パリの美術館で初めて現代アートを見た際その面白さに魅了され、仕事の関係で留学したアメリカで現代アートのクラスを受講しました。それが絵を描き始めたきっかけです。
留学先から帰国し、絵を輸入してギャラリーに販売する会社に勤めました。バブルの間は絵を買うことが流行していたのですが、バブル崩壊後には需要が減って仕事が無くなってしまって。他の仕事にも就きましたが「アートに関する仕事を続けたい」という気持ちを捨てきれませんでした。
それから「アートの仕事をしたいのなら、フランス語を勉強した方が良い」と聞き、フランスに留学しました。フランス語を学んだ後は、骨董品を扱う会社で働く人を養成する学校に通うつもりでした。
しかし、入学する前にその学校の卒業生から「この業界は伝手が無いとなかなか仕事が見つからないよ」と教えてもらって。「それなら自分で絵を描いてみよう」と本格的に画家として活動することを決めたのです。
夫の仕事の関係で、アメリカやフランス、イタリア、台湾などに引っ越しを繰り返す生活をしています。その地のアトリエやギャラリーの方々といい関係が築けても、引っ越しの度にまた新たな関係を築いていかなければなりません。
しかし、新たな地でその地のギャラリーさんと関係を築いていくうちに、絵を見てもらってコレクターとなって絵を買ってくださる方が現れて。そうして絵を売り続けることができました。「絵を描き続けていたい」と思う気持ちは、どこにいても変わりませんでしたね。
新しい土地で初対面の人と出会うときには、画家であるということが私の心の支えにもなりました。引っ越しの多い生活をしているからこそ、たくさんの出会いもあります。
たとえば、私が絵を描いている映像を会場で流して、台湾のミュージシャンの方がコンテンポラリーの音楽を即興で演奏するライブが実現しました。他にも、私が日本人だということで、フランス語の俳句を演劇仕立てで読み上げてもらったこともあります。さまざまなジャンルとの コラボレーションは良い刺激になりますね。
心の中に持っている感性的な部分と、頭で考えて持っている理性的な部分。この二つで作品ができていると私は考えています。
どうしても理性に支配されて頭で描いてしまうんですよね。色の組み合わせや構図を考えて描くと「頭でっかちでいい子ちゃん」な作品になってしまうので、できるだけ何も考えずに描き始めます。
それから色を重ねていって、描いているうちにだんだん出来上がっていく感じですね。何年も前に描いた作品に手を加えることもあります。
具象画でも抽象画でも、西洋のアーティストさんが描く作品には遊び心があって、私に足りない部分は「これだ」と感じさせられます。私の長年の課題でもあるのですが、作品に「遊び」を持たせたいのです。