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Interview: 高梨美幸

「自分の描きたい絵を形にできるのかどうかわからないけど、でも描き続けていく。
それしかないなと思っています」

 

「二月の譜」 F30 2017年パリ国際サロン出品 東京個展でDMに使用


 
感性によって仕上がりが変わる芸術には答えがない。
裏を返すと、すべてが正解とも言えるだろう。
作家自身が自分の中の正解と向き合う過程で紡ぎ出される制作物は、生きている。
それこそが芸術の醍醐味だと感じるアートファンも少なくないだろう。
北海道在住テンペラ画家、高梨美幸も正解と向き合いながら活動を続ける画家のひとりだ。
「教職を辞めて画家になったことを後悔したことは一度もない」という高梨さんは北海道教育大学岩三沢美術学部絵画科出身で、卒業後は教職に就いた。

 
「高校で進路を決めるときに美大に行くことを決断することができませんでした。
両親を説得して美大に進む覚悟ができなくて、もうひとつの希望でもあった教師になるために教育大学に進みました。私の大学では、大学側が学生の専門学部を決定するという仕組みで、自分で学部を選べなかったのですが、それでも運よく美術学部に所属することができました。奇跡的に。1年目は美術の基礎を学んで、2年からは彫塑や工芸、版画などの専門の研究室に分かれます。私は迷いなく絵画室を専攻しました。そのときの先生がテンペラを使った古典技法を研究していました。それがテンペラとの出会いでした。」
 
教育大学で美術を学ぶことになるとは、と意外な展開で美術の道に導かれた高梨さんは、教員をしながら油絵の具で作品作りを行っていた。
 
「最初は1年に1枚、100号をやっと描くくらいのペースで続けていたのですが、教職員美術展で賞をいただいたことをきっかけに、そこから北海道の公募展を目指してペースを上げて1年に2,3枚100号を描くようにしました。公募展で会友になって賞をもらって会員になって…と少しずつ活動を続けていったのですが、いつも時間が足りませんでした。自分なりに一生懸命考えて絵を作って発表するのですが、『今回はここまで』という感じでなかなかじっくり取り組むことができませんでした。」
 
 
「森へ行く日」2008年北海道の公募展出品奨励賞受賞 F100


 
 
教職と絵描きの二足の草鞋を履いていた高梨さんは、制作にかける時間が十分ではなかったという。妥協の絵になってしまう中途半端な作家活動に納得がいかない日々が長らく続く中、東日本大震災が起きた。
 
「3月11日の震災が起きたとき、私は学校で会議中でした。多くの人が突然命を奪われる不条理を目の当たりにしました。その後も続くはずの人生が奪われ、自然の前では人間はちっぽけな存在でしかないことを思い知らされました。震災の前の年に父を病気で亡くしたこともあって、自分の人生を立ち止まって考えるきっかけになりました。やりがいがある教職の仕事は好きでしたし、やりがいのある仕事でしたし十分に取り組んだことに満足していました。ただ、絵描きとして自分にやり残したものがあることを自覚していました。」
 
家族の理解もあり、二足の草鞋を脱ぐという決断をし、2014年に教職を退いた。もう一度テンペラに向き合い、思い切り絵を描く生活にシフトし、海を越えた挑戦に挑んだ。
 
「北海道から出て自分の活動を広げたいと思ったときに東京の公募展を目指すという選択肢もあったのですが、どうせ海を越えるなら思い切り越えようと思ってパリのサロン・ドトーヌに挑戦しました。最初に出した作品から、別のパリのサロンに推薦されてそこに3点出して、そのうちの1点が大賞をいただきました。 パリや外国での経験は勉強になりました。美術館を巡るのもいいですが、その地で発表をすることの面白さをすごく感じました。」
 
 
「浮遊する記憶~片翼の天使」 F40 1000 ×800㎜ 2017年パリ国際サロン大賞受賞


 

芸術の都パリで賞を獲得するも、プレッシャーと直面し、自分の絵を見失う苦悩が高梨さんを襲う。
 
「仕事を辞めて絵中心の生活になって、ベストを尽くして作品を作って、賞をいただいて、次につながる展示会があって。そうなったときにもっと良い作品を作れると思っていて。それがプレッシャーになって全然描きたいイメージが描けませんでした。描いても描いても満足のいく作品が描けないという事態に初めて陥りました。何を描こうとしていたんだっけ?という感じで。周りの人が応援してくれたり、力を貸してくれたりするおかげで次々にチャンスが巡ってくるのに結果が出せない、チャンスが生かせない。描けば描くほどひどくなっていく感じがしました。」
 
驚くことにそんな苦悩をごく最近まで抱えていたという。
 
「今年春、東京で開催した日本橋Art.jp企画の個展から戻ってきてからやっと自分で描くことを取り戻した気がします。
北海道に戻ってキャンバスに向かってどんな変化が見られるか、それが大事だと思えるようになりました。逆に自分がこんなにも描いている実感が持てなかったことがすごいことだったな、と思います。それでも描くことが止められなかったし、絵がちょっと違うなと思っても、ずっと描き続けていたので。」
 
生まれも育ちも北海道の高梨さんは北海道が原点だと語り、北海道だからこそ生まれる作品だ
高梨さんの持ち味は空気の中に溶け込む人物や自然を象徴する心象絵画。シンとした空気に広がる静寂が作品から伝わってくる。北海道の原風景なしには表現できない圧倒的な透明感がある。

 
「先住のアイヌの人たちの土地に自分や周りの人たちの祖先が本州から移り住んで150年ほど。歴史の薄さも含めてとても好きなところです。特に広大な大地は自分が自然の一部であることを感じさせてくれます。自然の中からインスピレーションを受けて絵を描くことが多いですね。体にしみ込んだ原風景。自然から受け取った“言葉”を拾い集めて絵を描いています。北海道の空気を感じていただけたら嬉しいです。」
 
高梨さんが作家活動を続ける中で大切にしていること、それは「毎日絵を描くこと」だという。
 
「毎日ごはんを食べて、ご飯を食べたらお茶碗を片付けてお風呂に入って。こういう日常の生活と同じレベルで絵があります。ご飯を食べるのと同じように、絵を描く。毎日絵を描こう。うまくいってもいかなくても。」
 
 
「未雲の詩」 2021年 F30 720 ×910mmテンペラ油彩混合


 
 
 
高梨美幸にとって”アート”とは?


 
「 生きること 」
 
 
 

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