【名画を語る~兒嶋画廊 歳時記~】児島善三郎

児島善三郎「冬暖」1947年頃

 

日向ぼこ緑の虫喰圧してみる 藤井紫影

 
 すっかり、葉を落とし庭の真ん中で大きく伸びをしているのは柿の古木でしょうか。老婆が日向で緑側にしゃがんでいます。冬の陽射しは低い角度ながら強く地面に反射して、光は軒裏まで届き、藁葺き屋根の重さを何十年も支え続けてきた垂木までくっきりと照らし出しています。ここは、国分寺多喜窪松風園にある画家のアトリエから歩いて十分もかからない本村にある古い農家の庭先です。白色レグホンが二羽、わずかに残った餌をついばんでいます。冬暖とはこういう風景を言うのでしょう。
居眠りやあくびが自然と出てくる風情です。大気の湿度は20%を切るほどに乾燥し空の青さもはるか遠い彼方にあるようです。
 
 善三郎が昭和11年に建てたアトリエと住宅あたりは、松風園とよばれる別荘地として開発された高台で、水利が悪く耕作には不向きなところですが、南東に開けたU字谷の鼻からの眺めは、野川の小流れを挟んで両側に広がる田圃を見下ろす絶景で、画家にとってはまたとないロケーションでした。もう10年も前に引っ越してきて、雨降りや旅行でいない時を除いて、ほぼ毎日、道端や畦や雑木林にイーゼルを立ててキャンバスに筆を走らせている画家を知らない村人はいません。たいがい、夫人のハルが付き添い、日傘をさしたり、筆を洗ったり世話をしています。
 
昭和15、6年頃には大胆に様式化した画風で、その田圓風景を独立展などで発表し話題を集めていた有名な絵描きさん。その画家が珍しく本村の部落にやってきた。
 
「ちょっと。庭先を描かせてもらっても良いですか?」と言って油絵二枚を描いていった。時は昭和22年の冬である。
 
 戦争が終わって2年が経つが相変わらずの食糧難です。終戦の翌年には郷里の福岡や友人の縁を頼って北海道に出かけたり、食料と画題を求めて長い旅に出ています。翌年は6月から10月まで北海道に滞在し札幌などで個展も開いています。知人宛の手紙には、その売り上げも旅費や飲食代で消え失せてしまったと書いています。この絵が描かれたのは長い北海道滞在から戻ってきてしばらくのことだと思われます。北海道での無理がたたって体調は芳しくなかったようです。
 
 目の前を歩いている鶏もうまそうだし。きっと毎朝何個かの卵も産んでいるだろう。なんとか農家の人々と仲良くなって、少しでも食料を分けてもらいたい。
 
 そんな切実な事情が伝わってくるほど分かりやすく生真面目な絵に見えてきます。そんなことを知ってか知らずか、緑側の老婆は虫喰いの跡をさすったり押したりしながら居眠りのふりをしているようにも見えます。
 
(2016年11.12月合併号)

 

  兒嶋画廊  


国分寺崖線の上に立つ藤森照信氏設計の丘の上APT(トタンの家)において、様々な展覧会活動や地域との共同事業を行う。児島善三郎作品をはじめとする日本の近代洋画、1960〜70年代の現代美術、藍染古布などのテキスタイルアート、縄文土器や土偶などジャンルを越えて私たちの日々の生活に活力を与えてくれる美的鑑賞物を展示販売する。
 
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  児島善三郎  

 
治以降の日本近代洋画を代表する作家の一人として、戦前、戦後を通して活躍する。特に「日本的洋画の完成」を目指し油彩画の基本に加え、南画や琳派、浮世絵の研究を重ね、大胆な様式化や絢爛なる色彩を駆使し「善三郎様式」と呼ばれる独自の世界を築いた。初期の人物画から松の木を大胆に取り入れた風景画、中期以降の豪華な盛り花や薔薇の絵など多くの人に今も愛され続けている。
その画業は独立美術協会のみならず画壇全体に大きな影響を残した。
近年は香港や中国のオークションにも優作が出品され、アジアの市場でも人気が高まっている。
 
 
 
 

 
 
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