「untitled」倪力
100,000円
トンカチを使って作業に集中する時、トンカチが自分の手にあることを忘れ、意識と同化し、とんかちの存在に対する関心が薄くなることは容易に想像できる。 一方、もしそのトンカチに何かの不具合が生じた場合、我々は作業を止め、トンカチを凝視し始め、手に握られている存在へ関心が改めて喚起される。
かつてこれについてマルティン・ハイデガーは、手に在るトンカチに気がつかない集中状態の価値を主張したが、本展は、倪力の制作を通して、 デジタルメディアに干渉される現代シミュラークルに、改めて「手に在る状態(vorhandenheit)」を代入する試みとする。
倪力は作品を通して、ネットに散在する低質な画像を彼の絵筆や身体と対峙させ、元画像のテキストを剥ぎ取り、意味(シニフィエ)を曖昧化させようとしている。 画像表象(シニフィアン)のみで、今におけるメディアのナラティブやリアリティについて問いかける。そこにある、 メディア機械によるビジュアルの質感に近づけようとしながらあえて愚鈍にひかれた筆のタッチ、データ損耗や圧縮によるノイズ、唐突で不気味なイメージ断片などは、 どれも現代シミュラークルにおける不具合を示している。 そこで、すでに身体と同化され、手の中に在る、忘れられている何かを再度見つめる視線から、リアリティと真実の緊張関係が現れる。