【名画を語る】新緑の山・日月山水図屏風一双


「新緑の山」1938年頃 個人蔵


近代絵画と俳句はどちらも同じように日常の瞬間の情景や気候、行事といったものまでを人々の心に記号的要素として伝え、日本人の情緒の奥深く息づく自然との共生を呼び覚まします。

故郷や どちらを見ても 山笑う 正岡子規


山笑うは春の季語で、新緑は夏の季語になるらしい。いずれにしろ、山が笑うと考える民族は先住民族と呼ばれる自然と和解しあっていた人々に違いありません。自然を神と思えば、当然、神様は笑うこともあるだろうし、怒りもするだろうし、泣きもするでしょう。日本人の中に、まだこの感覚が残っていることは。喜ばしいことだと思います。


参考図版の日月山水図はあまりにも有名な屏風です。よく目にするのは上に掲げてある左翼ですが、ユニークなのは右翼のほうではないでしょうか。波は沸き立ち、松 はまるでブレイクダンスをしているようにくねくねと腰を使い、左隅では滝が放尿し、右側の白い山は、もう笑いを堪えきれずに身をよじっているようにも見えます。


児島善三郎の『新緑の山』はこの両図を巧みに取り入れて構想したんじゃないかなんて思うと楽しくなります。画面奥に連なる、そんなに高くないと思われる山 の連なりと、手前の丸で括られた木々の塊は、中景の鳥居かコンデンサーの連続に見える茶色の列柱のようなものを介して対峙しています。下半分はまるでコーラスラインのようにスウィングしながら春、春、春」と指を鳴らしていませんか。上半分 の山並みはアンパンマン のような顔で「イェーイと合いの手を入れながら スカシテいるみたい。絵は楽しいですね。画集を作りながら浮き上がってきたのは、この絵が描かれた1938(昭和B)年頃が善三郎の仕事の真骨頂とも言っていい、当たり年だったのではということです。善三郎、四十五歳。因みに、子規の故郷伊予の隣県にある讃岐冨士と呼ばれる飯野山の姿は上図の山にまことに良く似ています。


(絵と布の歳時記2011年5月号)
全文はこちらからダウンロード可能です。



■執筆
児島 俊郎
(略歴)

桐朋高校卒 20期 H組
東洋大学文学部哲学科中退
1977年 叔父が経営する日本橋画廊から独立開業
1979年 渋谷区神宮前 3丁目に兒嶋画廊開廊
1997年中央区銀座1丁目に画廊を移転
2004年 港区六本木1丁目に画廊を移転
2013年 国分寺市泉町1丁目に丘の上APTを竣工、画廊を移転


兒嶋画廊

住所:東京都国分寺市泉町1-5-16
電話番号:042-207-7918

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