元々自分の意図することを話すのが得意ではなかったんですよ
今話ができるようになったのは毎週毎週個展で知らない方と話すからできるようになっただけで、元々話すのはそれほど得意ではなかったんです。
自分の意図したことを人に伝えて共同で何かやっていくっていうことが苦手で・・
大学の時に自分のやりたいことって探すじゃないですか、で、映画でも良かったし、ファッションとか舞台とかもあったんですけど自分で自己完結できるものを探していたら絵ぐらいしかないのかなって(笑)
何か出したかったんですよ!でも音楽は人前に立たなきゃいけないから・・人前に立つのも嫌だったんです。絵もライブペインティングとかあるけど、基本的にはたたなくても良いじゃないですか。今はできると思いますけど。だから自己表現というか、自分の中にあるものを言語化したかったんだけど、言語化するのが苦手だったんですよ。でもそれって致命的じゃないですか。だって映画を撮りたいのに言語化できなかったら、撮影してくれるひととか演出してくれる人に自分の意図を伝えられないじゃないですか。ここをこういう風にしたいからこうでこうで、、、みたいな。
だから人とやっていくのが無理だなって。
そしたら絵しかないのかなって。
割とそうですね。舞台もやったし音楽もやったんですけど。でも出るのは嫌なんですけどね(笑)
うーん。漫画はずっと描いてましたね。あ、でも好きだったんじゃないですかね。ミケランジェロの最後の審判を模写してました。下敷きに移して人のノートにぴたって(入れてました)。まさかそれを職業にするなんて思ってもいなかったですね。
とりあえず家にいる方が好きな子でした。スポーツは・・・・うーん。サッカーやってたけど、砂場できれいな砂を探す方が好きでしたね。
おかげで兄と同じサッカースクールに入ったんですけど兄は1軍僕はずっと2軍でした(笑)
なんか、勝手に選ぶんですよね。兄はスポーツが大好きで逆に喫茶店のルノアールが絵描きだって知ったのは、僕が絵描きになるまで知らなかったですから。弟が絵描きになったから色々本で調べるようになって「喫茶店のルノアールって絵描きの名前なんだ」ってそれで知ったみたいで(笑)というか知らなかったの!?って(笑)
でも「知らないの?」って言ったら「じゃあ、ラグビー選手の名前知っているのか?」って聞かれて、「知らないです」って(笑)
うちは代々絵描きの家系なんです。江戸時代からずっと家具屋をやっていて、明治になってこれからは工業化の時代だってなって工業デザインの方に移ったんですよね。例えば工業デザインて、山手線の電車のデザインとかこれ(目の前のテーブルや椅子)もそうですし、バイクとかもそうですね。
そうですね。紙風船てあるじゃないですか。色がついている。祖父と一緒に住んでいたんですけど、「あれが欲しい」って言うと
障子のところにいくつか吊ってあるんですけど、取って残りが一番きれいになる風船を取りなさいって言われるんです。もう、わけわからない(笑)
1、2、3、4、5って吊ってあるんですけど、どれを取ったら一番美しいでしょうって言う。
今だったら分けるんですけど、「何を言うんだこの人は」って状態でした。まぁ、そういう家でしたね。
うちは美大禁止だったんで(笑)苦学しながら新聞配達しながら美大に行くほどの根性は僕にはありませんでした。でも大学には行きたかったから勉強がんばりましたよ!東京だから学習院も早稲田も受けたけたんですけど、全部落ちて。。。だから、、まぁ浪人するのも嫌だったから。。
・・・いやーでも18の時とかどうだったかな。そもそも色々な事情から美大という選択肢はうちにはなかったので。。。美大は反対されていたんですよね。
