単純な線と明るい色彩で、対象物の内面までも描ききる独特の画風を確立した熊谷守一。
87歳の時に、文化勲章の受章者に内定しますが「これ以上ひとが来るようになっては困る」という理由で受章を辞退しました。
日がな一日、自宅の庭で草花や虫、鳥などを眺めては97歳まで描き続けた熊谷氏の素朴でユーモラスながらも考え抜かれた作品は、常に観る者に新たな発見とよろこびを与えてくれます。
【1880年】
岐阜県恵那郡付知村(現中津川市付知町)に生まれる
【1900年】
東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科に入学
【1904年】
東京美術学校西洋科選科を主席で卒業
【1909年】
第3回文部省美術展覧会に〈蝋濁〉を出品、褒状を受ける
【1910年】
実母の死を機に故郷へ
【1916年】
再び上京して第3回二科会展に出品、二科会会員に推挙される。以降42年までほぼ毎年
【1932年】
豊島区長崎町(現千早)に移り住む。
【1938年】
名古屋丸善においてく新作毛筆画展を開催。
【1940年】
第二十七回二科展にて熊谷守一生誕六十年記念として個展開催。
【1951年】
二紀会退会
【1964年】
日本各地で数多く個展が開かれるようになる
さらにパリで個展を開催
【1967年】
文化勲章を辞退する
【1976年】
郷里の岐阜県恵那郡付知町に熊谷守一記念館が設立
【1977年】
8月1日死去 享年97歳