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Interview: 伊賀晶子

2つの異なる世界観でメッセージを伝え続ける

 
 

“ 大学で初めて触れた日本画 „

 
 

――日本画家として活躍中の伊賀さんですが、最初に日本画を知ったのはいつ頃ですか?

「日本画との出会いは大阪芸術大学の芸術学部に入ってからです。最初は彫刻と版画、日本画を選択し、3回生のときに日本画を専攻。日本画は水彩画や油絵と違って、瓶に入った岩絵具を絵皿に出し、専用のニカワ液で溶いてから使います。筆ではなく指で岩絵具を溶くのですが、そんな子どもが“おえかき”をするときのような要素も含めて自分に合っていると感じています」

 

――大学に入学される前から、日本画には馴染みがあったのでしょうか。

「それが全くありませんでした。身近に日本画を描いている作家さんはいませんでしたし、中学や高校時代は美術館に行くこともほとんどありませんでした。ただ15歳の頃にヨーロッパを旅行する機会に恵まれ、パリの主要な美術館を回ることができたんです。西洋絵画のシャワーをたっぷりと浴びたとき、ふと「日本人が西洋画で西洋人に対抗するのは難しいから、日本人の絵を描かなければ」と思いました。当時は画家を志していなかったのですが、もしかしたら日本画に惹かれた理由の一つになっているかもしれません」

 
 

「降りてゆく薔薇」F6号

 
 

“ 社会的テーマを日本画で表現 „

 
 

――作品のテーマは、大きく分けて社会的なものと幻想的なものがあります。まずは社会的テーマについて教えてください。

「社会的テーマを描くようになったきっかけは、東日本大震災でした。2011年3月11日の衝撃を境に、自分がこれまで描いてきたものは何だったのかと考えるようになったんです。当時は多くの情報が錯綜し、真実がわからない状況でした。そのとき自分の頭の中のスイッチが切り替わり、社会の裏側や暗部を調べるようになったんです。毎日インターネットで情報を集めましたし、本もたくさん読みました。そうしているうちに絵のイメージが浮かんできて、311シリーズにつながっていったのです」

 

――2020年からはコロナシリーズを描き始めたそうですね。

「コロナが流行した頃は、これまで調べてきた知識や情報が蓄積され、ある程度は世の中の仕組みがわかっていました。そうした中で起きた出来事だったので、わりとスムーズに絵を描くことができたと思います。私は作品の枚数こそ多くありませんが、サイズは50号から150号までの大作が多いです。サイズ感に加えて社会的なメッセージを込めているためか、お客様の反応はさまざまです。時折、メッセージが深く刺さる方がいて、思わぬ反響をいただくこともあります」

 

――これまで多くの賞を受賞されています。これについてはどのように感じていらっしゃいますか?

「審査員の方からお話を聞く機会がなかったので、どういった点が評価されたのかはわかりません。ただ、ある賞をいただいたとき、私の絵を推してくださった先生が『観る人に色々な事を感じさせ、考えさせる良い絵だ』とおっしゃっていたと人づてに聞いたことがあり、とても嬉しかったです。実は作品の中に暗号を散りばめているものもあり、それを含めて少年少女の物語としてメッセージを読み取っていただければと思っています」

 
 

「出逢い」S130号

 
 

“ 国内外を問わず広がる活躍の場 „

 
 

――幻想的なテーマの作品についても教えて下さい。

「社会的テーマの作品を描くに当たり社会の裏側を調べ続けていると、どうしても気持ちが暗くなってしまいます。自分を立て直すためには、明るく楽しい絵も必要。社会的テーマの作品を手掛ける合間に描いて、気持ちのバランスを保っています。また、個展のときに社会的テーマの作品と混ぜることはしません。2つのテーマを混ぜて展示したら、きっとお客様が混乱してしまうのではないかと思います。それくらい2つのテーマは違う世界観になっています」

 

――最後に今後の目標を教えて下さい。

「今年は初めてニューヨークのグループ展に参加しました。ニューヨークで展示することは15年来の夢だったのでとても嬉しいですし、今後はニューヨークだけでなく海外での展示にも挑戦したいと思っています。また、コロナシリーズを東京の大きな会場で展示することも目標です。今は19枚の絵がありますが、30枚くらいまで描いて、その全てを皆さんにご覧いただきたいです。『コロナの終わり』というものがどこにあるかわかりませんが、自分の中にイメージが浮かぶ限り描き続けていきたいと思っています」

 
 

「脱出」S130号

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