶け合う
自己を拡張する
ひとつになる
「あいつは、勉強ができる。運動もできる。オマケに容姿もいいときた」 「世界の経済を牛耳って、人生を謳歌していやがる」 「美人な嫁さん、可愛い子ども。当たり前の幸せ」
”全部、全部僕にはないとしたら“ それは誰のものだろう
では “全部、僕だったなら” どうだろう
その瞬間僕は、風になって、空を飛ぶことができる その瞬間僕は、地に根を張って、まっすぐ立つこともできる
さあ、全てと溶け合ったその時、僕に何ができないだろう そう、できないことなど、なにもない
いや?バカをいうない、そんな簡単なものかね。不平等は、不平等だ。あいつばかり、あいつばっかりだ 自我は、僕にそう語りかける
都合のいい、すべてはひとつ 僕はあなたで、あなたは僕 時に否定したかったそれさえも、僕は信じたいのだよ
だって、全ては繋がっていて欲しいじゃないか。そう思えない日もあるけれど、同じように、そんな言い訳がしたい日だって、来るじゃないか
繋がりの中で生きる、ただそれだけで、ひとりひとりに意味がある。それでいいじゃないか
だから僕は、今日も僕を世界に溶かす 葛藤の中で、少しの間、僕を消してみる その瞬間、すべてはひとつである