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【コラム】日本での現代美術禅と関係して

日本の美術の動向について

2020年、日本の美術はこれからどうなっていくのか。私は50年以上絵をかいてきている。そして日本の絵の世界を長期にわたって見てきた。今現在、この時期にきて、なんだか気になることができてきている。ここ20年日本の絵の世界は活発さが無くなり、妙に寂れた元気のない状況が続いている。これはどういうことか。そしてここで何か考えていくことがあるか。あればそれを色々検討してみることも必要だと思う。

 

絵を描いている人は沢山いる。日本には昔から団体展というものが多くある。東京には都美術館、国立美術館があり、この美術館では大変多くの団体が一年を通して次から次へと入れ替わり立ち替わり展覧会を開催している。春、夏、秋、冬、季節季節に応じて2から3の団体が同時期に数週間会場を借りて作品を展示する。会場の壁面は大作を中心に沢山の絵画がひしめくように並べられている。この作品群の多さ、大きさに圧倒される。よくこれだけの絵画が日本各地から集められ、それを展示できるのか。毎年毎年このような催しが継続できるのか非常に驚かされる。

 

一方、こんなに大勢の人達が沢山の力作を描いているというのに、日本の美術の動きはなぜか、シーンと静まりかえっている。寂しい墓場にきたような情けない空気が漂っている。画廊はというと、昔あった画廊がどんどんなくなり、有名画廊も縮小し、当時の面影は陰を落とし、なんだか寂しげだ。昔高い値段で取引された有名な画家の作品も非常に安い値がついていて、かすかに取引されているようだ。まだ売れていればよい。一昔前、大きな会社が多くの画家の作品を買った時期があったが、日本の画家の多くの作品が会社で保持されているものの、その帳簿上の値段は1円ということだ。

 

 

ここで目先を変えて、現代アートの美術館は何をしているのだろう。このあたりの様子を見てみることにする。都の現代美術館では何をしているのだろう。2020年2月を見てみた。この美術館は平面作品の展示もあるが、催しとして映像作品が美術館の部屋ごとに映し出されていた。このような作品は非常にユニークで、音響を伴う力作がダイナミックに動き驚かされる。

 

このような作品は普通一般の絵画作品と違い、ジャンルの違った作品に入るだろう。数人の人がコラボで作り、音響も入れると何人かの人達との合作になる。一種の映画作品に近いものがある。これは現代の映像技術の進歩から生まれてくるまさに現代アートといわれるものだ。

 

映像技術の進歩はごく最近に生まれてきているので、それに伴う映像作品は開拓が未知数の分野で、これから新しい作品を創作する展開がどんどん広がる可能性を秘めている。現代アートの領域でこのジャンルの範囲は大きいことは確かだ。映像作品のような最近できてきた現代アートのジャンルと違い、絵画という平面作品は大昔からその流れができており、時代時代に応じた作品がその時代に沿って生まれてきている。

 

新しいジャンルの出現といった新鮮味はない。しかし平面絵画の存在感は大きい。時代の流れに沿って平面独自の絵画が必然的に生まれてくることは間違いない。新しいもの、新しいものを追いかける現代アートにとって、平面絵画は時代遅れと見られないこともないが、アートの世界が広がったと見るのが妥当といえる。

 

西洋絵画の歴史を見ていくと、現代アートの出発点となるのが19世紀の印象派からと思われる。セザンヌのように描くべき形体をやや形をくずし気味に描いていくもの。荒っぽい描き方をするフォービズム。見る位置を色々変えて見たものを同一画面に描くキュービズム。ものを描かない完全抽象。現代アートはこのあたりからどんどん展開していく。

 

この流れの中で、非常に変わった、異色と思われることがある。それはフランス人の画家、美術家のマルセル・デュシャンの存在だ。デュシャンは20世紀初頭から活躍始める。絵画も描いたが非常に不思議なことを始めた。それは作られたもの、例えば便器とか、自転車の車輪をひっくり返しておいたものなど、レディーメイドの作品を提示するだけというそれまで考えられない、ありえない作品でこれを見た人は大変驚いたと思われる。

 

ものを提示するだけの作品は、その提示されたものから、それを鑑賞する側が何かを嗅ぎ取っていくという、今まであり得なかったものだ。この提示芸術の出現の後これに類する作品を発表する人達がどんどん現れ、コンセプチュアルアートとして世界中の人達が新表現を追求している。現代の映像作品もこのコンセプチュアルアートの延長線上にあるものと考えられる。世界の現代アートの流れでコンセプチュアルアートの占める範囲は大きい。しかし平面絵画も同時進行をしている。

 

ここで日本の美術に戻って考えて見る。日本では若い人達の映像作品の資金繰りはどのようになっているのか、コンセプチュアルアートを作る人達の資金はどのようになっているのか、この辺が分からない。この分野に関しては述べる資格がない。しかし平面絵画の低調ぶりはよく分かっているので、この平面絵画の分野に関して話を進めていこうと思う。日本で絵が売れない原因が二つある。それを次の項で考えてみる。

 

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菅沼荘二郎
1938年、諏訪市に生まれる。1973年3月~74年3月、パリに留学(この間、サロン・ドートンヌに出展)。1989年5月~6月、ニューヨークに滞在。現在、絵画教室菅沼アトリエ主宰、東方学院講師(実技絵画)。日本と米国の各地で個展

出版書籍には「フリーアート」「となり町の寒山」がある。

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