日本文化を継承するアート販売Webメディア

Interview: 鳥飼規世

科学書の漫画から児童書のイラストまで幅広い作風を描きこなす鳥飼規世の自分らしい絵とは?
自己反省と憧れを繰り返す鳥飼規世氏の姿勢から見える、芸術への情熱

 
 

 
 

“ 絵は特別な人が描くものではない „

 
 
「私が考えるアートや絵っていうのはもっと身近なもの、誰にでもできるもの。
それなのに特に日本では小さいときに、『下手、うまい』っていうレッテルを貼っちゃいますよね。大人からうまいって言われると、大人が『うまい』と言ってくれる絵を描くようになっちゃうわけですよ。で、絵は得意だから『こういうの描いて』と言われたら描けちゃうんですよね。
フリーになってから、媚びる絵しか描けていないことが悩みの種で。その縛りが取れたのは、ここ 10 年くらいのことなんです。だから一般の方はもっと縛りがあると思うんですね。絵っていうのは特別な人が描くものだっていう。“そんなことないよ”というのが私の考えですね。ポリシーというか」
 
鳥飼規世は創作活動の傍ら、絵画教室を開いている。
絵の基礎知識はおろか筆から絵具から何を買っていいかわからない、絵具の種類もわからない生徒を歓迎する、“バリアフリー”の絵画教室。

 
「“本当に描けなくても行っていいですか?”という方がいて、“どうぞ、どうぞ”って。その方は中学生のときに先生から下手と言われ以来絵が描けなくなってしまったそうなんです。今もう 50 近い方なんですけど、中学のときを最後に絵具も触っていなかったそうで。性格も後ろ向きだったそうなんですが、自分の心情を色で表現できることがわかってきた頃から楽しくなってきたみたいで、絵具から画材からどんどん増やしていったりと、性格まで明るくなったんです。それを見てる私がまた嬉しくなりました」
 

 

そういきいきと語る鳥飼さん。
イラストレーターとしてのキャリアを築いたからこそ生まれてしまった苦悩。その苦悩と向き合い見つけた、自分が描きたい、自分の中にある、自分らしい絵。
彼女のアートに対する熱意はとても自由で形式にとらわれないものである。

 
 

“ 間違えて入ったグラフィックデザイン科 „

 
 
「中学の美術の先生が多摩美術大学のグラフィック科の出身で、その先生が絵本を出していたんです。海外の絵本作家に憧れていたので、絵やイラストを描くにはグラフィック科に行けばいいと中学のときに勝手に思い込んでいて。で、高校に進み、美術の勉強をしていたんですが、大学を受けるときに他の科を考慮しなかったんです。入ってから間違いだったことに気づきました(笑)
広告デザインとかマーケティング理論、経済的な授業がメインで。1~2年のうちはデッサンが中心だったので絵が描けるからうれしかったんですが。校内でできた別の科の友達のお話を聞いて、『入る科を間違えた!』って思いました(笑)入ったからには勉強して卒業しましたけど」
 
“絵が描ける会社”という理由から、サンリオに入社。
大学で学んだ知識が「仕事」で生きる。

 
「学生時代は今ひとつピンとこなかったデザインの授業とかも実際に会社に入ると全部生かすことができました。グラフィック科では印刷媒体の授業があったので、ある程度の基礎知識がついていたため順応しやすかったですね。あとイラストレーターとして仕事するときは必ず印刷をかけるので、印刷に出やすい色などの知識が役にたっています。
思い通りの色が出ない!という苦労はしなくて済んでいます。」
 
しかしながら知識はときに自由な発想を妨げる。
 
「私の絵は色が強いと言われるんですが、今でこそ無意識に、好きなように描いていますが、仕事じゃなくて、自分の絵を描くときには最初はその知識が邪魔してましたね、結構。計算しちゃうんですね。この色の横はこの色を使えばきれいかな、とか。それがちょっと自分で嫌でしたが最近はあまり考えてないです」
 
 

“ 憧れを追及し、フリーへ転向 „

 
 
鳥飼規世は海外の絵本作家に憧れを抱いていた。
名前を挙げるのなら、エドマンド・デュラックや、70 歳を超えてもなお新作を生み出しているビネッテ・シュレーダー、挿絵黄金期と呼ばれている時代のカイ・ニールセンなど、芸術作品としての絵本や絵に惹かれ、今でも自宅の本棚いっぱいにコレクションされており、時折引っ張り出してはニヤニヤしながらページをめくっているという。

 

 
「日本の場合は児童用のものだと、かわいい、ほわっとした絵じゃないと出版されづらいんですが海外は絵本イコール芸術になっていて、なおかつ 1 冊の本としてストーリーになって展開されているところがいいな~と思ってました。自分が絵本を集めるのが好きだったのでいつかこうなりたい!と思ってましたね」
 
