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【コラム】日本で絵が売れなくなっていること

2020年の今から20年にさかのぼって、日本では絵が売れなくなってきている。20世紀の終わりに日本ではバブルが崩壊し始め、それがどんどん拡大していった。バブルのころまでは絵はよく売れた。バブル期は大変なものだった。日本の有名画家の一枚の絵が数千万という値段がついた。海外の有名画家の絵も買いあさるように買った。しかし、20世紀末から徐々に絵の売れ行きが落ち込み、21世紀になって今日まで絵は全くといっていいくらい売れない時期が続いている。この最大の原因は日本経済の悪さで、政府の緊縮財政はあらゆる方面に影響し、絵画のように生活に直接関係ない分野にはてきめんにその影響が現われる。絵の売れ行きは国の経済状況に大きく左右される。

19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパの経済は産業革命、植民地政策などで大きく潤った。その結果パリを中心に絵の市場が大きく伸びている。20世紀に入りアメリカの経済が大きく拡大し、第二次大戦後のアメリカの現代絵画のブームを作ってきた。21世紀に入って日本の経済の悪さは絵の売れ行きに大いに関係している。これが売れない一つ目の原因だ。

もう一つ原因がある。日本で日本の人の絵の価値判断がまとまらず、非常に不安定な絵の価値基準に陥っている。そして絵の価値判断を海外のオークションとかアートメディアに頼って、それによって自国の人の作品を評価し、それを元に販売するというような自国の人の評価を信用しなくなっている。このようなことから絵に対する販売機能が低下し、絵が売れることが難しくなっている。絵の価値判断を海外に頼るというのは、日本と海外との交流が頻繁に行われるようになり、自国のものを簡単に海外に持って行くことができるようになった。日本の絵のマーケットが世界の絵のマーケットと比較しやすくなる。ここで問題が生じる。日本で出来てきたマーケットと海外のマーケットが食い違いがある。その結果日本のマーケットより海外のマーケットを信用するというパターンが生まれた。

日本に関しては江戸時代までの作品は海外でも高い評価がある。水墨画、膠と顔料で描く花鳥風月の日本画、版画などあらゆる分野の絵画、工芸などの美術は海外で大変な反響を呼び、19世紀から20世紀にかけて、ジャポニズムというブームをヨーロッパで巻き起こした。江戸時代から明治に入ると西洋の文化をどんどん取り入れるようになる。絵画も西洋画を取り入れる努力を始めた。1876年明治政府の招きでイタリーから来日したフォンタネージのバルビゾン風の絵画の指導が始まる。そこで学んだ浅井忠はフォンタネージが二年で帰国するまで学んだが、この二年の間によくあれだけ描けたと思うほど、とても本格的なバルビゾン風の西洋画で大変な力量だと感心する。このあと日本の人達はフランスで学んだ黒田清輝など西洋画を移入した人達が西洋画を広めていく。西洋画を多くの人達が手がけるようになる。

西洋画といっても日本で描いていくので、西洋画を本格的に理解していくのと違い、日本の昔からの絵の要素を取り入れながらの西洋画になる。日本風西洋画いわゆる洋画というジャンルの絵画が生まれてきた。形式としては印象派風の形式を日本的な感覚で描いていく。日本では江戸時代までの絵画の歴史があるので、日本に入った西洋画も江戸時代のころまでの要素をどこかに取り入れた洋画になることは自然といえる。このような洋画は日本人には分かりやすいし親しみもわく。この洋画は日本ではそれなりに評価する人、絵を商う人も出てきた。明治、大正、昭和の時代を通して、この印象派風日本スタイルの洋画は大いに発展していった。絵のマーケットもでき、多くの日本人洋画家が誕生した。この絵の誕生には日本のあらゆる層の人達が参加し、多くの知識人、文化人も参加しての日本一丸となった洋画の創造と考えても良い。洋画の文化は日本の人達にとってとても楽しい、面白い創作の場だった。日本で絵を描く人が多いのはこのような状況があったからとも考えられる。

西洋の本来の西洋画は、日本の洋画とは異なり、絵の形式を明確に追いかける形式の創造を徹底的に追求する。新しい形式の創造に最大重要課題とするところがある。19世紀中頃から生まれたモネ、ルノワールといった印象派からゴッホ、ゴーギャンといった後期印象派、さらに進んでピカソのキュービズム、マチス、ヴラマンクの野獣派、シュールレアリスム、完全抽象、などなど。現代アートの分野ではアメリカの抽象表現主義のマーク・ロスコー、ジャクスン・ボロック、ポップアートのジャスパージョーンズ、アンディー・ウォーホル、リキテンスタイン、その他新しい形式を次々に追いかける形式至上主義のようなところがある。西洋画のマーケットは世界経済の影響はあるものの印象派から現代美術まで継続して動いてきている。最近の美術の動きは異常と思われるような動きで高値を呼び、資本主義経済の危うさを感じる。それにしても変則的ではあるがマーケットは存在している。

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菅沼荘二郎
1938年、諏訪市に生まれる。1973年3月~74年3月、パリに留学(この間、サロン・ドートンヌに出展)。1989年5月~6月、ニューヨークに滞在。現在、絵画教室菅沼アトリエ主宰、東方学院講師(実技絵画)。日本と米国の各地で個展

出版書籍には「フリーアート」「となり町の寒山」がある。

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