それで16,17の時ってやたらと正義感が強い時期じゃないですか。あの時はちょうどルワンダの難民とか、コソボ内紛とかが始まってて、そういうニュースを見て政策科学部っていうのを知って、ちょうど日本人が拠出金の割に国際機関で働いている人数が少ないっていうのを言われ始めた時なので政策科学部に行ったんですよね。
なんで世界はこんなに間違っているんだって思って学部に入って勉強するじゃないですか。でも実は日本の裏事情なんかも知っちゃったりして(笑)それで色々闇も見てしまいました。だからその世界はもういいやって。
30~40枚くらいですね。描くのは早い方だと思います。昔がむしゃらだった頃ははもっと描いてました。
やっぱり、若いころってがむしゃらにやるじゃないですか、とにかくうまくなろう、数描こうみたいな。でも今1日12時間を週6日とか、さすがにできないんですよ。締め切り前とかはありますけどね。1日15時間それを週7日とか。
20代前半のデビューしたての時は緩かったですよ。昼の2時まで寝ているとか。若いから寝れるっていうのもありますけど。僕は自然光が好きなので5時半起きしてますね。8時とかがあまり好きじゃないんですよね。5時半とか6時半とかが結構すんなり起きれて。。そこからいきなり絵を描くこともありますが、最近はランニングするようになりました。それから朝ごはん食べて、絵を描いてってかんじですね。
絵はガントチャート的に考えています。今日は空を塗る、明日は空との接点が乾かないうちに建物を塗ります、次の日とその次の日は何も描けない。その次の日には建物が乾くからニスを塗るとか、次は空と建物をいっぺんに塗っちゃってみたいな。割ともう、描きはじめる2~3日前には全体の工程が決まっています。
実際にありますよ。あるけど、脚色している部分も結構多いです。静物画はほぼ全て自宅に置いて描いています。ものを描いている作品は必ず何かしらありますね。
これはほぼほぼ脚色がないですね。(※1)
絵を描いている期間、ものは基本的にそのままですね。だからチェリーパイの時は地獄ですよ(笑)
※ミラノのファッションブランドMSGMの広告用として制作
描いて、ラップして、冷蔵庫の毎日です。多少は変わってしまいますけどね。写真でも良いんですけどね、、、良いんですけど・・・なんていうのかな、情報量が全然違うっていう表現をしているんですけど。
物を実際に見るのと写真で見るのとでは。写真を見ても描けるんですけどね、でも違うんですよ。入ってくる情報量が。
フィリッポ・リッピって画家知ってますか?有名な宗教画家なんですが・・・
正直技術だけで言ったら今の人の方がうまいと思います。でも本物とかを見ると伝わってくるものがあるんです。すごく品が良いんですよね。精神性が高いというか。
やっぱ絵を描き始めた時って自分が下手だからとにかくうまくなりたい、うまくなりたいって考えると思うんですけど、最後はこういう品の良さに行くと思うんですよね。誰かが「芸術家とはつまるところ品である」っていうことを言っていたんですけどそういうことだと思うんですよね。
うちは両親も祖父母もクリスチャンなんですよ。幼稚園もキリスト教の幼稚園でちっちゃい時から教会のキャンプとかに参加したりして、そうすると普段からこういう宗教画の絵を見たりしていました。で、絵描きになってから改めて見てみるとすごいなって思ったんですよね。小さい頃からイタリアの宗教絵画には影響を受けていましたね。今はそれほど意識はしていないですが、やっぱ品は良いなぁとは思いますよね。下世話な立ち飲み屋で飲んでいる場合じゃないなって(笑)
それすごく嬉しいです!
