サラリーマンをしていたときに「このままじゃ嫌だ」と思い、30代半ばでヨーロッパへ飛び出しました。とにかく時間に縛られたくなかったんですよね。貧乏旅行をしながら、各地の主要な美術館を自由に巡っていました。
当時、私は油絵を描いていたのですが、ジャクソン・ポロックやマーク・ロスコの絵を見たときには、「描けるわけないよ、こんなの」と落ち込みました。マーク・ロスコのグラデーションに強烈な孤独感を感じて、涙を流したことを今でも覚えています。実物は絵肌を鮮明に感じるので、画集とは迫力が全然違うんですよね。
そんな中、日本の浮世絵師である歌川広重や葛飾北斎の絵を、海外の美術館で見たときは衝撃でした。油絵が盛んな現地の美術館でも別格扱いというか、油絵と並んでも遜色なくて。
それから尾形光琳の絵にも、ものすごい感動を受けて「これなんじゃないか、俺たち東洋人には」と。東洋人は「線に対する美感」が強い気がするんです。ヨーロッパや欧米の画家たちと比較して、落ち込む必要なんてなかったんですよね。
自分自身が持っている東洋人の「線に対する美感」を信じて、「線で形をとる芸術を描いていこう」と思ったんです。
そんなとき、線の表現力が高いミリペンに出会いました。偶然立ち寄ったハンガリーの画材屋さんで日本製のミリペンを見つけて、気になって試しに買ってみたんです。使ってみると、すごく面白くて。現在は、ミリペンと筆ペンで描いた線に無色透明な水ペンで濃淡をつけていく、独自の描き方を模索しています。
19歳のときに、唯一と思える恩師に出会いました。絵のことを教わっていく中で、「プロの画家を目指すのなら、作品を100年残し続けるために、画材を熟知しなければならない」と言われたんです。そう考えると、当時使っていた鉛筆やミリペンで描いた絵は100年もたないな、と。
「何か良い方法はないか」と考えているとき、若い画家さんが描いたCGを使った作品を見て「これだ!」と思ったんです。「作品を100年もたせるなら、データ化すれば良いんだ」と。そして、顔料を吹き付けてプリントアウトする「ジークレー印刷」なら、手で描く場合に比べ相当に強固なる耐久性があることを知りました。
『火炎菩薩』は、あるエピソードを元に描いた作品です。第二次世界大戦の東京大空襲で生き残った人の談話ですが、ある母親がその娘に被さって、焼夷弾から守ろうとしたそうなんです。その母親は、自分の背中が燃えていながらも娘の無事を確認して、「ああ、生きてる」と笑ったそうで…。まさに菩薩ですよね。母性の中に感じた神聖さを描きたいと思ったんです。