出版や広告の仕事を受けながら、自身の創作活動に傾倒する日々。
 
「フリー転向後は、ハヤカワ書房の単行本の表紙にあこがれて自分でコツコツ描いたりしてました。当時から幻想的な絵が好きだったので絵本雑誌の『MOE』に投稿したりとか。出版社に営業かけたりもしたんですが、飛び込みで営業したところでそう簡単に取り上げてくれるわけでもなく…。やっぱり結局のところいただくお仕事というのは、サンリオにいたということでキャラクター商品を描くお仕事とかだったんですが、だんだんと人様のご紹介で出版とか広告イラストといったリアルな絵を求める仕事が増えてきまして、ほぼほぼ出版の仕事をその頃からずっと続けています」
 
 

“ 堂々と“私画家です”って言えるようになったのは本当に最近のこと „

 
 
美術大学からサンリオ、フリーに転向後も長らく絵に携わってきたものの、ようやく「鳥飼規世」の名前で勝負できるようになってきたという。
 
「母の看病疲れなど色々なことがあってうつになってしまったんです。心療内科から処方される精神安定剤は脳に影響にするお薬だからなのか、自分で創作するときのアイディアがまったく出なくなってしまって。仕事は淡々と続けていたので、当時タロットカードのイラストだったり幻想的な絵などは描けたんですが、自分のオリジナルが描けないことに苦悩しました。そんな折、猫を飼い始めたんですね、初めて。どうせ飼ったなら自分の猫を描いてみようと思ったら、描けたんです。アナログな(自分の)絵が描けた!と万々歳でしたね。そこから、描き貯めた絵や猫の絵など何点か額装して、ギャラリー巡りをして…そこそこご好評をいただいたのもあって、そこから毎年個展をやるようになりました」
 
1回の個展で新作を2ヶ月弱で20数点描きあげるという。油彩は絵具が乾く時間も計算し、3~4点同時進行のことも。
 
「去年は「不思議の国と鏡の国のニャリス」という個展をやりました。何を描こうっていうテーマは常に頭にあるんですよね。1年くらい先の個展でもすでに構想だけは練っていて。キャンバスだけ25枚取り寄せてあるので後は描くだけなんですが、今あるお仕事にも追われてまだ着手できていないんです。2021年からは時間をかけて描きたいですね。早く仕上がってしまうと“またやってしまった!”って自分の中で反省しています。周りの画家さんがじっくり描いているのを見ると自分が雑に思えてきてしまうんです(笑)」
 
ふと降りてきたアイディアをすぐさまキャンバスに落とし込む。
 
「どこから発想が生まれるの?と聞かれるんですが、私の場合は特になくて、突然降りてくるんですよね。
綿密にラフとか描き込んでいきたいところではあるんですが、降りてきたものを忘れたくなくていきなりキャンバス出して描き始める、みたいな。
ふっとした思い付きは忘れるのも早いですからね」
 

 
おとぎの国に誘うような猫や動物モチーフで鳥飼規世の世界を記憶している人も多い。
 
「周りが動物の絵が好きと言ってくれるので自然にそうなっているんですよね。動物画家ってわけではないんですけど、みんなが喜んでくれるから、皆さんの期待に応えたくなっちゃうんですよね。猫作家と思っている方もいらっしゃるみたいなのですが、現代童画会では羊の絵も描いてるので“羊の人”って言われていたりもします(笑)」
 
「描きたいものを描けば良い」- 期待や要望の枠から一歩ずつ外へ。
 
「もともとイラストレーターで売り込んでいるお仕事ではリアルな人物が描けるというところで依頼が来ますし、数々の伝記もののイラストをずっと描き続けているので人物を描くのはすごい好きなんですよね。ただ、人物画って流行り廃りとかもあって。
例えば今世間ではすごく美しくて可憐な日本人女性を描いた美人画の絵が売れているんですけど、私はそういう絵は決して描けないですし、マネしたところで描けるわけでもないので、あえて私が人物描かなくてもいいかというここ数年間だったんです。
でも、今後は人物画も増えていくかもしれませんね。
動物の絵といっても、私の場合は素直に描かないので、“これ人間の顔が動物にすり替わっただけじゃん”という設定の絵も多いですし」
 

 
絵の世界は難しいと感じる方に伝えたい、鳥飼規世のメッセージとは。
 
「絵は身近なもの。敷居があるものをとっぱらってしまう。バリアフリーにしちゃおうという考え方なんですよね。
(絵を)商売にするかどうかは別として、絵は誰でも描けるし、私自身も美術館に行って展示されている絵を理解できるかというと、全然わからない絵はわからないです、いまだに。でも、わからないならわからないで、それで良いと思っています。」
 
 
 
芸術の世界に正解も不正解もない。
とても身近なものを分類したり分析したり、どうしても隔たりをつくってしまいがちだが、元来はもっとシンプルなものである。
あなたなら鳥飼規世の絵から何を感じ取るだろうか。

 
 
 

戻る