辻真砂さんという方の弟子になりました。
最初は絵を学ぼうと思って大学の近くのカルチャースクールに通って、もっとうまくなりたいと思って本格的なところをどんどん転々としていたら、関西美術院というところを知って、そこに辻さんが教えに来ていて習うことになったっていう。1999年から2012年までの13年間習っていました。
大事にしていたのは「周波数を一緒にする」ってことですね。
周波数って出す方が500Hzだったら受け手も500Hzじゃないと聞こえないじゃないですか。より長時間一緒にいて、より師匠と同じ考え方をするようにしないと言っていることが受け取れないんですよね。例えば、師匠が弟子の絵を見て「ここ緑に塗った方が良いよ」って言っても師匠が言っている緑とは全然違う緑を塗っちゃったりするっていう(笑)「そんな緑にしろなんて言ってねーぞー!」なんて言われたりして。
「師匠、緑って言っても広すぎます(笑)」って感じなんですけど(笑)でも付き合いのある人だったら「先生の言っている緑はこの緑ではない」っていうのがわかるんですよね。あと、僕の場合会社勤めをしたことなかったのでよかったですよ。おかげで飲みの席でもお酒注いだりとかもできるし(笑)
僕は実は24時間仕事をしていたいタイプなんですよ。結構建築とかも好きで、建築を見に行ったりしていますね。建築が好きで結局建築の学校に行ったりして・・・映画もよく見に行くんですけど・・・
でも意外と趣味っていう趣味はないんですよね。それ今の課題ですね。趣味を見つけるのが課題。
どんな人にというより、今まで買ってもらった後で嬉しかったのが、政治家の奥さんが以前絵を買ってくれたんですよ。衆議院の議長を務めたこともあるような方で、政治の世界ってすごく大変な世界じゃないですか。そんな大変な世界にいる人に「毎朝見ているよ」って言われた時は人の役に立っている実感があって嬉しかったですね。
絵って言われてみればそうなんですよ。例えば音楽や映画ってスイッチを入れる必要がありますけど絵って飾っておくだけなんでスイッチとかなく、ふとした時に脳の一休みができるんですよね。だから現実が大変だったり、忙しい人ほど絵って楽しめると思うんですよね。だから、どんな人に手に取ってもらいたいかっていうと、現実が忙しい人とか大変な人ってことになるかなぁ。
売れなかった時でしょう(笑)ずーっと売れなかったですから。4年くらい。真砂塾の中でも本当に売れなかったですよ、僕ともう一人いたんですけど。
売れるようになったのは、、、うーん2004年の札幌三越だったかな。
突然出品した作品が全部売れたんですよ。2005年の小田急でもほぼ売れて、、2006年で初めて個展を開きました。僕の場合何かのグループに所属していたりとか、雑誌に取り上げられたわけではないんですよ。ちょっと絵の光を強くしたりとか構図を2センチずらすとか本当にそのくらいの変化をつけたんですけど、それが見る方にとって心地よかったんでしょうね。
もはやそこを抑えるとなぜ売れなかったのかよくわからない。
Gallery Seekさんで2019年1月末に個展を開きます。内容的には今度宝島社で「文房具の束」という本が出るんですが、そのイラストを僕が全て受けて原画を含めた展覧会です。
油絵は追求していくでしょうね。それ以外では、挑戦というかこうなっていくと良いなって思っているのはアートがもっと世の中の仕組みに収まっていくと良いなって思います。昔はアートと広告って密接に関わっていたんですよ。例えば、歌舞伎とかで役者がいろいろな役割を担うんですよね。台詞の中に色々なお店の名前とかが出てくるんですよ。浮世絵でも三越呉服店の絵があったりとか。そうやって社会の中に入っているんですよ。
経済が成長すると必ず余剰資金てできるじゃないですか。そうするとお金って広告に回るんですよ。その広告として浮世絵とか歌舞伎が使われていたのに例えば何もわかっていない、ただ綺麗なだけとか美男子なだけで広告等に使われてしまうのは違うと思うんですよね。広告として絵画が使われていて、、それで画家や職人さんが技術を磨きながらお金が流れていったら良いなとおもうんですけどね。技術を磨くのって時間がかかるじゃないですか、それを支えるのが言ったらお金持ちか親か働くしかないっていうのが、もっと支えていく環境ができたら良いのにって考えは持っていますけどね。